高市自民は弱者に優しいのか冷たいのか、「曖昧な弱者」が映し出す支持の構造と日本社会の分断

国会の閉会を受けて記者会見した高市早苗首相(2026年7月27日、写真:共同通信社)
皇族数の確保を目的とする「皇室典範等の一部を改正する法律」が7月17日、参院本会議で可決、成立した。1947年の皇室典範制定以来、実質的に初めての改正となる。同日には、高市早苗首相が長年、法制化を訴えてきた「国旗の損壊等の処罰に関する法律」も成立した。
2月の衆院選で自民党を316議席の歴史的大勝に導いた高市首相は、強固な衆院の議席基盤を背景に、自らが重視してきた保守色の強い政策を相次いで実現した格好だ。だが、会期末に重要法案の採決を集中させた国会運営や、物価高対策よりも政治的なアピールを優先しているとの批判も強まっており、7月の各社世論調査では内閣支持率が相次いで政権発足後最低を更新している。
では、そもそもなぜ高市自民は圧勝したのか。社会学者の伊藤昌亮氏(成蹊大学教授)は『曖昧な弱者の時代』(岩波新書)で、「曖昧な弱者」の問題が背景の一つにあると説く。そしてこれは、2025年参院選で14議席を獲得した参政党の躍進、2024年東京都知事選での「石丸現象(石丸伸二氏)」、さらには若者を中心に支持され続けている西村博之氏(ひろゆき)の言動にも通底する問題だと分析する。
経済的な再分配の対象にも、アイデンティティ・ポリティクスが光を当てる存在にもなりにくい「曖昧な弱者」たち。支援から取り残されているという彼らの怒りや悲しみは、弱者同士の対立を生み、いま日本社会の分断を深めつつある。その実像と、政治や社会に及ぼす影響について、伊藤氏に聞いた。
(聞き手:砂田明子/フリーランスライター、編集者)
「弱者リスト」から漏れた人々はなぜ敵意を募らせるのか
──伊藤さんは、歴史的にリベラルが支援してきた弱者を「明白な弱者」、その枠に収まらない存在を「曖昧な弱者」と名付け、「曖昧な弱者」が増えてきたことで起きている分断や新たな差別を著書『曖昧な弱者の時代』で説明されています。あらためて、明白な弱者と曖昧な弱者の定義を教えてください。
伊藤昌亮氏(以下敬称略)「明白な弱者」は、大きく二つに分けられます。経済的弱者としての貧困層と、文化的弱者としてのマイノリティです。
経済的弱者とは主に高齢者、障がい者、失業者、低所得者、ひとり親世帯などで、文化的弱者とは女性、外国人、LGBTQなどです。そうした人たちは明確に定義づけられていて、所得再分配をはじめとする経済的支援や、文化面での人権政策の対象になってきました。いわば「弱者リスト」の公認メンバーとして、歴史的にリベラルが支援してきたのが「明白な弱者」です。
一方で、この弱者リストには入らないけれど、生活が苦しいとか、生きづらいとか、さまざまな弱さを抱えている人たちが近年増えていると感じます。彼らは公的支援を受けられない上に、税金や社会保険料の負担はどんどん増えていく。そうやって困難な生活を強いられながらも、守ってもらえないと感じている人の中には、「明白な弱者」や、その庇護者であるリベラルに強い敵意を向ける人もいます。
こうした存在を「曖昧な弱者」と名付けました。ですが、「明白な弱者」のように明確に定義ができるわけではないんです。まさに文字通り「曖昧」なのですが、リベラルはその層にも目を向けなければならないという危機感が私にはあります。

伊藤昌亮氏(撮影:内海裕之)
──極端な貧困層ではないものの、さまざまな理由から困難な生活を強いられている人々=「曖昧な弱者」が、ロウアーミドル層を中心に増えていると本に書かれています。いつ頃から、「曖昧な弱者」は顕在化してきたのでしょうか?
伊藤 はっきりと覚えていないのですが、私は2019年に『ネット右派の歴史社会学』(青弓社)を出しました。そのときにネット右翼の人たちにインタビューをしたり、彼らの言説を分析している中で、「弱者」や「弱者争い」という概念が出てきたのです。
例えば、彼らが在日外国人を攻撃するときに、〈自分たちこそが弱者なのに、なぜ彼らだけが守られるのか〉というニュアンスが明確にあった。これはつまり、逆差別論です。
逆差別論は、もともとは1970年代にアメリカで出てきた議論です。大学入試や就職などに積極的差別是正措置(アファーマティブ・アクション)が取られるようになると、特に白人層から、自分たちこそが差別されているという反論が出てくる。日本でも90年代から2000年代にかけて、「部落利権」「在日特権」などと称する言説や、「女性が不当に優遇されている」とする主張など、さまざまな逆差別論が出てくるようになりました。
そうやって考えていくと、ネット右翼の問題の根底には、「弱者性を社会がどう扱うか」があると思いました。つまり彼らが感じている弱者性と、リベラルが大切にしてきた弱者性にはズレがあり、そのズレが軋轢を生んでいるということを、私はずいぶん前から考えてきました。
再分配が機能するほど苦しくなる? 中間層の不公平感
──曖昧な弱者には、具体的には非正規雇用者や氷河期世代などが入るのでしょうか?
伊藤 非正規雇用者や中小企業勤めの人々、自営業者、フリーランスなどがまず思い浮かびますが、ほかにも中間層に属しながら、自分だけが割を食っているという、いわゆる相対的剥奪感を抱いている人を想定しています。
例えば、経済的理由などで結婚できない独身者なども含まれるでしょう。さらには、この本で取り上げた山上徹也被告のような宗教二世とか、いわゆるコミュ障の人とか、さまざまな理由で社会関係から排除されがちな人も含まれると思います。
明白な弱者と違って、所得や職業による従来型の階層区分では捕捉できないので難しいのですが、こうした既存の支援制度の対象になりにくい人々が、社会に少なからず存在することは確かだと思います。

──彼らを「真ん中」や「ロウアーミドル」という表現もされています。貧困層でないゆえに弱者認定されず、支援されない。賃金も伸びにくい。一方で、少子高齢化などによって、社会保険料など負担ばかりが増えていく。日本は80年代の半ば以降、富裕層に有利な税制改革が繰り返し行われ、現在は富裕層になればなるほど社会保険料の負担率が低下していることなども指摘されています。相対的に中間層の現役世代の不公平感が高まっていると。
伊藤 例えばいま、大企業の賃金と、最低賃金は上がっていますが、中間層の多くの人々はインフレについていけていません。また、日本は格差が広がっているといわれますが、格差の大きさを示すジニ係数を見ると、1990年代以降、再分配前の値は大きく上昇しているものの、再分配後の値は微増するにとどまっています。格差が拡大している一方で、そのぶん日本社会は、所得再分配の強化を進めてきたということです。
つまり、再分配が機能しているからこそ、自分たちは負担層にされるばかりで、ますます苦しくなると思うような人たちが出てきてしまった。再分配の恩恵にあずかりにくく、取られるばかりだと感じている人たちが、インフレの中で苦しんでいます。
未婚率の上昇も大きいと思います。児童手当が手厚くなり、教育無償化などが進めば進むほど、独身者の中には、なぜ自分たちが負担しなければならないのかと、再分配に対する忌避感を強めていく人たちがいる、ということをある経済アナリストは指摘していました。
そうした層の不満や不安がたまって、リベラルが支援してきた「明白な弱者」に敵意を向けるようなことが起きています。
高市自民はなぜ圧勝した? 「曖昧な弱者」に届いた承認の政治
──そうしたさまざまなタイプの「曖昧な弱者」をすくい上げたことで起きたのが、衆院選挙に圧勝した「高市現象」でした。
伊藤 高市早苗さんは総裁選の際のインタビューで、「暮らしの厳しさとか、中小企業・小規模事業者の痛み」に鑑み、「生活保護よりも少し上の層である中・低所得者層にメリットがある制度」を作りたいと述べています。
具体的には、例えば介護報酬を上げる、中小企業を保護するなどと言っていた。つまり生活保護受給者などの貧困層より少し上の層を支援する政策を打ち出していて、ロウアーミドル層へ目が行き届いていると感じました。
これを高市さんが戦略的にやっているのかどうかは分かりませんが、こうした層はもともと、自民党が助け、票田にしてきた層なんです。小泉純一郎政権以降は、都市部の浮動票や富裕層を重視するようになっていきましたが、高市さんは地方を回っていろいろな人の話を聞き、自民党のもともとの地盤を取り戻すということを考えてきたのだろうと思います。
本に書きましたが、高市さんのスタンスは、ものすごくざっくりいえば、外国人やマイノリティなど「明白な弱者」には冷たいが、「曖昧な弱者」には優しい。誰を弱者とするかによって、見方が変わってくるわけです。

──もう一つ、高市さんの「ポジティブ・シンキング」が若者を中心に支持されたとも書かれています。
伊藤 2024年に東京都知事選に立候補した石丸伸二さんもそうでしたが、高市さんは選挙のとき、政策よりも生き方を、人々を鼓舞するような調子で語ることが多かった。それが受け入れられたのは、多くの人が励ましや承認を求めているのだろうということです。
ですから、今の日本社会に必要なのは、「明白な弱者」のみならず、「曖昧な弱者」もまた経済的再分配の受益者としていく、あるいはそう感じられるようにしていく考え方です。そのためにも、弱者同士で争うのではなく、弱者は既得権益を持つ強者と闘争すべきです。
同時に、経済的な政策だけでは十分ではありません。彼らを「承認」していく政策を新たに考えていく必要があると考えています。
「曖昧な弱者」をどうやって見つけるか、についてはこちら

伊藤昌亮(いとう まさあき)
1961年生まれ。東京外国語大学外国語学部卒業、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。日本IBM株式会社、ソフトバンク株式会社勤務、愛知淑徳大学現代社会学部・メディアプロデュース学部准教授、ドイツ・エアランゲン大学日本学講座客員研究員などを経て現在、成蹊大学文学部現代社会学科教授。著書に『炎上社会を考える』(中公新書ラクレ)、『ネット右派の歴史社会学』(青弓社)、『デモのメディア論』(筑摩書房)、『フラッシュモブズ』(NTT出版)など

(伊藤昌亮著、岩波新書)
筆者:砂田 明子,伊藤 昌亮
