山の上から見た二十四道拐。(貴陽=新華社記者/施銭貴)

 【新華社貴陽8月15日】中国貴州省黔西南(けんせいなん)プイ族ミャオ族自治州晴隆県の晴隆山南西斜面にある「二十四道拐」と呼ばれる道路は、24カ所のつづら折りが連続することから名付けられた。反ファシズム戦争の東方主戦場として注目を集め、たびたび海外メディアで取り上げられている。

 太平洋戦争の勃発後、日本軍は中国侵略を加速させ、抗日戦争は激しさを増していった。当時、中国は海外からの支援物資を輸送するため、ビルマ公路とレド公路を相次いで開通させ、物資を一度雲南省昆明まで運び、さらに貴州省につながる滇黔(てんけん)公路で最前線へ送り届けた。

 二十四道拐は滇黔公路上に位置する。子どもの頃から晴隆県で暮らしてきた蔣士民(しょう・しみん)さん(84)は「機械設備が足りず、二十四道拐の建設では採石や掘削、土砂運搬など全て人の手に頼っていた」と語る。

 山麓から峠までの直線距離は約350メートル、高低差は約250メートルだが、二十四道拐の全長は4キロにも及ぶ。傾斜角60度の急斜面に、山の地形に沿ってS字を描く道路を建設した。幅6メートルの道は大半がカルスト岩層の上に築かれており、工事は困難を極めた。

 晴隆県档案館(公文書館)の竜昌東(りゅう・しょうとう)共産党支部書記は「中国東部沿岸の主要輸送路が日本軍によって封鎖されていたため、昆明に運ばれた物資は二十四道拐を経由しなければ前線へ届けられなかった」と語った。

 抗日戦争の勝利後、地元では二十四道拐を保護するため、その脇に晴隆山を越える新たな道路を建設した。かつて多くの人や物資が行き交った二十四道拐も、今や県内で最も有名な観光地となっている。

 晴隆県観光サービスセンターの竜予(りゅう・よ)主任は「毎年、イ族のたいまつ祭りの時期には多くの旅行会社が団体客を連れて来るので、たいまつで二十四道拐を照らすイベントなどが大いににぎわう」と説明。県はここ数年、二十四道拐を軸に、ドライブツアーやハイキング、歴史体験、研修などの商品を打ち出し、多くの観光客を誘致している。(記者/汪軍、施銭貴)