知っておきたい終戦直後の悲劇。北海道沖で1700人以上が犠牲になった「三船殉難事件」とは
YouTubeチャンネル「ナナジャパ」が「【終戦7日後】北海道・留萌沖、引揚船3隻を襲ったソ連潜水艦|三船殉難事件」を公開した。動画では、1945年の終戦から7日後に北海道沖で起きた、旧ソ連軍による民間引き揚げ船への無差別攻撃「三船殉難事件」の全貌とその背景について詳しく解説している。
ナナジャパは北海道留萌市にある「樺太引揚三船殉難 平和の碑」を訪れ、碑文を読み上げながら事件の凄惨さを紐解いていく。1945年8月22日、戦火の樺太から小樽へ向かっていた「小笠原丸」「第二新興丸」「泰東丸」の3隻が、旧ソ連軍の潜水艦による雷撃と機銃掃射を次々と受けた。この悲劇により、海へ投げ出された推定1708人もの乗員や避難民が犠牲となった。
動画では、各船の被害状況が当時の資料とともに詳細に説明される。最初に標的となった小笠原丸は魚雷が命中して轟沈し、波間に浮かぶ生存者にも容赦ない機銃掃射が浴びせられた。続く第二新興丸は大破しながらも、特設砲艦としての装備を活かして反撃を試み、辛くも留萌港へ入港した。しかし、最後の一隻である泰東丸は、食堂のテーブルクロスで白旗を作って掲げ、無抵抗であることを示していたにもかかわらず、一方的な砲撃を受け沈没した。
さらにナナジャパは、これらの攻撃の背後には、スターリンが企図していた「北海道北部占領の構想」が存在したと指摘する。ソ連軍による接近路の探索と軍艦掃討という名目によって、老人や婦女子を乗せた引き揚げ船が標的になったのである。戦後、泰東丸の捜索は困難を極めたが、地元漁民を中心とした住民の尽力によって沈没船が発見され、遺品が回収された。現在も小平町の道の駅には、引き揚げ者の所持品や船体の一部が展示されている。
最後にナナジャパは、現代の戦争を語る際にアメリカの罪を引き合いに出して「どの国も悪いことをした」と話をずらすことは、北海道の北で起きた歴史を見落とすことになると強く警告する。「白旗を掲げた避難民の船を襲う行為は、いかなる理由があっても正当化できない」と述べ、二度とこの海を慟哭の海にしないために歴史の真実を語り継ぐ決意を表明して、動画を締めくくった。
ナナジャパは北海道留萌市にある「樺太引揚三船殉難 平和の碑」を訪れ、碑文を読み上げながら事件の凄惨さを紐解いていく。1945年8月22日、戦火の樺太から小樽へ向かっていた「小笠原丸」「第二新興丸」「泰東丸」の3隻が、旧ソ連軍の潜水艦による雷撃と機銃掃射を次々と受けた。この悲劇により、海へ投げ出された推定1708人もの乗員や避難民が犠牲となった。
動画では、各船の被害状況が当時の資料とともに詳細に説明される。最初に標的となった小笠原丸は魚雷が命中して轟沈し、波間に浮かぶ生存者にも容赦ない機銃掃射が浴びせられた。続く第二新興丸は大破しながらも、特設砲艦としての装備を活かして反撃を試み、辛くも留萌港へ入港した。しかし、最後の一隻である泰東丸は、食堂のテーブルクロスで白旗を作って掲げ、無抵抗であることを示していたにもかかわらず、一方的な砲撃を受け沈没した。
さらにナナジャパは、これらの攻撃の背後には、スターリンが企図していた「北海道北部占領の構想」が存在したと指摘する。ソ連軍による接近路の探索と軍艦掃討という名目によって、老人や婦女子を乗せた引き揚げ船が標的になったのである。戦後、泰東丸の捜索は困難を極めたが、地元漁民を中心とした住民の尽力によって沈没船が発見され、遺品が回収された。現在も小平町の道の駅には、引き揚げ者の所持品や船体の一部が展示されている。
最後にナナジャパは、現代の戦争を語る際にアメリカの罪を引き合いに出して「どの国も悪いことをした」と話をずらすことは、北海道の北で起きた歴史を見落とすことになると強く警告する。「白旗を掲げた避難民の船を襲う行為は、いかなる理由があっても正当化できない」と述べ、二度とこの海を慟哭の海にしないために歴史の真実を語り継ぐ決意を表明して、動画を締めくくった。
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