”金屛風”に、家族や会社との確執、母と慕った女性との決裂まで…中森明菜の運命を変えた「1989年の夏」の真相
歌手・中森明菜には、運命を変えたふたつの夏がある。ひとつめは1981年の夏。高校1年生だった彼女は『スター誕生』で、山口百恵の『夢先案内人』を歌い番組史上最高得点で合格。16歳の誕生日を二日後に控えた「はじまりの夏」だった。
だが翌82年のデビュー曲『スローモーション』は最高30位。豊作といわれた同期たちのなかで明菜は第二集団に埋もれていた。そこでプロデューサーの島田雄三が選んだのが、聖子的な可愛らしさを捨て、百恵の引退以来空席となっていたツッパリ路線--『少女A』である。本人は当初嫌がったというこの曲が社会現象となり、明菜は「陰キャ」的アイドル像を体現する存在として、主流への対抗馬に持ち上げられた。
しかしブレークから7年後の夏、彼女の運命は暗転する。「はじまりの夏」の次に訪れたのは、「かわりめの夏」だった。
前編記事『デビュー曲は30位…最初は目立たなかった新人・中森明菜を“松田聖子のライバル”に押し上げた『少女A』という賭け』より続く。
明菜と太宰に通じる「不全感」
1989年の7月、中森明菜は交際中だった近藤真彦の自宅で彼の留守中に自殺未遂をした。
筆者はそれを『週刊明星』(集英社)の編集者からの電話で知ることになる。芸能にまつわる企画モノを執筆中だったが、突然「明菜がやらかしまして」と電話が入り、彼女のエピソードを外すように頼まれた。
このとき思い出したのが、助川徳是という文学者が85年に書いた太宰治論だ。この人は論の冒頭に、明菜が初めて作詞した『夢を見させて…』(84年発売の5作目のアルバムに収録)を引用して、こう評した。
「右は勿論、太宰治の文章ではない。だが、右のような表現に潜在している思想(略)は、太宰の文学にも通底する基本的な構造であった」
たしかに、その詞には「迷路のような人の心の裏」とか「心を閉ざしたあの日」とか「自分が悲しい」といったフレーズが散りばめられ、ネガティブな心境ゆえの愛や夢への渇望が綴られている。アイドルとしては絶頂期で、近藤とも蜜月で、公私ともに順調だったはずの時期の詞にもかかわらず、だ。彼女の根っこにはもともと、そういう不全感があるのだろう。
そのあたりが、松田聖子とは対照的だ。それこそ、聖子にとって、夢は「見させて」もらうものではなく、自分が見て、人に見させるものなのではないか。いや、多くのアイドルがそういうスタンスに思える。
だからこそ、そうではない明菜に『少女A』のような歌がハマったのだろうし、華やかさの裏にある自己否定的な悲しさのようなものが絶妙なバランスで彼女を輝かせていたように思う。
暴露本が生んだ「金屏風」の都市伝説
しかし、あの悲劇はそのバランスを崩すことにつながった。大晦日に近藤同席のもと、復帰会見を行い、翌年7月に活動を再開させたものの、近藤とは破局。それ以前から始まっていた家族や会社との確執が悪化して、人間不信が強まっていく。
決定的だったのは、92年頃に親しくなり「お母さん」と呼ぶほど慕っていた女性業界人とのトラブルだ。
仲違いしたあと、この女性業界人は『中森明菜 哀しい性』(94年)という暴露本を書いた。明菜はこれに猛反発。
「騙され裏切られることには馴れっこの私も、あんなタイプの人は初めてです」
が、この暴露本はひとつの都市伝説を広めてしまう。89年の復帰会見の際、明菜は婚約会見だと思い込まされていた、というものだ。金屏風の存在がその裏付けとされたが、会見場の関係者は復帰を祝う意味だったと証言している。明菜自身も近藤に対しては、
「騒動に巻き込んで大変な迷惑をかけて申し訳ないことをした、そんな思いだけでした」
と、わだかまりのなさを強調していた。
ただ、この都市伝説は明菜に過剰な同情をもたらし、それは芸能人にとってむしろマイナスにもなった。心身の不安定さも垣間見せるようになり、彼女はどこか触れにくく扱いにくい存在になってしまう。歌手活動も縮小傾向に転じた。
失われなかった歌への情熱
そんな時期、筆者は西條八十の童謡『かなりや』を引き合いに出して、明菜について語ったことがある。「唄を忘れたかなりやはうしろの山に棄てましょか」で始まる童謡だ。この童謡には最後に救いがあり、
「象牙の船に銀の櫂 月夜の海に浮かべれば 忘れた唄をおもいだす」
と、締めくくられる。
そのとき、心によぎったのは彼女が『スター誕生』(日本テレビ系)で合格したときに歌った『夢先案内人』(山口百恵)のことだった。その歌い出しが偶然にも「月夜の海に」なのだ。
『夢先案内人』では、恋人たちを乗せた船が月夜の海を行くという夢を起点として、愛し合う男女の多幸感が描かれる。15歳の明菜は、そんな未来も夢見ながら歌ったことだろう。その頃のひたむきな気持ちを取り戻すことが、歌手・中森明菜にとっての「月夜の海」になるのでは、と思ったりもした。
実際、彼女が歌への情熱を失うことはなく、縮小された活動のなかでも、彼女にしかできない作品とパフォーマンスを残してきた。
今年の夏には『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に生出演。新曲の『ごめんと、すきと、』と全盛期のヒット曲『難破船』を披露した。また、バラエティー番組の『Golden SixTONES』(日本テレビ系)にも登場して、そのキャラクターが話題に。誕生月でもある7月には、全国ツアーも開催され、9月に東京で追加公演が行われることも決まっている。
81年の「はじまりの夏」89年の「かわりめの夏」に続いて、今年は明菜が復活した特別な夏だったとのちのち振り返ることができるのでは、という思いを抱くファンも多いに違いない。
・・・・・・
【もっと読む】松田聖子でも近藤真彦でもない…ニューミュージック全盛期に“空前のアイドルブーム”を生んだ「元ジャニーズ」とは
【もっと読む】松田聖子でも近藤真彦でもない…ニューミュージック全盛期に”空前のアイドルブーム”を生んだ「元ジャニーズ」とは
