板東英二さん

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 後年の芸能活動で上書きされてしまった感があるが、7月22日に死去した板東英二さんの球歴はさんぜんと輝いている。1958年、徳島商のエースとして甲子園に出場。“1試合25奪三振”“大会83奪三振”はいまだに破られていない大記録である。

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 中日ドラゴンズでは77勝をマークした。2年遅れで入団した権藤博氏(87)は、

「私の方が2歳上なのに“おい権藤!”と呼び捨て。プロの世界はこんなものかと受け流しましたが。メシは私から誘っていましたね。杯を交わすうちに陽気になるタイプでした」

 東大野球部からドラゴンズに入団し、後に球団代表を務めた井手峻氏(82)は、

「当時の中日選手の大半は、名古屋市内の公団住宅住まい。板東さんはご近所で、子供たちが同じ年頃だったこともあり、一緒にハワイ旅行に行ったり、家族ぐるみのお付き合いでした」

板東英二さん

 引退後、名古屋のラジオ局で野球解説者に。そこで上岡龍太郎と知己を得た。

“おもろい奴おるで”

 大阪・朝日放送の元プロデューサーが振り返る。

「“新しいテレビの顔”で新番組を、と構想を練っていたら、上岡さんから“おもろい奴おるで”と。それが板東さんでした」

 79年開始の生放送番組「THE ビッグ!」は、メイン司会の板東さんの両脇を桂文珍と笑福亭鶴瓶が固めた。

「板東さんと文珍、鶴瓶がそろう楽屋はいつもにぎやかで文字通り時がたつのを忘れてしまいました。オンエアに気付かず、フロアディレクターが駆け込んできて“テーマ音楽流れてます! 早く早く!”。三人慌ててステージに走った、なんてこともありました」

 さて、板東さんといえば“ゆで卵好き”で有名。実は、当時から楽屋にはゆで卵が用意されていた。

「板東さんがお好きだと聞いていたので、共演者分も含めて10〜20個ほど楽屋に置いていました」

「出演料も要らん」

 芸能界でも頭角を現すにつれて“ゆで卵”は伝説と化してゆく。2007年、日本テレビ系「ラジかるッ」のゲストとして初めて登場した時のことだ。

「板東さんはスタジオに入るなり“ゆで卵おまへんか?”。好物と聞いてはいましたが……」

 と、日本テレビの関係者が苦笑する。

「スタッフをファミマに走らせ、スタジオ脇で卵2パック20個をゆでて笊(ざる)ごと差し出し“オンエア中、気にせず食べてください”。そうして、板東さんがゆで卵をパクつきながらニュースにコメントする、という異例の番組ができたのです」

 エンディングでは、板東さんが“ごちそうさまでした”と、空っぽになった笊を振っていたのだとか。

「この演出がお気に召した板東さんは“出演料も交通費も要らん。いつでも呼んで”。お言葉に甘えて何度もお呼びしてしまいました」

訃報を聞き、出られるはずもない携帯にかけてみたら……

 ……なんて具合で、ゆで卵ばかりが語られがちだが、元メジャーリーガーの川上憲伸氏(51)によると、

「名古屋にお越しの際に連絡があり、いつも二人で酒を酌み交わしました。中日OBとしてより、徳島商野球部の後輩としてかわいがっていただいたように思います。健啖家で、とりわけフグ料理がお好きでした」

 ただ、そんな川上氏も最後に会ったのは5年ほど前で、晩年は知らないという。

 井手氏も12年の所得隠し問題以降、音信不通になったそうだが、訃報を聞き、

「出られるはずもない板東さんの携帯電話にかけてみたら、次女の方が出てくれて“最期は自宅で、いつものようにお昼を取った後、スッと亡くなりました”と」

 享年86。泉下でもゆで卵に舌鼓を打っているだろう。

「週刊新潮」2026年8月13日・20日号 掲載