マイクロソフトでの主導権争い、ビル・ゲイツ氏が選んだのは日本人エンジニアが代表を務める「傍流」だった
[検証デジタル ニッポンの苦境]パソコンOS編<5>
マイクロソフトの次世代OS(基本ソフト)開発チームに加わり、設計を手がけることになったソフトウェア技術者の中島聡。
だが、「本流」のチームはそれまでと勝手が違った。
「毎日、『アイコンとは何か』といった哲学的な議論ばかりで、開発が全く進まなかった」。ソフトという製品を何よりも作りたい中島には、そうした議論が無駄な作業に思えた。
2年がすぎ、我慢の限界を迎えた中島は自ら行動を起こす。次世代OSの開発チームを離脱し、旧世代の「ウィンドウズ」を開発するチームへの異動を願い出たのだ。
同僚は口々に「なぜそんなバカなことをするんだ」と言った。当時、ウィンドウズは次世代OSが完成するまでの「つなぎ」と目されていた。次世代OSが世に出れば、旧世代のウィンドウズは消滅する運命にあった。
だが、そのウィンドウズチームで中島は息を吹き返す。そこは「以前にいたチームと文化が全く違う」、プログラム好きが集まる自由なチームだった。最高の職場環境を得て、中島は自分が理想とする直感的な操作をウィンドウズに組み込もうと試みる。
ファイルを開くときの「ダブルクリック」、ファイルを移動するときの「ドラッグ&ドロップ」、メニューの一覧を呼び出す「右クリック」……。中島の手によって、今では広く普及するパソコン操作がウィンドウズに取り入れられていった。

一方、「旧世代」の開発を急ピッチで進める中島に、次世代OSチームは敵対心を燃やした。
「中島が次世代OSのアイデアを盗み、ウィンドウズに持ち込んでいる」。次世代OSチームは社内で中島を批判し、社のトップであるビル・ゲイツに直談判。ウィンドウズの開発を中止するよう訴えた。
だがそもそも、次世代OSの構想は中島が最初に作った試作ソフトが基になっている。中島には「アイデアを盗んだ」などと非難される覚えはなかったが、次世代OSチームとウィンドウズチームの対立は、マイクロソフト首脳陣を巻き込む大騒動に発展した。
次世代OSを取るのか、ウィンドウズを取るのか。ゲイツら幹部が勢ぞろいする取締役会で、次世代OSチームの代表者と、ウィンドウズチーム代表の中島が意見を戦わせることになった。
次世代OSグループは「中途半端なものを出されては困る。次世代OSの開発を待つべきだ」と訴え、ウィンドウズの開発を中止するよう経営陣に迫った。一方の中島は「もうウィンドウズは試用版までできている。何としても出したい」と訴えた。
両者の言い分を聞くと、ゲイツはいったん席を外した。5分ほどで戻ってくると、こう結論を告げた。

「ウィンドウズはこのまま発売し、次世代OSチームは解散する」。ゲイツは次世代OSの開発を中止し、「傍流」のウィンドウズをOSとして残すことを決断したのだった。(敬称略、小林泰明)

