高知・明徳義塾の老将「高校野球が面白くなくなってきておる」過熱するスカウティングと変わる視点

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過熱するスカウティングに警鐘

高知・明徳義塾の監督である馬淵史郎(70)が試合後に発する言葉はいつも、僧侶の説法のようだ。

とりわけ甲子園を去る時は「敗軍の将、兵を語らず」ではなくむしろ兵を語り尽くし、勝敗の分岐点を解説して厳しくも温かい視線を球児に送る。そして「帰って練習します」の言葉を残し、可能な限りその日のうちに高知に戻ってゆく。この夏、初戦の日南学園(宮崎)に9回サヨナラで敗れた老将はいつもよりさらに雄弁だった。

「悔しいけどね……このチームは(甲子園は)無理かなと思って、諦(あきら)めかけた時期もあったんですよ。150km/hを投げるピッチャーもいなければ、長打力もない。それでもバントを絡(から)めて、″ザ・高校野球″をやれば甲子園までは来られるということを証明できたと思いますけどね」

明徳義塾はカツオ漁の盛んな須崎市の谷あいに位置し、選手は脱走もままならない土地で寄宿生活を送る。携帯電話は今もって禁止であり、「明徳野球道場」の看板が掲げられたグラウンドを訪れれば昭和にタイムスリップしたかのよう。馬淵自身、昭和62(’87)年より明徳でコーチを務め、平成に入ってすぐに監督に就任。’02年夏には全国制覇を達し、甲子園通算勝利数は歴代4位の55勝だ。

三つの元号を駆け抜けてきた名伯楽を筆者は一度、怒らせたことがある。’19年春のこと。当時、付属中の有望選手がそのまま高校に進学せず、他府県の強豪校に進学することが相次いだ。

人里離れた地で、団体生活と野球漬けの日々を送ることを現代の球児は敬遠するのではないか--つまり、馬淵の野球は時代錯誤ではないかと問うたのだ。すると怒気混じりに「そうは思わん」と否定し、プロ野球選手の輩出実績を強調しながら、過熱する高校野球のスカウティング(選手勧誘)に警鐘を鳴らした。

「素材の良い選手を集めたところが甲子園で勝つ。高校野球が面白くなくなってきておる」

馬淵の言葉は、現在の高校野球を予見していたかのようだ。3年前の夏、筆者は中学硬式野球で日本一の呼び声が高かった東海中央ボーイズを訪ねた。主力の小野舜友(しゅんすけ)と江坂佳史は横浜(神奈川)に進学して下級生ながら昨春のセンバツ日本一に貢献し、智辯和歌山に進んだ捕手の山田凜虎(りとら)もそのセンバツで決勝を争い、世代を代表する選手に成長している。

つまり、有望中学生の進学先が数年後の勢力図を占い、スカウティングの勝者が甲子園を制するのが令和の高校野球だ。再び、日南学園戦後の馬淵の説法である。

「このままでは高校野球が衰退する。身体が小さくても、足が遅くても、キャッチボールから丁寧に教えて頭を使えば高校野球まではできるということを常に言っているんです。入学してくれた選手でなんとかするのが監督の役目。ただ、わしももう70や。(110回の記念大会である)2年後には引退します」

そんな捨て台詞を吐いた馬淵だが、15年程前には60歳、10年前には65歳での引退を公言していた。老将は死なず、今後も肌は真っ黒に日焼けしたままだろう。

4人部屋より2人部屋

昭和の時代には当たり前だった「練習中の水分摂取禁止」や「ウサギ跳び」も非常識となって久しく、投げ込みによる地肩作りや徹底した走り込みによる下半身強化に疑問を抱く野球人も多い。

だが、そうした根性論に拠(よ)った指導者はいまだ存在する。たとえば横浜の監督である村田浩明(40)は春季神奈川大会準決勝・桐光学園戦でエースの織田翔希を186球で完投するまで降板させなかった。8対6という僅差とはいえ、200球に迫る球数を投げさせるのは酷使ではないか。それでも横浜高校というブランドに惹(ひ)かれる球児は跡を絶たず、全国の有望選手が同校の門を叩く。

令和の時代の中学生は、甲子園への行きやすさだけでなく、自分が一番成長できる環境であるかどうかで、進学先を選択する。グラウンドの広さや室内練習場の有無、トレーニング器具の充実度に加え、寮が何人部屋であるかも重要な要素だ。こうした施設面で中学生に人気なのが、群馬の健大高崎である。

今夏の甲子園、3回戦・佐野日大(栃木)戦に先発したのは1年生の大橋叡刀(えいた)だった。軟式野球部に属した東京の駿台学園中学時代に30校以上から勧誘があったという、ミライモンスターである。

「ジャパンのメンバーも入学すると聞いていて、レベルの高いなかで成長したいと思っていました。トレーニング設備もそうですが、風呂が広かったことも、寮が2人部屋だったことも大きかった。迷っていた学校は綺麗な寮だけど、4人部屋だったんです……。個別練習が長いところも、自分のなかでは惹かれました」

たしかに健大のグラウンドに足を運ぶと、ブルペンやサブグラウンドを含め選手が敷地内の各所に散らばり、個人練習に励む印象は強い。整頓されたロッカールームに加え、サウナや酸素カプセル、水素カプセルなども完備されている。また、投手の大橋にとって、監督の青胗博文(54)や部長の生方啓介(45)ら指導者が投手陣の球数の管理を徹底している点も決め手となった。

「投げる日、投げない日を指示してくださりつつ、調整は自分たちに任せてもらっています。走り込みも長距離を延々と走るというよりかは、中距離を繰り返すようなランメニューがメインになります」

昨年のドラフトで同校からオリックスに3位入団した佐藤龍月(りゅうが)は、2年夏に左ヒジの故障によりトミー・ジョン手術に踏み切った。生方部長は言う。

「佐藤の経験から、故障予防には気を遣っています。毎週月曜日に週末の試合のローテーションを組み、投手陣はそれに向けて調整をしていく。試合では監督が表を作って球数を管理しています。肩肘の張りがあれば1週間ピッチングを止めたり、あえて投げ込む日や、フォーム固めを徹底する日を作ったりしています」

『FRIDAY』2026年9月4日号より

取材・文:柳川悠二(ノンフィクションライター)