本のページを破り、食器をすべて出し…認知症で要介護2の80代母が一気に「要介護5」になるまで

写真拡大 (全6枚)

介護のサービスを受けるためには、「要介護認定」を受ける必要がある。

厚生労働省のHPには「要介護状態」を以下のように分類してある。

○要介護1  要支援状態から、手段的日常生活動作を行う能力がさらに低下し、部分的な介護が必要となる状態

○要介護2  要介護1の状態に加え、日常生活動作についても部分的な介護が必要となる状態

○要介護3  要介護2の状態と比較して、日常生活動作及び手段的日常生活動作の両方の観点からも著しく低下し、ほぼ全面的な介護が必要となる状態

○要介護4  要介護3の状態に加え、さらに動作能力が低下し、介護なしには日常生活を営むことが困難となる状態

○要介護5  要介護4の状態よりさらに動作能力が低下しており、介護なしには日常生活を営むことがほぼ不可能な状態

同居する母が認知症で「要介護2」の認定を受けてから5年になる今のことをライターの長谷川あやさんがつづる前編では、今年の7月、病院の帰りに「歩いて帰りたい」と母がいうままに外に出て3分後に歩けなくなり、救急車で病院に向かったことを伝えた。この病院で看護師から「要介護2ではないと思います」と言われたという。実は、特別養護老人ホームに入るためにも、要介護認定を再申請しようと思い続けていた。しかし家じゅうの皿を棚から出したり、本を破ったりする中で「片付けないと人を呼べない」と1 年以上もの間、再申請を躊躇していた。

それでも必死に片付け、区分変更を申請。調査員の自宅への訪問が終わった、まさにその翌日に熱中症で救急搬送されたのだった。その後長谷川さんが向き合った現実は。

熱中症から1泊で退院

〈2026年7月22日〉

快復したので今日か明日には退院してほしいと、病院から電話がある。早っ(笑)。いや、たしかに元気になった認知症の老婆を寝かせておくほど、大病院の救命は暇ではないであろう。「では、明日、迎えに行きます」と言いたいところだったが、翌日は朝から仕事が入っている。行けるのは今しかなかった。

「では、これからすぐ迎えに行きます」

病室からタクシー乗り場までは車いすを利用。自宅のマンションのエントランスから2階の部屋までは自分の足で歩いたが、ふらふらだった。私が支えないとまともに歩くことすらできない。もうここまで弱っているんだ、たぶん母との時間はもうそう長くないんだと、少し怖くなった。

「要介護2」から「要介護5」

〈2026年8月〉

母は寝ていることが多くなった。パンが好きな母。スーパーやコンビニで値引きの札が付いているとよく買って帰ってきたけれど、もう小さなパンも一度で食べきることはできない。

私が外出する時は部屋に一人になるが、犬用のカメラで見てもほぼ寝ている。寝ている時間が増え、朝、立てないことも多い。週2回行っていた、デイサービスも休みがちだ。

8月中旬、区分変更の通知書が届く。一呼吸してから、意を決して封を開いた。今開けようが、時間を開けて開けようが中に入っている書面の内容は変わらないと、少し乱雑に封を開いた。

書面には、「要介護5」と記されていた。特養に申し込める要介護3以上になればいいなと考えていたのだが、要介護5? 介護保険制度で定められた要介護度7段階(要支援1~2、要介護1~5)の中で最も重度の区分である。5は予想外だった。あわてて、要介護5の定義をAIに聞いてみたところ、「日常生活のほぼ全てにおいて常時介護(全介助)が必要な状態です」とのこと。なんだ、全然、要介護5だわ、母は。食事の摂取、排泄(おむつの交換)、衣服の着脱、入浴。もうどれもひとりではできない。

特養への道は確実に前進したが…

要介護5になったことで、特養への道は確実に前進した。特養の入所対象は原則として要介護3以上。それも申し込んだ順ではなく、各施設の入所検討委員会が介護の必要度を点数化して優先順位を決める。要介護度が重いほど、順番は早く回ってくる。介護保険を使ってサービスを利用できる月々の上限額(区分支給限度基準額)も上がる。デイサービスやショートステイを、これまでより多く組み込める。

とはいえ、良いことばかりじゃない。最重度ランクになったことで、ショートステイやデイサービスの利用料が上がる(より手がかかるのだからそれはそう)など、デメリットもある。そもそもすでに母は、デイサービスやショートステイに行くのも困難な状況だ。それでもきっと近い将来特養に入居できるはずと、ほっとした気持ちのほうが勝った。

通知が届いた翌日、区役所に出向き、特養への申し込みを行う。

再び救急搬送

〈2026年9月19日〉

いま母は家にいない。7月とは別の病院に入院している。9月8日、久しぶりに行った、いや正確に言えば無理やり行かせたデイサービスで血圧が低下。意識が朦朧となり、救急搬送された。

電話で話した救急隊員にも、その後、搬送された病院で担当の医師にも、延命治療を望むかを問われた。父が脳出血で倒れた時、私は「望まない」とサインした。その際、母も「私も延命はしたくない」と言っていた。迷わず、「しなくていいです。本人の意思です」と伝える。が、その時、医師が言っていた、退院できない可能性もあるといったニュアンスの言葉に、私は少しだけ動揺した。

冒頭でも触れたが、私は母がこの世からいなくなることをすでに受け入れている。ほんの数年前のように、出張先で、夕食を済ませた後、少し酔っぱらって、たいした用事もなく母に電話をかけることはもうない。

突然の雨に降られて、最寄りの駅まで迎えに来てもらっていたのは、いつが最後だったろう。最近は、そんなことがあったことすら夢の中の出来事のように思えてくる。私の知っている母は、もうここにはいない。そもそも今だって肉体が存在するだけだ。子どもの頃、両親が死ぬことを考えただけで世界の終わりのような気持ちになったことを少し懐かしくすら思う。これが大人になるということなのかもしれない。

しかし、近い将来、実際にその肉体がなくなる時、私はどう感じるのだろう。やっぱりさみしく思うかな。思うよね。

でも、母はいま生きていて楽しいのだろうか。数日前、病院に行った時、母はベッドに拘束されていた。文句を言っているわけじゃない。ベッドから落ちたら大変だし、病院内を徘徊されても困るに決まっている。当然のことだ。拘束に同意するサインもしている。ただ、こんな風になっても生きなければならないことをかわいそうに思う。