副首都、指定が複数に及ぶ可能性も…自治体間の予算ぶんどり合戦も懸念
大規模災害時に東京のバックアップなどを担う「副首都」の設置に関する法律が7月に成立した。
日本の首都は東京だと国内外で認知されているが、実は首都を明確に定めた法律はなく、副首都の具体像も曖昧だ。そもそも「首都」とは何なのか。
法律の定義「首都圏」のみ
首都は一般に「その国の中央政府のある都市」(広辞苑)とされる。日本に首都を定めた法律はないが、東京には首相官邸や省庁、国会、最高裁判所があり、首都・東京は「日本国民誰もが疑いなくそう信じている」(1979年、参院内閣委員会での答弁)との政府見解もある。
日本で中央集権的な国家体制が確立されたのは、大宝律令が制定された701年頃だ。首都に相当する都市機能はその後の約900年間の大半、現在の京都府内に置かれた。天皇が居住し、政治・経済や文化、宗教の中心地でもあったためだ。
1603年に徳川幕府が開かれ、政治機能が江戸に移ると、京都の役割は伝統文化や宗教の中心地に限定される。幕府が天皇に政権を返上する大政奉還後に天皇が現在の皇居に入ると、東京が名実ともに「首都」になった。
第2次大戦後の1950年には「首都建設法」が制定され、首都が法的に定まった。一方、都市の拡大で東京周辺を一体的に整備する必要性が高まった結果、同法は56年に廃止され、首都の法的根拠はなくなった。代わりに「首都圏整備法」が制定され、今も「首都圏」のみが定義されている。
高度経済成長期に東京への人口集中や過密が顕在化すると、首都移転の議論が本格化した。
政府が、移転や整備の事業費を試算したほか、岐阜県で適地調査に乗り出したとの記録もある。63年以降、研究機関など政府機能の一部が茨城県つくば市周辺に移転する動きもあった。
80年代には、都心部の地価高騰対策として首都機能の移転が再び注目された。92年に「国会等の移転に関する法律」が議員立法で成立し、政府の審議会は▽栃木・福島▽岐阜・愛知を候補地として推薦し、三重・畿央地域も将来の候補地になり得るとした。
国会ではその後、移転先の絞り込みに関する議論も行われたが、バブル崩壊による地価下落に伴う必要性の低下や公共事業の抑制などがあり、計画は事実上頓挫している。
日本維新の会が主導し、7月24日に国会で議員立法として成立した「副首都構想」関連法では、大規模災害への備えや国民生活の向上、多極分散型経済圏の形成を副首都設置の目的としている。道府県単位で指定し、関係機関の集積や経済・人口規模、政令市との連携などが要件となる。一方、詳細な指定要件や副首都の機能は、政令や政府の基本方針で定めるとし、具体像は不明瞭なままだ。
維新は地元・大阪府の副首都指定を目指し、大阪市を廃止して東京23区のような特別区を設ける「大阪都構想」も掲げる。維新は当初、特別区設置を副首都の必須要件とする案を主張したが、与野党から「大阪しか当てはまらない」などの批判が上がり、必須ではなくなった。
副首都法の成立を受け、北海道や福岡、愛知、広島の各県なども名乗りを上げた。副首都の指定が複数に及ぶ可能性もある。
首都機能移転に関する審議会で専門委員を務めた戸所隆・高崎経済大名誉教授は、「副首都は、設置の目的が防災や産業振興など広すぎて不明確だ。過去の議論や国家の全体像を考えた法律とは思えない」と指摘する。「既存の大都市が強化され、自治体間の予算ぶんどり合戦が加速するだけではないか」との懸念も示している。
