「格闘技がなければ局アナを選ばなかった」フジテレビを退職しRIZINへ…鈴木芳彦アナが貫いた”覚悟”と”格闘技愛”
格闘技を愛したアナウンサー
「格闘技がなければ、僕はアナウンサーという仕事は選んでいませんでした」
こう語るのは、RIZINをはじめ国内で行われる数多の格闘技イベントで実況アナウンサーとして活躍する鈴木芳彦さん(47歳)である。
元々はフジテレビの社員として、地上波放送が行われていたRIZINで実況アナウンサーを務めてもいた。‛22年、那須川天心対武尊戦をメインとした『THE MATCH 2022』が開催直前に放送中止になって以降、フジでの中継が事実上の休止となるや、RIZINで仕事をするために安定した局アナの地位を離れた。日本の格闘技ファンの間ではRIZINと言えば鈴木アナ。そう見る向きもある。
鈴木さんと格闘技との出会いは幼少期までさかのぼる。祖父のあぐらの上で見た「アントニオ猪木対アンドレ・ザ・ジャイアント」の一戦に心を奪われて以降、格闘技に惚れこんだという。
命を削るようにして戦う格闘家の姿にも憧れたが、将来の目標になったのは、突飛な比喩・造語を次々に放つ実況でお茶の間を沸かせた古舘伊知郎アナだった。
鈴木さんは当時、古舘氏を継ぎ「ワールドプロレスリング」といったテレビ朝日のプロレス中継の実況を担当していた辻よしなり氏の母校・慶應義塾大学に進むと、早々にテレビ朝日が運営するアナウンサー養成学校「アスク」にも入学した。
順風満帆な歩みに見える。だが、鈴木さんの夢は早々に一度ついえてしまう。就職活動がうまくいかなかったのだ。
憧れだったプロレス中継のホーム局・テレビ朝日への就職はかなわなかった。そればかりか、テレビ局への就職もかなわなかった。鈴木さんがアナウンサーとして歩み始めたのはフジサンケイグループのラジオ局・ニッポン放送だった。
もちろん、格闘技の実況はできるはずもない。鈴木さんは「見ると落ち込むので一時は格闘技観戦からも遠ざかっていた」と当時を振り返る。
巡ってきたチャンス
だがその後、鈴木さんはまるで格闘技の神に愛されているような数奇な出会いにより、あこがれの舞台に辿り着くことになる。
鈴木さんにこれまでと、自身の格闘技愛について語ってもらった。
就職活動を経て一度は夢がかなわなかった鈴木さんだが、腐っていたわけではなかった。‛03年にニッポン放送に就職するとアナウンサーとしての修業期間だと思い働いた。
「当時のニッポン放送ではアナウンサールームとスポーツ実況をやるスポーツ部が分かれていました。入社後まずは3年間アナウンサールームで経験を積み、スポーツ部に配属される予定だったんです。
ニッポン放送に入社してからも『いずれは格闘技実況をやりたい』と言い続けていました。私の思いを組んでいただき当時ラジオ番組を統括していた制作部長から『4年目に入ったら野球などのスポーツに行こう』と言われていたんです」
当時の鈴木さんは「スポーツ実況の現場でアナウンサーとして経験を積み、いずれは独立。衛星放送の格闘技番組で実況をする」という漠然とした未来図を描いていた。
そんな鈴木さんに予期せぬ形でチャンスが舞い込む。ときは‛05年、鈴木さんはライブドアによるニッポン放送買収劇に端を発する、いわゆるライブドア騒動に巻き込まれてしまったのだ。
フジテレビに転籍してから
当時ニッポン放送はフジテレビの親会社だった。ライブドア側は親会社を先に落とし、フジテレビの経営権を掌握する腹積もりだった。一方のフジサンケイグループは資本の親子関係の逆転を迫られるなかでニッポン放送からフジへアナウンサーを含めて約50人の社員が転籍することになる。
当時フジテレビは大みそかのPRIDE放映を皮切りに格闘技に力を入れていた。格闘技好きを公言していた鈴木さんにフジ転籍の話が舞い降りた。
「放送業界の歴史上類を見ない騒動でした。いろいろあり、アナウンサーとしては私を含めた10人ほどがフジテレビに転籍することになりました。
フジに移ってからは、いい意味で特別扱いされることはなかったですよ。実はフジサンケイグループではグループ企業内の同期入社した社員を集めてグループ研修をするんです。ですのでアナウンサーの同期たちは見知った顔でもありました。
とはいえ、看板番組であるめざましテレビのプレゼンターをしていた石本沙織さんが隣のデスクになって私のデスクに『困ったときは何でも言ってね』と、書置きをしてくれていたときはさすがに感激しましたね」
鈴木さんは希望通りスポーツの仕事を担当することになる。‛06年の6月ごろからはK-1チームの仕事も任されるようになり、ようやく念願の格闘技の実況ができるようになった。だが、ここでも順風満帆とはいかなかった。
大みそかに放映されるPRIDEチームの仕事も担当できるかと思っていた矢先、フジテレビ側はDSEとの契約解除を発表した。
「朝の帯番組」に興味がなかった理由
地上波での露出と放映権収入を失った影響は大きく、PRIDEは‛07年に消滅してしまう。その後、鈴木さんは焦燥感を覚えながらも、フジテレビのアナウンサーとして邁進し続けた。
「目の前の仕事に対してとにかく必死になって頑張るしかないと思っていました。サラリーマンでしたから。スポーツでは野球もやりましたし、当時始まったばかりのフィギュアスケートのカップル競技の実況も任されました。
バラエティ番組や『とくダネ!』ではおすぎさんが担当していたエンタメ特集のサブキャスターもやりましたね。
格闘技に深く関われないので『どうしたものかな』とは感じていたのですが、充実はしていたと思います」
局のアナウンサーと言えば「朝の帯番組のメインキャスター」が花形にも思える。だが、鈴木さんは全く興味がなかったという。
「朝早くに起きたくなかったんです(笑)。同僚や上司からは珍しがられましたが、私にとってはプロレスなどの格闘技実況を担当するのが一番の目標でした。他の仕事では古舘さんに憧れていましたから、バラエティの司会者もやってみたいとは思っていましたが。
余談ですが、私が在籍していたころのフジでは、バラエティだけは制作陣からの指名制でした。ですから、お仕事を頂けることは光栄なことだったんです。
ですから、後年フジを離れてからフジのバラエティ班から『99人の壁』や『27時間テレビ』などのアナウンサーに抜擢してもらえたときは本当にうれしかった」
RIZINの実況を任されて
そして‛15年、またしても鈴木さんに大きなチャンスが舞い込んでくる。後に国民的な人気を博す格闘技イベントRIZINが始まったのだ。フジは旗揚げから契約を獲得した。だが過去にフジは、一方的にPRIDEの放送から撤退していたため、当時実況していたアナウンサーたちは関わらなかった。実況の適任者は誰か。鈴木さんしかいなかった。
「‛15年の10月体操世界選手権の実況の準備をしていたときのことです。当時のアナウンス室長に呼ばれまして。『格闘技中継が始まる。お前がやってくれないか』と。もちろん『私がやります』と答えました」
当時の鈴木さんは30代後半、アナウンサーとしては脂の乗り始めた時期だった。メインだけでなく、若手の指導をするリーダーのようなポジションも任されるようになる。その後続くRIZIN首脳陣との接点もここでできた。
「‛15年11月、元大関の把瑠都さんがMMAデビューを控えていて、高田道場で公開練習をしていた。その現場で榊原(信行)さんとご挨拶をしたのが、初めての出会いになりました。このときはさすがに人生をかけたお付き合いになると思いませんでしたが」
そこから鈴木さんはRIZINのメイン実況として数多くの試合を間近で見続けた。印象深い試合は何か。そう聞くと「すべて印象深いが、あえて挙げるなら」と、いくつか答えてくれた。
「‛18年9月30日のRIZIN.13で行われた那須川天心対堀口恭司戦でしょうか。那須川選手は『神童』と呼ばれる無敗のキックボクサー。対する堀口選手はMMAの世界トップ団体UFCのトップランカーであり、のちにRIZINバンタム級王者になる日本MMA界のトップスターでした。
PRIDEやK-1が全盛期だった時代で言えば、魔裟斗対山本KID徳郁戦のような世紀の一戦だったのです。その実況をするわけですから、さすがにナーバスになりました。前日、緊張のあまり眠れなかったのは後にも先にもこの試合だけです」
鈴木アナが愛される理由
こうしてRIZINの顔のような存在になっていった鈴木さんだが、フジはRIZINの放送を取りやめてしまう。格闘技の実況がなくなってしまうことは、鈴木さんにしてみればフジテレビに在籍している意味がなくなってしまうと感じるほどの出来事だった。「6割がた辞めるつもりだった」という。
もちろん、葛藤もあった。せっかく入社した大企業である。格闘技の実況に携わることができない以外に辞める理由はなかった。だが、鈴木さんのRIZIN愛と格闘技愛を知る者たちが後押しした。
「榊原さんが顎足枕(交通費や食事、宿泊費)付きで大会に呼んでくださったんです。また、RIZINの映像プロデューサーでフジ出身の佐藤大輔さんと共にランチの席で今後の進退について相談する場を設けてもいただきました。ほかにもSNSでファンの方の『鈴木アナ帰ってきて』という投稿も目にしました。アナウンサー冥利に尽きます」
鈴木さんは‛22年9月14日フジテレビを退社し、RIZINアナウンサー(社員)へと転身する。当時の湊社長から背中を押されるほどの円満退社だったそうだ。退社を報告するときの会見で鈴木さんは「RIZINを実況したい、格闘技を実況したいという気持ちは、愛は止められませんでした」と涙ながらに思いを吐露している。
鈴木さんの”RIZIN復帰戦”となったのは‛22年9月25日開催の「超RIZIN」だ。
格闘技界の将来を考えて
鈴木さんの格闘技愛は留まるところを知らない。メインキャスターを務めるRIZINだけでも年間10大会超あるわけだが、それ以外にも総合格闘技団体DEEPやシュートボクシングのほか、柔術や海外の格闘技の実況をすることもある。皇治選手主催の格闘技イベント「NARIAGARI」では、新ルールの提案をしたり、公開計量についてのアドバイスを行ったりもしている
「DEEPの佐伯(繁)さんとは榊原さんを通して知り合いました。榊原さんとは家族であるなら、佐伯さんは親戚。そんな距離感です。シュートボクシングとの関係性は創始者であるシーザー武志さんとの出会いがきっかけでした」
‛18年、まだフジ所属だった鈴木さんは元総合格闘家の高田延彦氏に「シーザーさんと飲むから」と、とあるホテルにある中華料理店に呼び出された。酒と料理を肴に皆既月食を見守る。そんな会合だったという。
いよいよ皆既月食が迫るなか、高田氏が一言「鈴木君、実況して」。無茶ぶりに懸命に応える鈴木さんの姿がシーザー氏の胸を打ったのか「皆既月食まで実況するやつには会ったことがない」と、今日まで続く仕事が決まった。
そんな鈴木さんは現在47歳。自身のアナウンサーとしての将来、ひいては格闘技界の将来を考えることも増えたという。未来のための取り組みに力を入れるようになった。
「これからは配信の時代です。どの放送局、配信先で配信されるかは都度変わります。そうした時代にテレビ局中心の格闘技実況はファンのストレスになる。なぜかというと、中継局が決まるたびに該当する局のアナウンサーが付け焼刃的に格闘技のことを勉強するような形になってしまうからです。
逆にRIZINで言えば私のように各プロモーションに専属アナウンサーがいて実況する形になれば、どこで配信をしても私の実況になりますから、質が担保されます。実はアメリカのスポーツ実況はUFCにしろ、野球にしろ、このように運営されています。
とはいったものの、私は47歳、これからの格闘技界を盛り上げるためには次世代のアナウンサーが絶対に必要になります」
鈴木アナの“サプライズ”とは
そうして、昨年12月に鈴木さんが立ち上げたのが「RIZIN実況アカデミー」だ。全国から公募で弟子を募り、鈴木さんが直接指導をするというコンセプトでスタートした。現在は書類試験と面接、そして実技試験を突破した次世代アナ候補たちが鈴木さんの元で修業している。
「最初の基礎はアナウンススクールで学んでもらい、今は私と共に試合に帯同してもらい実践で経験を積んでもらっています。たとえばアマチュアMMAの大会に協力していただき、弟子のために席を用意し実際に実況し逐一私が添削しています。そのほか、各イベントの合間を縫って近場のカラオケボックスに集まって、試合映像を元に私が指導しながら実況してもらってもいます。
キー局のアナウンサーはアナウンサー以外の部署も面接に関わりますが、弟子は私の目で見て純粋に才能と資質だけで選んでいるので素材が良いです。かわいい弟子たちですね」
鈴木さんはそう自信をのぞかせる。鈴木さん自身の目標は何なのか。
「RIZINを大きくすること。そして格闘技のメジャーリーグを日本に取り戻したいと思っているのです。実はまだ公にできませんが、目標達成のために考えていることがあります」
そう笑みを浮かべながら語った。鈴木さんの‘サプライズ’とはいかに……。
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