陽の光は変わらず降り注ぐ(筆者撮影)

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 大学卒業後、テレビ局で数多くのドキュメンタリー番組や教育番組の企画・制作に携わり、退職後は大学でメディア論について教えてきたY・Jさん(62)。彼の日常は、がんの告知を受けた日を境に大きく変貌を遂げます。2024年の7月末に“その日”を迎えたY・Jさんに、まもなく次なる難題が降りかかります。それは「家族にはどう伝えるべきか」でした。【Y・J/大学教員、映像作家】

※個人情報およびプライバシーに配慮し、内容の趣旨を違えない範囲で一部の表現を変更しています。

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「妙に疲れやすく、腰に痛みがある」から1カ月後

「治療をしても平均的には1年の命」という告知を受けた私は、精密検査の予約をとって病院を後にした。2024年の7月末、東京は茹だるような暑さだったが、これが自分にとって最後の夏になるかもしれないと思うと特別な気がした。直射日光があたるベンチにあえて腰かけ、スマートフォンで先々の予定をしばらく眺めていた。多分それは、真っ先にしないといけないことからの逃避だったように思う。しなければならないことはわかっていた。

陽の光は変わらず降り注ぐ(筆者撮影)

 がんになったことを家族に告げる――。

 一人で告知を受けた私は、今度は家族に対して告知をしないといけない。これは気が重かった。がん患者のどれほどが一人で宣告を受けるのかは知らないが、私が一人で病院に行った理由は単純で「ちょっと体調が悪い」ぐらいにしか考えていなかったからだ。大ごとではないと思っていたから、家族にも友人にも何も伝えずにいた。細かい話になるが告知に至るまでの経緯を少し書いてみる。

 告知を受ける1カ月ほど前、まず、近所のかかりつけ医を訪れた。「妙に疲れやすく、腰に痛みがある」という症状を聞いた医者は、「なるはやでCTスキャンを受ける」よう勧めてくれた。今にして思えば、かかりつけ医にはがんの予感があったのだろう。

 一方、がんの可能性など考えていなかった私は、「最近は早めに検査するのがトレンドなのか」ぐらいの認識で、その場で翌日のCT検査を予約した。大病院で受けるものだと思っていた私は、意外にも近くの商店街でCT検査を受けられることを初めて知った。都市部ならではなのかもしれない。

 だが、1週間後、検査結果を見たかかりつけ医は「腫瘍の可能性があるので大きな病院に行った方が良い」と勧めてくれた。ここで“最悪の結果”を予想して動くべきだったかもしれない。とはいえ、その時点でも、私は深刻に受け止めていなかった。

「非がん世界」で60年も生きてきた私は、今日までの生活が、明日も変わらず続く前提を微塵も疑わなかった。結局、家族にも言わずに都心の大きな病院に行き、改めて、がん細胞に反応する造影剤を使ったCTスキャンを撮影した。さらに、超音波エコーと血液検査を受け、そして、“突然の告知”に至った。

数カ月後の自分が想像できない

 告知を受けた7月末に話を戻す。「がん世界」に足を踏み入れたばかりの私には数カ月後の自分が想像できなかった。抗がん剤の辛い副作用で苦しんでいるかもしれない、これまでのように働けないかもしれない、それどころか歩けないかもしれない、食事も満足に摂れないかもしれない、精神的に不安定になっているかもしれない。そもそも、生きているかどうかもわからない。

 この時の私にとって「がんであることを家族に告げる」とは、ありとあらゆる不具合が起こりうると知ってもらうこと。さらに、その上で生活を共有していけるのかどうかを考えてもらうことだった。

 最初に伝える相手は妻だった。だが、お世辞にも良い夫婦関係だったとはいえず、言葉を選ばず気楽に話すことはできそうになかった。反応を考え、どう話そうかと考えるだけで、伝えるべき内容の重さが3割増しになった。「一緒に告知を聞けたらよかったのに」と思うが、それができなかったからこうなっただけのこと。そしてこうなった以上、早めに話さないとますます重くなることは明白だった。

 自分ががんになったことを、どういう手段で、どういう言葉で家族に伝えるか、これは大きな問題だった。

 前提として妻は私の体の変調を知らなかった。日常的にコミュニケーションがあれば何かの予感も伝わっていただろうが、私たちの関係はそうではなかった。

 そんな状況でどうやって伝えればいいのか。

 電話だろうか。

 少し考えたが違う気がした。電話したときに子どもと一緒だったら、そして、がんの話を聞いて妻の顔に困惑の色が出てしまったら、何か良くない影響を周囲に及ぼしそうに思えたのだ。

妻の反応は意外なほど

 LINEも同じだ。相手の空間に割り込んでダイレクトに届けるような情報ではない、と思った。結局、二人だけで話したいことがあるとLINEでメッセージを送ることにした。

 そして、妻と対面し、言葉で「がんになったこと」と「治療をしなければ数ヶ月の命だと言われたこと」を告げた。

 妻の反応は意外なほど冷静だった。予感していたような落ち着いた振る舞いだった。

 あとで妻から聞いたところ「二人だけで話したいことがある」という短いメッセージだったことで何らかの病気である可能性を考えたらしい。

 正直なところ、妻が取り乱すのではないか、と考えていなかったわけではない。しかし、そのときの夫婦関係から考えれば当たり前の反応とも思えた。結果的に、あまり感情的にならずに、これからのことを話すことができた。

 私たちにとって重要なことは「子どもにどう伝えるか」ということだった。

 私の考えは「包み隠さずそのまま言う」だった。妻も同意してくれた。二人の子どもは
 大学生と高校生だった。自宅のリビングで、少しだけ改まって、意識してさらっと事実を告げた。子どもたちは、少なくとも表面的には冷静に受け止めてくれた。私はその態度をありがたく感じた。

患者本人への告知率は94%

 私の場合は、一人で告知を受け家族に伝達するということになったが、患者本人ががんであることを知らされるのは、近年まで一般的ではなかったように思える。

 前回『白い巨塔』で、治療の見込みのないがん患者に告知をすることはショックが大きいとしてタブー視されてきたことを書いたが、今ではどの程度、告知されているのか。

 私の知る限り最新の情報が、2016年に国立がん研究センターが全国778施設を対象に行った調査だ。告知率は94%に達している。

 1993年に厚生省(当時)ががん患者を看取った遺族に聞き取りをした調査では18.2%だったので、23年間で告知率は飛躍的に伸びたことになる。

 告知率が上がった背景には、患者数の増加や、医学の進歩がある。社会として目を背けていられないほど患者が増え、一方で、様々な治療法が確立し、治癒や延命の可能性が切り拓かれた。そうした状況のもと、2006年に成立した「がん対策基本法」では基本理念に〈本人の意向を十分尊重してがんの治療方法等が選択されるように、がん医療を提供する体制の整備がなされること〉が掲げられた。

 とはいえ、一介の患者としては、告知を受ける前にこのような知識があったわけではない。私が一人で告知を受けることになったのは、単なる成り行きだった。

一人で告知を受けることの意義

 そこでふと、信頼を寄せる誰かと一緒だったらどうだろうと想像してみる。診断結果を聞くとき、もしがんだったとして、宣告のショックを一緒に受け止めて、吸収してくれる人がいれば、衝撃も軽くなるかもしれない。

 だが、心配もある。がんであると告げられたとして、取り乱すかもしれない自分を預けてしまっていいものか。

 付き添う側にしてみるとどうだろう。付き添いを頼まれる段階ですでにただならぬ空気が漂うかもしれない。「もしかして、がん?」と思いつつも簡単には口に出せないだろう。不安を感じながらも、顔に出さず、病院に同行するのはそれだけでとても気が重いに違いない。

 一人で告知を受けた私はダメージもあったが、高精細な記憶として脳に刻まれた。今になって考えれば、これは悪いことではなかったと思う。

 その後に続く「がん世界」のスタート地点に自分で杭をたてたような感触。うまく言葉にできないが、この後に押し寄せる不自由さのなかに、微かに自分の意思を残してきたような気がしている。

Y・J
1963年生まれ。京都大学大学院を経て、テレビ局に就職し、数多くのドキュメンタリー番組や教育番組を手掛ける。退職後は大学に転職し、現在も教員としてメディア論や社会学などを教えている。

デイリー新潮編集部