ノーラン版『オデュッセイア』は何が凄い?全編IMAXフィルム撮影とVFX裏側
クリストファー・ノーラン監督超大作『オデュッセイア』本予告
日本人の琴線にも響く内容
ついに日本でも公開された『オデュッセイア』であるが、筆者は鑑賞にあまり乗り気ではなかった。「『ダークナイト ライジング』を上回り、クリストファー・ノーラン作品史上1位に!」という宣伝コピーも、「ホントかよ?」という心境だったのである。理由は単純で、予告編がちっとも面白そうに感じなかったからだ。
しかし実際に鑑賞してみると、その完成度に衝撃を受け、感情も大きく揺さぶられた。特に、主人公オデュッセウス(マット・デイモン)が我慢に我慢を重ねた上、その怒りを爆発させて一気に敵を成敗して行くクライマックスの痛快な展開は、高倉健の任侠映画……特に『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』(1966)を連想してしまう。
ただノーランは、東映任侠映画を参考にしたわけではなく、実際に影響を受けた作品として、ニューヨーク・タイムズ紙とのインタビューで、アンドレイ・タルコフスキー監督の『アンドレイ・ルブリョフ』(1966)の映像表現と、黒澤明監督の『乱』(1985)における「環境と風の関係性の描写」を挙げている。
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またオデュッセウスの心理に関しては、原作であるホメロス(※1)の叙事詩『オデュッセイア』に、「辛い仕打ちを受けてもじっと耐え忍べ」「彼らがわしに恥辱を加えても、わしが散々な目にあうのを、じっと耐え忍ぶのだぞ」「我が心よ、耐え忍べ。お前は以前、これに勝る屈辱にも耐えたではないか」(訳:森進一)などと、実際に“健さん的な我慢の描写”がされており、その後の展開についてもほぼ原作通りなのだ。
※1
ホメロスとは特定の個人ではなく、「何世代にもわたる吟遊詩人たちの伝統そのものに与えられた総称(ブランド名)」であるという見方が極めて有力である。また、前段に当たる『イリアス』を作ったグループ(または個人)と、『オデュッセイア』を作ったグループ(または個人)は、別であるという説も主流だ。
※作品のストーリーや展開に関する内容に触れています。未鑑賞の方はご注意ください。
『オデュッセイア』ストーリー
トロイア戦争が終結して10年。イタケの王オデュッセウスは消息を絶ったまま、王妃ペネロペ(アン・ハサウェイ)と息子テレマコス(トム・ホランド)は、帰還を待ち続けている。
しかし王宮では、アンティノオス(ロバート・パティンソン)ら求婚者たちが、王座を奪うために宴を毎夜繰り返し、王国を私物化していた。盲目の忠僕エウマイオス(ジョン・レグイザモ)と、オデュッセウスが飼っていた老犬アルゴスだけが、ペネロペやテレマコスと共に、オデュッセウスの帰還を信じている。
王妃ペネロペとテレマコス
(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS
オデュッセウスはトロイア戦争へ出陣する際、イタケの若者たちから兵士を選ぶために、クジ引きを行なった。この時、戦地行きを意味する短い棒を引いてしまったのが、裕福な名家の息子であるアンティノオスだった。
戦争に行きたくないアンティノオスは、貧しい家庭の若者であるシノン(エリオット・ペイジ)に、「残された家族に十分な金銭的支援をする」という約束で、身代わりを持ちかける。
トロイア戦争が長期化する中、オデュッセウスは海岸に巨大な木馬を作らせ、中に兵士を潜ませる奇策を立案する。そしてその外に、木馬を供物と説明させるため、シノン一人を残す。
だが彼は、トロイア兵の弓矢によって命を落とす。それでも木馬は城内へ運ばれ、夜が静まって木馬から飛び出したギリシャ兵たちが、トロイアを陥落させる。しかしその残虐な行為によって、オデュッセウス一行は神々の怒りを買い、帰還の旅は地獄のような試練へと変貌する…。
盲目の忠僕エウマイオス
(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS
トロイア陥落の描写
ホメロスが書いたとされる『イリアス』は、トロイアの陥落前で終わっており、『オデュッセイア』はそこからの帰還譚であるため、陥落そのものはホメロス原典には描かれていない。
つまり有名な「トロイの木馬」のエピソードは、ホメロスとは異なる詩人たちが書いた、『小イリアス』『イリオウ・ペルシス』『アエネーイス 第2巻』といった、別の叙事詩に表現されたものだ。
(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS
今回、脚本も担当したノーランは、ホメロスの『オデュッセイア』だけでなく、この『イリオウ・ペルシス』と『アエネーイス 第2巻』を大胆に統合しているため、ホメロス原典よりも陥落前後の描写が遥かに詳細になっている。
実はノーランは、『トロイ』(2004)の監督を依頼されてプリプロダクションを行なっていたが、最終的にウォルフガング・ペーターゼンに奪われてしまったという、苦い経験があった。ノーランとしては、その時から構想していたアイデアを基にして、「俺だったらこうするね」という映像を披露したかったのだろう。
BD『トロイ』(2004)
例えば、『アエネーイス 第2巻』におけるシノンは、トロイア人を欺き、ギリシャ軍をトロイア城内に呼び入れるだけの役回りだ。だがノーランは、殺されたシノンを冥界(ハデス)で亡霊として再登場させ、木馬作戦の“原罪”をオデュッセウスに突き付けると同時に、卑怯なアンティノオスへの復讐を誓わせる。これは、完全にノーランの創作だ。
なお原典版『オデュッセイア』は、語り手が複数で、物語が時系列で語られない構造になっている。その意味では、『メメント』(2000)から『オッペンハイマー』(2023)に至るノーラン作品の多くが、時間軸や語り手の視点を、複雑に入れ替えて行く構造を持っており、ホメロスの叙事詩と重なるものがある。
UHD BD『オッペンハイマー』(2023)
配役の問題
キャスティングに関しては、オデュッセウスの息子テレマコスを、童顔のトム・ホランドに配役し、対立する求婚者アンティノオスは、いかにも悪人顔のロバート・パティンソンを選んでいる。このように本作は、非常に分かりやすいタイプキャスティングが行なわれた。
アンティオノス
(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS
一方で脇役のキャラクターには、意外な配役を行なっている。特に、登場シーンはわずかだが、ヘレネとその双子の妹クリュタイムネストラは、黒人俳優のルピタ・ニョンゴが演じている。
これに対し、「ポリコレだ!」という聞き飽きた批判が巻き起こった。特にイーロン・マスクなどは、「ヨーロッパ文学の基礎を破壊している」「ギリシャ人への侮辱だ」と猛批判している。
しかしこれには「ちょっと待て」と言いたくなる。
たしかに、西洋絵画などにおいては、ヘレネは白人として描かれてきた。またホメロスは、彼女の描写に“レウコーレノス”(白き腕の)というエピセット(形容語句)を、何度も用いている。白人至上主義者たちは、この一言を捉えて「ほら見ろ、やっぱり白人だ」と決めつけて来た。
しかし“白き腕”という言葉は、人種とは全く無関係なのだ。これは「野外で泥にまみれて肉体労働をする必要がない」とか、「外に出ず、室内で優雅に暮らす高貴な身分」などを意味する、階級を表現した記号に過ぎない。
実は、『イリアス』や『オデュッセイア』では、ヘレネの具体的な容姿の描写を徹底的に排除しており、読者それぞれの脳内に「人生で出会った最高の美女を想像させる」という、文学的テクニックが用いられている。
つまり、ホメロスの原作におけるヘレネは、特定の固定されたビジュアルを持たない「概念としての美」であり、後世の画家やハリウッド映画は、勝手に自分たちの時代の美意識(白人美女)を投影して来たに過ぎないのだ。
しかし当時のギリシャ(ポリス世界)は、エジプト、ペルシャ、フェニキア、エチオピアといった、様々な人種や文化がダイナミックに交差する、多民族的な地中海ネットワークの一部だった。彼らには現代的な「白人アイデンティティ」など存在せず、人を区別する基準は「ギリシャ語を話すかどうか」だけだった。
女神アテナを演じたゼンデイヤ
(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS
むしろリアリティがあるのは黒人のヘレネ
そもそもギリシャ神話の女性キャラクターが、真っ白な肌で描かれてきた背景には、彫刻が関係している。ギリシャ彫刻には、元々オレンジ~褐色の肌に、黒・茶・赤系の髪といった、鮮やかな彩色が施されていた。女性の肌は、男性の褐色に比べてやや白めに塗られる傾向はあったものの、けっして真っ白ではなく、血の通ったリアルな彩色だった。
しかし、風化して塗料が剥げてしまったり、残っていた色も「美術的価値を損なう」という理由で、18~19世紀に真っ白にされてしまった。その結果、「古代ギリシャ人の女性は、透き通るような白い肌をしていた」という先入観を人々が持つようになる。
さらに言えるのは、古代ギリシャにおいて“世界で最も美しい人間”の代名詞は、他ならぬエチオピアの黒人だった。
ホメロスは、エチオピア人を「非の打ち所がない完璧な民」と呼び、神々すら見惚れる存在として称えている。また後世のヘロドトスも、彼らを「世界で最も美しく高潔」と絶賛しているのだ。だから、ホメロス(実在していたと仮定して)がイメージしていたヘレネは、“至高の美の象徴”であったエチオピアの黒人だった可能性が高い。
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それでも白人至上主義者たちは、ホメロスの英雄たちが“クサントス”(金髪・輝く髪)と形容されることを根拠に、彼らを現代的な“北欧系白人”の容姿として固定化しようとする。
しかし、これほど滑稽な歴史的パラドックスはない。ホメロスの時代、本物の“金髪の白人”たちは、ギリシャの北方に位置するトラキアやユーラシアの荒野に暮らす、文字も持たない“野蛮人”(バルバロイ)や“奴隷”の象徴であった。ギリシャ人が“金髪の北欧系白人”を、文明や美の最高峰として崇めるなど、歴史的にあり得ない妄想である。
ホメロスの語る“クサントス”とは、人種的なブロンドではなく、神の加護を受けた英雄の髪が“黄金の炎のごとく輝く”という、地中海世界における神話的なメタファーにすぎない。『オデュッセイア』のキャスティングに対する批判は、大航海時代以降に捏造された“白人=文明・美”、“黒人=野蛮”という近代の人種カーストを、古代ギリシャに暴力的に逆投影した結果生まれた、浅薄なアナクロニズムの産物なのである。
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東アジア系俳優の起用はありえるのか?
それでも、マスクをはじめとする右派インフルエンサーたちは、本作の多様なキャスティングを『「アカデミー賞の包摂基準」(2024年完全義務化)に迎合した、悪しきポリコレの産物だ』と一様に糾弾する。
しかしこの批判は的外れで、彼らは規則をまともに読んでいない。そもそもアカデミー賞の表現・包摂基準は、キャストを全員白人にしようとも、裏方の制作スタッフやスタジオの雇用体制(基準B~D)で、クリアできるよう設計されているのだ。
だからと言って、本作のすべての配役を無条件に擁護できるわけではない。
例えば、オデュッセウスの船員アンキアロス役の1人に、韓国系アメリカ人俳優のウィル・ユン・リーが起用されている。彼は、テコンドーの黒帯を持つマーシャルアーティストでもあり、セイレーンの誘惑に溺れて海に飛び込むシーンを担うなど、スタント的要員にもなっている。別に彼の演技力に不満がある訳ではないし、筆者自身に嫌韓思想はまったくない。しかし、どうしても彼の存在は、悪目立ちしてしまうのだ。
本作の主要キャストや船員役には、インド系やヒスパニック系の俳優もキャスティングされているものの、リーほど違和感はない。つまり、先ほど地中海文明は多民族的だったと述べたが、遺伝子的には現代の南ヨーロッパ、北アフリカ、中東の人々に近い特徴を持っていたはずだ。
(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS
しかし、その中に東アジア系人種は含まれない。ノーランが、現代劇に渡辺謙をキャスティングするのとは、意味が違ってくるのだ。地中海世界のリアルを追求したヘレネの配役と比べると、東アジア系の起用は歴史的リアリズムを崩している。
これに対してノーランは「特定の民族的リアリズムに縛られるよりも、2800年間に渡り、世界中で語り継がれてきた“人類共通の遺産”として、世界中の観客を体現するような多国籍・多民族のキャストを集めた」と説明している。
つまりノーランは、「アカデミー賞対策」というよりは、「現代世界の縮図」として明確な意志でキャスティングを行なったということだ。彼の目的が“神話の普遍性”の提示にあるのなら、それもまた一つの解釈として成立すると言えよう。
(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS
映画全編をIMAXフィルムで撮影した長編作品
さて、本作は世界で初めて、映画全編を65mm/15パーフォレーション(以下P)のIMAXフィルムで撮影した長編作品となった。日本では、フィルムで映画を制作すること自体、ほぼ無くなってしまったため、これがどれほどスゴイことなのか、実感することは難しいだろう。だから、改めてその歴史から追ってみたい。
英米では、まだフィルム制作の映画は作られているが、ほとんどが35mm/4Pで撮られている。面積比で言うとIMAXフィルム(約70.4×52.6mm)は、35mm映画の10倍強ということになり、写真で言えば6×7cm判に相当する。デジタル画像に置き換えれば、単純比較は難しいが、RGB各色で16K相当の情報量を持つとされ、総合的には14~16Kを超える画質と言える。
そもそもIMAXフィルムは、日本のために開発された特別規格だった。カナダのマルチスクリーン社(Multiscreen Corp.)が、1970年に開催される「日本万国博覧会:富士グループ館」からのオーダーで、1台のカメラとプロジェクターだけで、マルチスクリーンを表現できるシステムとして開発したものだ。
その後、「スクリーンを分割するよりも、1つの巨大画面(ジャイアント・スクリーン)にした方が迫力がある」という発想に至り、社名をIMAXシステムズ社(IMAX Systems Corp.、現在はIMAX Corp.)と改め、万博終了後も、システムとコンテンツの提供、常設館や博覧会パビリオンの企画・運営をすることとなった。
ちなみに個人的な話をすると、筆者は東京・有明13号地で開催された「宇宙科学博覧会」(1978~79)において、人生初のIMAXドキュメンタリー作品『人は大空へ』(1976)を鑑賞し、その圧倒的な迫力に魅せられた。そして、IMAXフィルムで映画を作ることが人生の目標となり、1988~90年にはIMAX社の創始者の1人で、当時の社長だったローマン・クロイターさんの監督作品に、ヘッドデザイナーとして参加させていただいている。
またこの時期は、IMAXに代表される大型フィルム映像の黄金時代でもあった。
まず、IMAXシアターの団体ISTC(International Space Theater Consortium)が、1977年に誕生する。しかし上映館主導の運営体制に、一部の技術者や映像制作者、フィルム業者が反発し、1996年に別団体LFCA(Large Format Cinema Association)を設立した。
さらに、IwerksやSHOWSCAN(ショースキャン)、シネマU、アストロビジョン、JAPAXといった、別の大型フィルム・システムが次々と登場してきたことで、1999年にISTCがGSTA(Giant Screen Theater Association)と改称される。
だがGSTAとLFCAは、会員の約80%が重複しており、年に2回のカンファレンスを別々に開催することは、非効率であるという声が高まる。そこで2つの団体は対立を解消し、2006年に合併して、名称をGSCA(Giant Screen Cinema Association)に改めた。
このISTCから、現在のGSCAに至るまでの共通点は、運営母体が科学館や博物館、プラネタリウム、水族館などの教育施設だったということである。彼らは、「大型映像は教育用であるべき」と強く主張し、そのためコンテンツは基本的にドキュメンタリーに限られていた。(※2)
※2
もっともIMAXの創業メンバーには、それほど強いこだわりはなく、クロイターさんも『ローリング・ストーンズ・アット・ザ・マックス』(1991)のような、コンサート映画を監督している。
IMAXフィルムによる劇映画
1994年にIMAX社は、米国の投資銀行家であったリチャード・ゲルフォンドと、ブラッドリー・ウェクスラーによって買収される。彼らは、ユニバーサル・スタジオのOMNIMAX(IMAX DOME)アトラクション『バック・トゥ・ザ・フューチャー:ザ・ライド』(1991)を手掛けたダグラス・トランブルを、一時的に副会長として招き入れ、テーマパーク事業への積極的な参入を試みた。
新経営陣たちが目指したもう1つの事業が、IMAXフィルムで劇映画を制作するという試みで、その先鞭を切ったのが、フランスのジャン=ジャック・アノーだ。
彼が監督した『愛と勇気の翼』(1995)は、初の全編IMAX 3D方式で制作された、上映時間50分のドラマである。これを、ニューヨークや新宿に設けられたシアターで公開することで、“IMAX=教育映画”というイメージから脱しようという戦略だった。
しかし、IMAXによる劇映画は、なかなか増えていかなかった。1つは、上映設備の機械的な問題である。
IMAXのプロジェクターには、巻いたフィルムを載せる円盤を、水平に設置するプラッターが使用されているが、その構造的限界から、連続上映時間が約45分~60分程度に制限されていたのだ。
そこで、プラッターの直径を拡大させ、支持アームとベアリングの強化、フィルムの正確なテンション調整や速度同期のデジタル管理、フィルムベース素材の薄型化などの改良が行なわれ、連続上映時間は年々向上していった。現在は、最大180分まで可能になっている。
IMAX DMRやIMAXデジタルカメラの登場
だがもう1つの問題として、映画自体の製作費がとてつもなく高くなってしまうことがあった。そこで、既存の劇映画をエンハンスし、IMAXフィルム撮影に近付ける技術IMAX DMR(Digital Media Remastering)が開発され、『アポロ13』(1995)のIMAX版として2002年に公開された。現在、IMAX版として公開されている映画の多くは、この方法を用いている。
UHD BD『アポロ13』(1995)
2008年にVision Research社が、Phantom 65という4Kデジタルシネマカメラを開発すると、IMAX社はそれをIMAX撮影用に改造し、ドキュメンタリー作品『Born To Be Wild 3D-野生に生きる-』(2011)や、『トランスフォーマー/ロストエイジ』(2014)の一部に使用した。
ブルーレイ3D『Born To Be Wild 3D-野生に生きる-』(2011)
ブルーレイ3D『トランスフォーマー/ロストエイジ』(2014)
その後も様々なメーカーから、4.5~8Kのセンサーを搭載したデジタルシネマカメラが登場する。IMAX社は、自社の規格に合格したという認証を与え、「Filmed for IMAX」と呼ぶ制度を2020年に定めた。ただ、こういったデジタルシネマカメラで制作された作品も、「IMAXで撮影」と宣伝されるため、一般人にはフィルム撮影と違いが分かりにくくなっている。(※3)
※3
65mm/15Pフィルムで実際に撮影された作品は、「Shot with IMAX Film Cameras」(もしくは「Shot with IMAX」)と呼ばれる。
IMAXフィルム撮影にこだわるノーラン
しかしノーランは、あくまでも65mm/15PのIMAXフィルム撮影に、こだわり続ける。
彼とIMAXと出会いは、16歳のころに「シカゴ科学産業博物館」で観たOMNIMAX(現在はレーザープロジェクションによるジャイアントドームシアターに交換)に感動し、全編IMAXフィルムで劇映画を撮る夢を抱いた(その気持ち分かるぞ!)。
OMNIMAXの映写機。写真は、日本に現存する「鹿児島市立科学館」のもの
そしてまず、『ダークナイト』(2008)で部分使用に挑戦する。その後も、『ダークナイト ライジング』(2012)、『インターステラー』(2014)、『ダンケルク』(2017)、『TENET テネット』(2020)、『オッペンハイマー』などに用い続けた。
『オッペンハイマー』メイキングより
(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS
しかし、IMAXフィルム・カメラには問題も多い。まずその重さである。
標準的なカメラであるMSM9802に、1000フィート・フィルムを装填し、最低限のレンズを装着した時の重量は、約45~50kg(約99~110ポンド)にもなってしまう。だが、『インターステラー』以降のノーラン作品で撮影監督を務めるホイテ・ヴァン・ホイテマは、その強靭な体力で手持ち撮影を行なってしまった。
さらにホイテマは、『ダンケルク』の戦闘機の後部座席に乗り込み、操縦士を横から撮影するために、潜望鏡型レンズ(ペリスコープレンズ)の開発をパナヴィジョン社のダン・ササキに依頼。このレンズは、『オッペンハイマー』の抽象的な素粒子の特撮にも、プローブレンズ(防水広角マクロレンズ)に改造されて使用された。
さらにササキは、『オッペンハイマー』の人物の広角クローズアップ撮影にも、既存レンズを分解・再設計して最短撮影距離を極限まで縮め、「パラノイア・レンズ」と呼ばれた特殊レンズ(改造版Panavision Sphero 65)も開発している。
IMAX Keighleyカメラ
ではなぜノーランは、『オデュッセイア』まで映画全編をIMAXフィルムで撮影しなかったのだろうか。
例えば『オッペンハイマー』には、PanavisionのPanaflex System 65という、65mm/5Pカメラが併用されている。これはノイズ対策によるもので、IMAXフィルム・カメラは騒音が大き過ぎて、同時録音ができなかったのである。
そこで今回IMAX社は、約30%(※4)の静音化を実現させた、IMAX Keighley(※5)カメラを開発した。これだけではまだ同録はできなかったので、ブリンプ(防音ケース)も同時に開発している。
新開発されたIMAXフィルムカメラ「IMAX Keighley」
(C)2026 IMAX Corporation. All rights reserved.
クリストファー・ノーラン監督と、『オデュッセイア』で撮影を務めたホイテ・ヴァン・ホイテマ
(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS
だが改良点はそれだけではなく、チタン製フレームやカーボンファイバー製のパーツを、ボディに多く採用した。これによって強度を高めつつ、海上ロケでの潮風や水しぶきに耐えられるよう耐食性も向上させ、劇的な軽量化も実現させた。
しかし軽くなったとは言いつつ、ブリンプに収納してしまうと、その総重量は約136~181kg(300~400ポンド)と、一気に跳ね上がる。
これほど重さに差があるのは、ブリンプが単なる一つの箱ではなく、現場の状況に合わせてパーツを組み替えるモジュール式になっているからだ。つまり、通常の会話シーンは必要最低限の防音カバーのみで、役者にぐっと近寄った距離で、そしてささやき声を録音するような状態では、徹底したフル装備になるというわけだ。
ただこのブリンプは非常に大きくなってしまったため、至近距離での撮影時には、俳優の目の前を遮ってしまう。そのため「俳優同士が目線を合わせられない」という問題が生じてしまった。これを解決するために、レンズの横に二枚の鏡を取り付け、(潜望鏡のように)カメラの向こうにいる俳優の顔が見える器具も開発された。
(C)2026 IMAX Corporation. All rights reserved.
さらに、レンズによっても重量に差が出る。特に重かったのは、ササキがパナヴィジョン社のPrimo 65シリーズを改造したIMAX用アナモフィックレンズである。
しかし、元々アナモフィックレンズは、35mmスタンダード・フィルムをシネマスコープのアスペクト比2.35:1にするため、横方向を光学的に圧縮/復元する目的で作られたものだ。本作は全編が1.43:1(※6)で制作されており、アナモフィックを使用する合理的な必然性は本来存在しない。
これについてホイテマは、「IMAXフィルムの過剰な解像度を避けるため、アナモフィック特有の水平フレアや周辺の有機的なボケ味を、神話世界の質感として取り入れたかった」と語っている。
つまり、映像の“味”を優先した選択のため、横方向に拡大した上で、画面の左右を切り捨てるという、極めて贅沢な判断と言える。しかし、解像度を犠牲にするのであれば、軽量でノイズレス、ボディも小さい65mm/5PのPanaflex System 65で撮影し、左右クロップするだけで、多くの問題はすべて解決するはずだ。
(C)2026 UNIVERSAL STUDIOS
一方IMAX Keighleyカメラは、一度に撮影できる時間が最大2分半~3分しかなく、俳優はフィルム交換の度に演技を中断し、テンションを維持し続けなければならない。また海上ロケでは、波や風といった自然現象の“最良の瞬間”を逃す危険もある。
ホイテマの手法は、大型フィルム特有の浅い被写界深度に、アナモフィックレンズの甘い周辺フォーカスの問題が乗ってくる訳だ。これは、合理性より“美学”を優先した(ある意味、自己満足的な)選択であり、IMAX撮影の本質との間にズレを生じさせているようにも思える。そのためなのか、海外では「ずっとピントが甘い」という批判も目立つ。
※4
公式発表では約30%だが、ホイテマは体感で15~20%と述べている。
※5
IMAX Keighleyカメラの名称は、2025年8月に亡くなったデヴィッド・キーリー氏への敬意を込めて命名されている。キーリー氏は、IMAXがドキュメンタリー中心だった時代から、プロデューサーやポストプロダクション・コンサルタントとして、500本以上の作品に参加していた。1988年に自身のDKP 70mm社をIMAXに売却し、IMAX社の最高品質責任者となる。ノーラン作品では、コンサルタントとして監督の要望を機材開発に反映させていた。
※6
国内ではIMAXフィルム上映はないため、アスペクト比1.43:1での鑑賞は、109シネマズ大阪エキスポシティかグランドシネマサンシャイン池袋の、IMAX GTテクノロジーで観るしかない。
『オデュッセイア』のVFX
ノーラン監督と言えば、CGを使わないというイメージが定着している。しかしそれは半分正しくない。
『バットマン ビギンズ』(2005)以降、9本のノーラン作品のCG/VFXを担当してきたのが、ダブルネガティブ社である。1998年にロンドンで創業した会社で、2014年にインドのプライムフォーカス社の傘下に入り、ムンバイとバンクーバーにもスタジオを開設した。また2017年以降は、社名をDNEGと表記するようになっている。
DNEG x Christopher Nolan | Showreel
ではノーランが、具体的に他の監督と何が違うかと言うと、プラクティカルな方法でギリギリまでチャレンジし、どうしようもない場合のみCG/VFXを用いる(※7)というスタンスなのだ。
例えば『TENET テネット』では、クライマックスの舞台となる「スタルスク12」の実物大セットが作られ、400人の軍人がエキストラとして集められた。だが、最終的に使用されなかったものの、DNEGは背景も含めたフルCGのデータも用意していた。これは緊急に必要になった場合の保険だそうだ(このように表に出ない場面も含めると、『TENET テネット』には約1,000ショットのCG/VFXがあった)。
またこの戦場を飛び交う大型ヘリコプターは、実際に本物も4機いるのだが、それ以外に精密なラジコン模型と、DNEGによる3DCGモデルが混在している。
ラジコン模型は、強制遠近法(Forced Perspective)で実機の手前にいるように撮影されており、完成画面から違いを見分けるのはほぼ不可能だ。この強制遠近法は、今回の『オデュッセイア』でも使用された古典的フィルムトリックである。
Is This The GREATEST In-Camera Effect of ALL TIME?
例えば、鎧を着たライストリューゴーン族(巨人族)の描写では、210cmを越える身長を持った男性たちを集め、ギリシャ兵たちは150㎝以下のスタントマンたちが演じている。とりわけマット・デイモンの代役は、137cmという小柄なスタントウーマンのデヴィン・ダルトンが務めた。さらに両者の違いを強調するために、カメラ位置を工夫して強制遠近効果を出している。
※7
だが『オッペンハイマー』では「No CG」を偽装するために、DNEGの全スタッフ160人以上の内、実に125人(8割以上)の名前をエンドクレジットから排除してしまった(映画の最後に登場する全面核戦争のイメージを、「No CG」と言い張るのは無理があり過ぎる)。
この不条理なクレジット除外が引き金となり、DNEGロンドンのスタッフを中心に、英国の労働組合「BECTU」への加入・連帯の動きが一気に加速した。
そこで今回は、アンディ・ロックリーやジャコモ・ミネオらをVFXスーパーバイザーとする、886人のDNEGスタッフが係わり、その内346人がクレジットされている。全員の名前はDNEGのサイト上に掲載された。
キュクロプスとの遭遇
オデュッセウスの部下たちが、単眼の巨人キュクロプスに捕らえられ、次々と殺されるシーンは、「ネストールの洞窟」で撮影された。ここは、ギリシャ南西部のペロポネソス半島メッシニア地方にあり、『イリアス』や『オデュッセイア』に登場するピロスの老王ネストールが、家畜を育てるための小屋として使っていたと伝えられる場所だ。
ここに、巨大な機械仕掛けのパペット(フランスのアート集団La Machineのような感じ)を設置して、俳優たちと同時に撮影する。これによって俳優に影を落としたり、目線合わせ、照明の自然さが得られる。このパペットのサイズは、公式発表では18m(初代ガンダムと同身長)となっているが、洞窟内の高さを考えるとギリギリであり、正確な大きさには疑問も残る。
そして、『インターステラー』に登場した、箱型ロボットTARSのパペットも操っていたビル・アーウィン(※8)が、特殊メイクをしてキュクロプスを演じ、二つの映像は巧みに合成された。さらにDNEGが、キュクロプスの顔を3DCGで加工し、リアルな表情描写を行なっている。
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だが、このアーウィン演じるキュクロプスが兵士を食べるシーンで、シリコン製の兵士の人形であることがバレバレになって一気に冷める。本来ならば、もがき苦しんで手足をバタバタさせるはずだろう。ここで3DCGのバーチャル俳優を用いても、誰も文句は言わないと思うのだが、そうまでしてCGを使いたくないのか、大きく疑問を感じた箇所だ。
※8
モーション・キャプチャーも担当していたらしい。おそらく洞窟から出て、海(3DCG)に入って行くまでの追跡シーンに関係していたと思われる。
魔女キルケーの島
「アイアイエー島」に上陸したオデュッセウスの部下たちは、魔女キルケー(サマンサ・モートン)の罠に掛かり、ブタに変身させられてしまう。飢えた船員たちが、汚らしくガツガツ食べ、次第にブタになっていく様子は、何となく『千と千尋の神隠し』(2001)を連想させる。
だが、それ以上に思い出されたのは、『狼男アメリカン』(1981)、『ハウリング』(1981)、『遊星からの物体X』(1982)、『狼の血族』(1984)といった、80年代前半のボディホラーである。
この時代は、ディック・スミス、リック・ベイカー、ロブ・ボーティンといった特殊メイク・アーティストが、スターとして扱われた時代だった。これは、ノーランが映画に夢中になり始めた11~14歳ごろと重なる。
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映画用語に「ダミーヘッド」というものがある。俳優の顔に直接アプライエンスを貼って行く特殊メイクと、精密なロボット技術を用いるアニマトロニクスの中間のような手法で、精密な頭部モデルの内部に、エアシリンダーやバルーンなどを仕込む。今回はこのダミーヘッドを用い、実際にモートンの手の中で、リアルタイムかつ物理的に顔を変形させている。
またアイアイエー島には、覇気のない猛獣たち(元は人間だったという設定)が至る所にいる。本作には多くの調教師がクレジットされており、実際の動物も用いられている。しかし現在は、動物愛護的に狩りの描写などは描きにくい。そこで、DNEGのクリーチャー・スーパーバイザーであるクビシ・ユニスを中心に、3DCGの動物たちが作られた。
これと並行して、カリフォルニア州サウザンドオークスにある、Animal Makersという工房が、いくつかの精巧なアニマトロニクスを提供している。狩りの標的にされるイノシシは、ここが用意したものだ。
また同社の重要な仕事に、オデュッセウスの飼い犬であるアルゴスがいる。生きている時は、三世代のポデンゴ・ポルトゥゲスという犬種が演じ分けている。だが20年が経ち、打ち捨てられている瀕死の老犬となった状態は、Animal Makersが用意したアニマトロニクスだ。
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怪物スキュラと、カリュブデスの大渦巻
アイアイエー島を出港した一行は、セイレーンの誘惑を受ける。魔女キルケーの助言があったことで、被害者はアンキアロス1名だけで済んだ。
だがキルケーは、その先に6つの頸を持つ怪物スキュラと、カリュブデスの大渦巻が挟み込む、海峡が待ち受けると予言する。彼女は、「6人の犠牲を覚悟してスキュラの岩山の近くを通り抜けよ」と、オデュッセウスだけに残酷な助言をしていた。すると岩山の上から、ヤマタノオロチのようなスキュラの頸が迫って来て、6人の船員たちを連れ去ってしまう。
この場面の撮影方法は、まずスタントコーディネーターのジョージ・コトルが、スタントマンたちをケーブルで空中に吊り上げる仕掛けを用意した。DNEGは、こうやって撮影された映像に、3DCGによるスキュラの頸を合成している。
またカリュブデスの大渦巻も、ちょっとユニークな方法で作られている。まずジェットスキーを用意し、海上でグルグル廻った映像を撮影する。DNEGは、これをリファレンスとし、3DCGで渦巻を表現して実写の海に合成した。
このようにノーランは、新旧のテクニックを巧みに組み合わせ、常に最良の映像を探っている。そのすべてが成功している訳ではないが、けっして“信者”が言うように「No CG」ではない。
また今回は扱う余裕がなくなってしまったが、ノーラン作品のもう一つの魅力は、圧倒的な音響の力だ。これは絶対に家庭では再現できないものであり、劇場で体験するしかない。IMAX上映館が近くになくても、できるだけ高度な音響設備と、大きなスクリーンを持った劇場を探して体験して欲しい。
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