「生い立ち」は人をずっと支配する…「夫婦、家族とは何か」を問う ドラマ「T乾」が描いた30、40代のリアル
秘密と生育歴がカギ
TBS「Tシャツが乾くまで」(金曜午後10時)が最終回を迎える。今の時代が色濃く投影されたホームドラマとなった。昭和のホームドラマの最高傑作である同局「岸辺のアルバム」(1977年)の超進化形と言える。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】
***
【写真】「都市伝説」にも…“失踪”が大きな話題となったタレントとは
「Tシャツが乾くまで(T乾)」のキーワードの1つは秘密。49年前の「岸辺のアルバム(岸辺)」もそうだった。
「T乾」の秘密は、まず主人公・瀬尾咲子(蒼井優)の4回の離婚歴。それと、夫・充(松山ケンイチ)の失踪癖や、園田あずさ(夏帆)との密かな接触である。

「岸辺」の場合、主人公・田島則子(八千草薫さん)の不倫、夫・謙作(杉浦直樹さん)の勤務先の倒産危機、長女・律子(中田喜子)の性被害と、それによる妊娠と中絶だった。
最終回直前の展開も似ている。「T乾」は咲子が充に対して離婚歴を明かしたあと、別れを切り出した。充も既に、自分の秘密を明かしている。「岸辺」の田島一家は秘密の露見により崩壊寸前となった。
一時は異色のドラマに映った「T乾」だが、歴史的名作と同じ系譜に位置している。根底に流れるテーマも同じ。「夫婦、家族とは何か」である。
秘密と同等の重さを持つ核心部分が、生育歴だ。これに着眼したのは斬新だった。主な登場人物4人は全員、生い立ちにほころびや歪みがあり、そこから抜け出せずにいる。
咲子と充はともに40歳。園田樹生(中島歩)は37歳、妻のあずさは34歳である。30~40代を描くドラマで、生育歴にここまで意味を込める作品は極めて珍しい。
現実に目を向けると、多くの30~40代は多少なりとも生育歴を引きずっているのではないか。たとえば、子供を持ったとき、自分が親から受けたしつけや教育をふと思い出すこともあるだろう。
それでいて「T乾」には親がほとんど登場しない。うまい。親と離れて暮らそうが、生い立ちは人をずっと支配する。それを色濃く打ち出すのが狙いに違いない。
咲子は母親の順子(島本須美)の盲愛と過干渉を受けた。子供のころは友人の選別までされた。咲子が結婚と離婚を繰り返した背景には、順子の影響があるのだろう。
咲子は充に対し、離婚を重ねたことを打ち明けたとき、理由を「家族が欲しかった」と語った。深い言葉だ。順子を嫌悪していたからこそ、理想の家族を探し続け、何度も選び直したのだと受け取れる。親は選べないが、夫や妻は自分で探せる。
半面、逆の可能性もある。過去の結婚相手は順子ほど盲愛してくれなかった。それが咲子の深層心理下では不満だったのかもしれない。嫌いなものを無意識のうちに求めることはある。
咲子は充も自分の理想とは異なることに気づき、また別の相手を探そうとしているのか。それとも1年間にわたって自分を置いて失踪していた充も、自分を盲愛しない存在だと悟ったのか。
翔の存在
充は親からひどいネグレクト(育児放棄)を受けた。幼かった充に対し、ご飯を茶碗によそうことすらしてくれなかったのだから、相当なものである。充が20年間、親に会う気にならなかったのもうなずける。
失踪癖が身に付いてしまったのも無理はない。最も身近な人間関係である家族が、最初から崩壊していたから、対人関係のスキルが極端なまでに乏しいのだろう。
充は家族や職場など、固定化された人との結びつきに耐えられない。咲子とは10年間、固定化された関係を保てたから、「さっちゃんは凄い」と口にする。
咲子が消えると充は見苦しいほど狼狽した。家族愛を知ってしまったからだ。初めて肌で感じた家族愛は、なにものにも代えがたいものだったのだろう。それでいて咲子を残して1年も失踪したのは、自分がいなくなったら咲子がどれだけ傷つくか分かっていなかったためだ。充の親が彼の存在を気にも留めていなかったからである。
樹生は母親の里実(長野里美)と昔から折り合いが悪い。里実の自己主張が強いからだが、仕方がない。過去のドラマに登場する親は隠居感が強かったものの、里実はおそらく50~60代。人生100年時代だから、まだ現役世代であり、自分が主役なのである。樹生に従うはずがない。
里実はやや冷たい一面もあった。樹生は子供のころの自分に対し、里実が愛情を精一杯注いでくれなかったことを根に持っている。樹生が毎朝、5歳の1人息子・翔(久保田薫)を抱きしめるのは、その反動だろう。
もっとも、里実のような母親なら、どこにでもいるはず。それでも樹生が不満なのは、「こうあるべき」という規範意識が高いからだろう。母親や家族についてもそうである。
だから、電車内でお年寄りに席を譲らない若者に対し、意見したあずさに胸を締め付けられた。あるべき規範を堂々と主張したからである。プロポーズのきっかけになった。コインランドリーで月に1回会っていた程度の充とあずさの関係を、「不倫」と決めつけたのも、規範意識の高さからと見る。
テーマの1つが生育歴であることを象徴しているのは翔である。当初は物語にあまり関係のない存在に見えた。彩りとして子供も登場させているように映った。
だが、違った。翔はあずさが他界した途端、咲子に懐く。やがて咲子に園田家に入ってほしいとせがんだ。あずさを失って間もないというのに、涙を流すでもない。奇異な子供に見えたが、あずさによる子育ての影響ではないか。咲子は翔にとって、あずさの後任なのだろう。
どうなる最終回
あずさは児童養護施設の出身。親を知らない。育ててくれた職員は大切にしてくれただろうが、命を懸けて子供を守るような親の愛情とは比べられない。担当職員が辞めたり、配置換えになったりしたら、ほかの職員が後任を務める。翔も咲子を、あずさの代わりの職員のように見てしまったのだろう。
あずさも翔を愛していたはずだ。ただし、自分の居場所や時間も大切にしていた。コインランドリーで充と会っていたことや、命を落とすことになった長野へのバス旅行もそうである。目の離せない幼児の母親としては、多数派ではないはずだ。
児童養護施設の職員は日々の勤務を終えると、自宅で個人としての生活を営む。別の時間を持っていたという点で、あずさとの共通点を見いだせる。
もっとも、児童養護施設で育った人が画一的でないのは言うまでもない。人それぞれである。また、あずさも翔を残して逝くのは無念でならなかったに違いない。
人は、親から与えられた生育歴を抱えたまま、新しい家族をつくる。異なる生育歴が組み合わさるのだから、衝突や摩擦を避けるのは難しい。「T乾」はそれを描いている。
作者の生方美久氏(33)が放送前、「共感や感動を目指した物語ではない」(ドラマの公式ホームページ)と語っていたが、ここまで観て腑に落ちた。咲子の離婚歴、充の失踪癖は理解できる範囲内ではあるものの、共感も感動もない。
生方氏は「人間観察の感覚でお楽しみください」(同)とも話していた。その通りになった。泣けるドラマではないし、生き方のヒントを与えてくれるわけでもない。
では、生方氏やスタッフは何を目指したか。「岸辺」の時代はホームドラマの全盛期だったが、今はすっかり衰退してしまった。その復権を狙ったのではないか。だから目を引くために4回の離婚歴などを織り込んだ。サスペンスタッチの構成にしたことや、毎回のラストシーンを衝撃的なものにした展開も目的は同じだ。
比喩を多用している理由もまた同じであるはず。まず、洗濯は人間関係をきれいにすることを表していると読む。ただし、洗えばすべてがきれいになるわけではない。落ちない汚れもある。
コインランドリーは生活の一部である洗濯を行う場所でありながら、家族から離れたところにある。他人同士が一緒に洗濯を行う。矛盾を表す存在と見る。充とあずさも配偶者にすら語れないことを明かすという、ねじれた行為に及んだ。
最終回はどうなるのか。「岸辺」の場合、崩壊寸前の田島家を、実際に起きた多摩川水害が襲う。田島家が暮らした家が洪水で流されてしまうが、その直前、一家は身の危険も顧みずに家族写真を収めたアルバムを取りに戻る。信頼関係も家も失われようが、やはり家族はかけがえのない存在だった。
「T乾」の咲子にとっても充は代えの利かない存在なのか。それとも過去の4人の夫と同じく、いなくなっても構わないのか。
生方氏による「感動を目指さない」という言葉は、額面通りには受け取れない。胸を打つエンディングが待つと読む。
高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社。放送担当記者・専門委員として、1994年のNHK連続テレビ小説「春よ、来い」のヒロイン途中交代や、1999年のフジテレビ「愛する二人別れる二人」のやらせ問題などを特報する。2015年に毎日新聞出版へ入社し、サンデー毎日編集次長を務める。編集者としては「小池百合子都知事の真実」などを担当した。2019年に独立。元・放送批評懇談会出版編集委員。
デイリー新潮編集部
