2022年は炎天下のもとマスクを着用して応援を続けた(時事)

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 夏の風物詩として親しまれる高校野球。生徒が学校行事として応援に参加するケースもある一方、そのあり方を疑問視する声も上がっている。2022年には、香川県の高校生の相談をきっかけに、「高校野球の強制応援撤廃」を求める署名活動も行われた。

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 署名活動はオンライン署名サイト「change.org」を中心に行われたが、そこには16歳高校生の声として、こう綴られている。そこには、16歳の高校生の声としてこう綴られている。

〈香川県立〇〇高校では高校1年は野球応援が強制。それもお金は各自の自腹。証拠のURL(年間行事予定表)の7月には野球応援練習(1年)とある。なぜ強制かつお金は自腹なのか? 私は野球に興味関心はない〉

 果たして高校野球応援は学校行事として、どこまで"強制"されているのか。その実態とは──。【前後編の前編】

参加して当たり前、いわば「原則参加」

 2024年、香川県は市民から寄せられた「高校野球の応援の強制について」という意見に回答している。

「熱中症警戒アラートが続く中でも応援を強制している」との指摘に対し、県教委は、当該校が野球応援を「遠足などと同様、学年全体で参加することを原則とする学校行事」と位置づけていると説明。編集部が問い合わせたところ、2026年7月現在も、その原則に変更はないと回答した。

 香川県以外でも、高校によっては、野球応援を「学校行事」として位置づけるケースもある。その場合、生徒は参加しなければならないのだろうか。学校問題に詳しく『学校ハラスメント』(朝日新聞出版)等の著書を持つ名古屋大学教授の内田良氏は、学校行事の位置づけについてこう説明する。

「学校行事は、国語や数学などの"教科"と同じで、『参加する』という点では位置づけは同じです。参加して当たり前で、いわば『原則参加』です。自由参加ではありません。自分の気持ち次第で行かないという事態は想定されておらず、『好き嫌いにかかわらず、来てください』というものです。ただし、数学の授業を欠席するのと同じように、健康上の理由などで休むことはできます」

 この「学校行事」が夏休み期間中か学期中かで見方は変わるという。「学習指導要領上の位置づけとして」と前置きして、内田氏は続ける。

「通常、夏休みに"教科"が設定されることはありません。どうしても国語をやりたい場合には、"補習"という形で行います。ただし、"補習"は正規の活動ではないので、原理的には参加は自由です。

『学校行事』を夏休み中に設定する例はあまりないものの、学校として本気でそれに取り組むのであれば、学校行事として設定することは可能です。その場合は基本的に生徒は参加する前提になります」

 これらは私立、公立問わず同じであるという。なお、7月の夏休み前に学校行事として「野球応援」を設けるケースもあるが、「その場合も、学校行事として実施されれば、基本は参加してくださいという前提です」。

「炎天下に2時間いろ」と強制する学校行事

 一方で内田氏は、「そもそも炎天下での応援に参加させること自体」が問われるべきだと指摘する。

「最近でこそ甲子園大会で選手の熱中症対策は進んでいますが、アルプススタンドの観客は自分でなんとかするしかありません。地方大会になると選手も応援団も、さらに過酷な状況に置かれていることでしょう。

 学校行事に設定するということは、生徒に対して、『炎天下に2時間いろ』と強制することになります。これは、どんな教育的意義があるとしても危うい。せめて自主的な参加にするというのが、この炎天下ではもっとも適当ではないかと思います。参加が前提の学校行事としてしまうことは、制度設計に危険が伴います」

 2026年、年々夏の厳しさが増す現状を受けて、気象庁が予報用語として新たに「酷暑日」を追加した。炎天下での応援の過酷さは想像するにあまりある。しかしそれも昔は違ったはずだ。

 行事としての高校野球応援は一体いつからはじまり、なぜ現代まで続いてきたのだろうか。

(後編につづく)