くじけそうになるたび思い出す姿、学科の先輩「夢奪われた順子の分も生きる」…上智大生殺害30年
東京都葛飾区で1996年に起きた上智大生殺害事件は今月9日、発生から30年となる。
被害者・小林順子さん(当時21歳)の大学の先輩で、山形市の会社員冨樫信一郎さん(53)は、仕事や病気でくじけそうになるたび「ジャーナリスト」への道半ばで命を奪われた順子さんを思い、気持ちを奮い立たせてきた。(林麟太郎)
「落ち込んでんなよ」「それじゃ駄目じゃん」
引っ込み思案だった自分を明るく励ましてくれた彼女を忘れない。外国語学部英語学科の1学年下で、気っぷのいい下町生まれの姉御肌。93年10月に英語学科の新入生の面倒を見る「ヘルパー」に共に選ばれ、すぐ仲良くなった。順子さんからは有名落語家に似ているとの理由で「志の輔」と呼ばれていた。
順子さんは留学経験がないのに、帰国子女が集まる英語力が最も高いクラスにいた。それを鼻にかけることもなく「海外でも通用するジャーナリスト」を目指し、留学費用に充てようとアルバイトに精を出す姿はまぶしくて「尊敬出来る後輩」だった。
96年3月、卒業式の式典を終えて冨樫さんが教室に戻ると、会いに来てくれた順子さんと真っ先に目が合った。気が進まない就職を控えて憂鬱(ゆううつ)そうにしていた様子を心配してくれ、いつもの調子で「頑張ってね」と優しく送り出してくれた。それが最後に見た姿になった。
「順子さんが亡くなりました」。半年後の96年9月、友人からの連絡に衝撃を受けた。米国留学が2日後に迫っていたという。通夜直前、ひつぎの中で花に覆われて静かに横たわる順子さんと対面した。「夢への一歩を踏み出すはずだったのに」。涙が止まらず、友人に抱えてもらいながら葬儀に出た。
順子の分も一生懸命生きよう--。都内の会社で17年働いた後、2013年に故郷の山形県に戻り、地元スポーツチームの運営会社に再就職した。仕事でつまずいたり、人間関係に悩んでうつ病で休職したりしたこともあったが、順子さんの墓を訪れ「原点」を思い返すと、気分が和らいだ。
地方を活性化するという目標達成に向け、23年に経営学を学ぶオンラインの大学院に入学した。かつて順子さんが仲間の輪を広げてくれたように、多くの同級生との勉強会を率先して開いた。そして、大学時代から夢だった海外留学も、タイのチュラロンコン大に短期留学することができた。
冨樫さんは、順子さんとの思い出を誰かに語ることで目立ちたくないと考えていたという。ところが数年前から「懸命に夢を追った若者が無念の死を遂げたという事件の記憶を風化させたくない」との思いが強まり、メディアの取材に応じ始めた。
事件から30年。「順子の夢を奪い、家族や友人を悲しみの底に突き落とし、今も苦しませている罪は重い」と、犯人へ怒りが薄れることはない。
昨年5月から英語学科の同窓会の役員を務める。「後輩たちに事件のことはもちろん、順子のように夢のために生きる大切さを伝えたい」。いつも応援してくれた彼女が、今度もきっと背中を押してくれるはずだ。そんな気がしている。
◆上智大生殺害事件=1996年9月9日、上智大4年の小林順子さん(当時21歳)が自宅で粘着テープなどで縛られ、首などを刺されて殺害された。自宅は放火によって全焼した。遺留物から犯人は血液型A型の男と判明している。
不審な男 3D画像公開…警視庁
事件発生から30年の節目にあわせ、警視庁は事件当日に現場近くで目撃された不審な男の3D画像を公開した。
同庁がこれまでに事件に投入した捜査員は、延べ約12万人に上る。市民から計1843件の情報が寄せられたが、容疑者の特定には至っていない。
有力な手がかりとみられているのが、事件直前に現場近くの交差点で目撃された不審な男の情報だ。身長1メートル50~60のつり目のやせ形で、黒い傘を差し、黄土色のコートに黒っぽいズボンを着用していた。
同庁は、ホームページで男のイラストを公開してきたが、イメージがわきやすいように、今回新たに3D画像を作成。情報を募るポスターも新たにデザインし、都内の主要駅や警察署などに掲示する。
情報提供は亀有署特別捜査本部(03・3607・0110)へ。
