震災がなければ、誰も考えなかったことがある。

人口およそ1500人の石川県・奥能登の小さなまち、輪島市町野町。2024年の能登半島地震と9月の豪雨によって傷ついたこの地に、2025年7月7日、小さなラジオ局が誕生しました。

臨時災害放送局「まちのラジオ」--その発起人は、町野復興プロジェクト実行委員会の山下祐介委員長です。

「情報が届かなくなった」--開局を決意させた瞬間

地震から半年が過ぎた2024年の夏。避難所に身を寄せていた住民たちが仮設住宅へと移り始めたころ、山下さんは静かな危機感を覚えていました。

町野復興プロジェクト実行委員会・山下祐介委員長「今まで多くの方が避難所に生活をしていた状況が少し変わったということもあって、情報が届かなくなった」

一か所に人が集まっていた避難所とは違い、仮設住宅へ分散した住民たちに情報を届ける手段が見当たらない。そこにさらに追い打ちをかけたのが、2024年9月の奥能登豪雨でした。

「多くの情報があふれるけれども、うまく届かない、間違った情報がやはり回ったりっていうことが起きて、少し情報が混乱した」

その経験が、山下さんの背中を押しました。「これはやはりラジオ局って必要なんじゃないか」という確信とともに、開局への決意は固まります。

「下手です、でもそれでいい」--手探りのスタート

山下さんたちは、東日本大震災で災害ラジオ局を立ち上げた宮城県女川町へ出向き、番組作りを学びました。総務省や女川FMからは機材の提供も受けました。

そして2025年7月7日、町野の中心部に建てられた約7畳のプレハブのスタジオから、電波が放たれます。

開局の日、マイクの前に立った山下さんは正直な言葉を口にしました。

山下さん「実は昨夜、本当に遅くまで練習してました。正直、下手です。でもそれでいいと思っています。まちのラジオなので、まちのみんなで作る、まちのためのラジオだと思っています」

パーソナリティーを務めるのは、農家、消防士、スーパーの店員--10代から50代の住民たちです。プロのアナウンサーは一人もいません。それでも平日正午からの1時間半の生放送を軸に、収録番組も加えて24時間、電波を途絶えさせませんでした。

開局わずか1か月後、再び大雨が町野を襲う

開局からひと月も経たない2025年8月、町野は再び大雨に見舞われました。用水があふれ、土のうが崩れる。被害が各地で広がる中、山下さんたちは防災無線に先駆けてラジオで注意を呼びかけます。

山下さん「どこから情報を集めてきて、どうやってそれを伝えるのか、その情報はいつ出すのか、いつまでやるのか、ずっと判断を迫られて、悩みながらやった」

立ち上げたばかりのラジオ局が、最初の正念場を迎えました。手探りのまま情報を発信し続ける日々。それでも電波は止まりませんでした。

住民の声が放送を育てた

スタジオ近くの小中学校では、給食の時間にまちのラジオが流れるようになりました。子どもたちは友達の声がラジオから聞こえてくることを楽しみにしています。

生徒「自分たちの友達が出てたら、すごく聴くのが楽しくなります」

富山県からわざわざ訪れたラジオファンもいました。

ファンの男性「開局からずっと聞いていて、みんなでまちの応援するきっかけになっているような気がするので、これからも聞いて応援していきたいと思います」

1年間でまちのラジオに寄せられたメッセージは、約1000通。住民の一人は、こう振り返りました。

住民「不安な気持ちの中で、果たしてやっていけるだろうかっていうときに、ラジオさんが一生懸命応援してくださって、ほんとにそれはありがたかったです」

こうした地域への貢献が全国的にも評価され、まちのラジオを運営する町野復興プロジェクト実行委員会は総務大臣賞を受賞しました。

「一睡もせずに1周年を迎える」--記念日の朝

2026年7月7日、開局1周年の朝。

スタジオの机には、エナジードリンクとカップラーメンが並んでいました。徹夜で準備を続けた山下さんは、苦笑いとともに現状を報告します。

山下さん「初めて使う編集ソフトを触ったら、音が出ない。音が出ないっていう、もうしょうもないトラブルから始まって。今日は一睡もせずにまちのラジオ1周年を迎える。まあでも、1年前もそうだったんでね」

仲間が返すと、スタジオに小さな笑いが起きました。

この日はふだんとは異なる特別編成で、朝8時、昼の生放送、そして夜7時の計3回の生放送に挑みます。

朝の放送を担当したのは女性パーソナリティー2人。交通情報や地元新聞の気になる見出しを交えながら、農村地区ならではの話題で盛り上がりました。「亀虫が多いと雪も多くなる」という地元の言い伝えが、農家の住民たちの共感を呼びます。

この日、県内でも話題となった能登空港のリニューアルオープンは、現地からの生中継で伝えました。

「町野のみんなで」仮設商店街も1周年を祝う

開局当時は更地だったスタジオ周辺には、この1年で仮設商店街がオープンし、にぎわいの中心へと変わりました。

1周年の当日、商店街では全店舗で記念キャンペーンが行われました。老舗和菓子店は赤飯の販売と紅白饅頭のプレゼント、弁当店は山下さんが好きなマカロニサラダを盛り込んだスペシャル弁当を用意。スーパーは365日休まず放送が続いたお祝いに、刺身を365円で販売しました。

山下さんの妻・桂子さんが店長を務めるベーグル店は、地震で全壊しました。現在は使える機械で焼き菓子を作り、仮設商店街で営業を続けています。この日は地元の豆腐を使った特製チーズケーキをプレゼントとして用意しました。

「まだ作れていないものもある」と桂子さんは言いながらも、「米粉のおやつはちょっと販売できるようになったので、皆さんにたくさん来ていただいて、食べていただけたらなと思います」と前を向きます。

昼は保育園児の生歌、夜は仮設住宅の中継へ

昼の生放送では、近所の保育園児たちがスタジオを訪れ、生歌を2曲披露するという初めての試みが行われました。

生放送中のパーソナリティーが中継のためスタジオを飛び出し、スタジオ近くの東陽小中学校の給食時間を訪問。給食の七夕ゼリーについて中学生が説明する声を生放送で届けました。

その様子を聞いていた小学生は「私も出たくなりました」と期待をにじませました。

児童「リクエストで好きな曲が流れたり、豆腐で何ができるかとかよく分かるから、ラジオは好きです」。

夜7時の最終生放送では、地域の子どもたちが太鼓の練習に打ち込む姿や、仮設住宅の集会スペースで開かれていた催しの様子を中継で伝えました。

徹夜明けのまま1日中すべての放送を裏方として見守り続けた山下さん。3回目の生放送が終わり、スタジオにようやく解放感が漂います。

山下さん「予定どおり、朝昼晩3回の放送をやると決めて、実際に放送を最後まで終わらせることができた。まずはほんとに良かったなと、率直に思います」

「頑張れば実現できるものっていっぱいある」

スタジオの前には、去年と同様に笹の葉が取り付けられ、住民たちの願い事が飾られました。山下さんは短冊に寄せられた願いの変化に気づきます。

山下さん「去年はやっぱり1日も早い復興がとか、そういったメッセージが多かった中で、今年は今まで通りの願いっていうのが少しずつ増えてきたなというのが印象的ですね」

復興への切実な祈りから、日常の小さな願いへ。その変化こそが、1年の歩みを物語っていました。

山下さんは、まちのラジオをこう定義します。

「まちのラジオとは、希望ですかね。きっと震災がなければ、このまちに新しいラジオ局ができるという話は、誰も考えなかったのかなと思っています。頑張れば実現できるものっていっぱいあるんじゃないかなということを示す1つのきっかけにもなれたのかなと思います」

そしてこう続けました。

「住民の声を伝えるというのは、自分たちの仕事というか、今やらなきゃいけないことだと思っているので、そのへんは気持ちがブレずに続けているつもりですし、2年目は更に走っていきたいなと思います」

きょうも響く“まちのウェイ”

まちのラジオには、開局当初から使い続けているフレーズがあります。放送の締めくくりに必ず口にする言葉--「まちのウェイ」。

「ウェイっていう勢いの言葉と、道を表す英語のwayと、この2つがあって、勢いづけて進む町野の道という意味も込めての言葉」だと山下さんは説明します。

地震と豪雨に傷ついたふるさとに、今日もまちのラジオが響きます。

「それでは今日も一緒に。まちのウェイ」

※まちのラジオの1年を追った動画は、8月30日までTVerで配信されています。