画家は蒐集家である|モーリス・ドニ、もうひとつの情熱
蒐集は交友録である
中身が凄い。ゴーガン、ゴッホ、セザンヌ、ルドン。若き日にアカデミー・ジュリアンで机を並べたボナール、ヴュイヤール、セリュジエ、ランソン。ただし金に飽かせた買い漁りではない。売れない時代の仲間の絵を買って支え、自作と交換し、病床の友を描いた小品まで手元に置いた。ヴュイヤールが療養中のルーセルを描いた小さな油彩は、ドニの家のサロンに掛けられた。敬愛するルドンからは、逆に自分の横顔をリトグラフに刻んでもらっている。壁に掲げられたボナールの手紙の一節がふるっている。「選りすぐりの愛好家に自分の絵を持ってもらえるのは嬉しいものだ」。売る側の画家にここまで言わせる買い手も、そういない。
その一方で、1919年にある宗教画を手に入れたときは、友人への手紙にこう書いた。「セリュジエは、そしておそらく他の連中も、僕の新しい買い物の前を通るとき顔を覆うだろう」。仲間に呆れられようが、欲しいものは欲しい。世の蒐集家はみな、身に覚えがあるはずだ。なお展示品には個人蔵が多く、まとめて見られる機会はそうそうない。
始まりは王の城
コレクションの出発点がまた出来すぎている。1891年、ルイ14世が生まれたこの街の王城で開かれた美術展で、21歳のドニは組織委員として仲間の作品を並べる側に回った。ナビ派のランソンは骨折りへの礼として、青いテンペラの小品「リュストラル」を贈ったと考えられている。買う前にまず、仲間のために働く。ドニの蒐集は、最初から友情と地続きだった。
写真で集める「空想の美術館」
展示には奇妙な一枚がある。ドラクロワがルーヴルの天井画のために描いた下絵の、写真である。下絵そのものは現在も所在不明。つまり手に入らないもの、失われゆくものを、ドニは写真で蒐集していた。フラ・アンジェリコの祭壇画の大判写真も壁に掛けていたというから、マルローが1947年に唱える「空想の美術館」を、半世紀近く先取りして自宅で実践していたことになる。写真を仕事にする僕には、ぐっとくる話だ。
日本の間で
そして今回、僕の足が一番長く止まったのは日本の間だった。広重や北斎を含む約100点の浮世絵。多くは当時最も身近だった役者絵だ。膨大なコレクションの中でロートレックはたった一点きり、それが「ディヴァン・ジャポネ(日本の長椅子)」のポスターだというのも意味深長である。圧巻は歌麿の母子図とドニの「モーヴのガウンの母」を並べた壁だ。鏡台の前で乳を含ませる江戸の母と、部屋着で娘を抱く妻マルト。100年と9000kmを隔てた二枚が、同じ静けさを分かち合う。ドニが日本から受け取ったのは線や色面の技法だけではない。日常の中の母と子を、描くに値するものと見る眼差しそのものだった。
パトロンという同志
ドニを買い支えた側も濃い。最大のパトロン、ガブリエル・トマは、22歳のドニに天井画を描かせ、やがてシャンゼリゼ劇場の装飾へと押し上げ、購入した絵にはルネサンス風の古額を自ら選んで与えた。美術館は言う。「額も作品の一部と見なすべし」。買った絵にどんな額を着せるかまでが蒐集家の仕事だった時代である。
蒐集された蒐集家
順路の終わり近く、展示室の壁にこう記されている。「Un collectionneur collectionné」、蒐集された蒐集家。生涯をかけて買い、贈られ、交換した男は、没後、自らが丸ごと蒐集される側になった。作品も、集めた品も、家も、庭も、ひとつのコレクションとして王の街の丘に保存されている。ガレージの一台一台に来歴があるように、この家の壁の一枚一枚に友情の物語がある。蒐集家にとって、これ以上の結末があるだろうか。パリからRER A線で30分。同好の士の家を訪ねるつもりで、扉を叩いてみてほしい。
モーリス・ドニ県立美術館(Musée départemental Maurice Denis)
2 bis, rue Maurice Denis, 78100 Saint-Germain-en-Laye
パリからRER A線サン=ジェルマン=アン=レー駅下車、徒歩約10分
企画展「Maurice Denis Collectionneur : Bonnard, Gauguin, Sérusier」
2026年5月7日~2027年1月31日
写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI

