【清水 芽々】小学生から「働けない母親」を養っていた女性…公園で声をかけてきた中年男性に持ち掛けられた「1時間1万円の仕事」

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公園で中年男性に声をかけられて…

民法上、直系血族は互いに扶養義務があるが、子どもから親に対する扶養義務は「生活扶助義務」であり、「自分の生活を犠牲にしてまで養う必要はない」という大前提で成り立っている。にも関わらず、生活どころか人生を犠牲にして母親を養い続けた女性がいる。

東京都内在住の速水夏希さん(仮名・33歳)は、小学校時代から20年以上、自身の稼ぎで母親の智子さん(仮名・53歳)を養ってきた。

「両親は私が小学校5年生の時に離婚しました。原因は父の浮気でした。父は浮気相手と一緒になるために母と私を捨てたんです」(夏希さん。以下、「」内は同)

夫に裏切られ、見捨てられたショックで智子さんは鬱病を発症してしまったという。

「働けなくなったうえ、父から慰謝料ももらえず、養育費も踏み倒されました。貯えもすぐに底をついて、私と母は経済的に追い詰められたんです。母の実家は貧しく、頼れる親戚もいなかったので、収入は母子家庭手当のみ。生活保護を申請するという知恵もなかったので、食べるものにも困るような生活が続きました」

「貧乏を絵に描いたような家に帰るのもイヤだった」と語る夏希さんは、放課後は毎日暗くなるまで公園で過ごした。ある日、ひとりでブランコをこいでいると、40歳前後と思しき男性が近づいて来たという。

着古したシャツにヨレヨレのズボンを履いていた男性は、身なりとは不釣り合いな高価そうな一眼レフカメラを首から下げており、

「お小遣いをあげるから、写真を撮らせて欲しい」

と、夏希さんに声をかけた。

「私は思わず『いくらくれるんですか?』と聞いていました。何をさせられるかより、お金がもらえることに関心がいったんです」

小学生で月に30万円を稼いでいた

男性は「言ったとおりのポーズを撮らせてくれたら1時間で1万円あげる」と夏希さんに伝え、撮影を始めたという。

「ブランコに乗っているところや鉄棒をしているところ、ジャングルジムに登っているところなどを撮られました。彼は常にスカートの中にカメラを向けていたので、狙いはパンチラなんだとすぐにわかりました」

その男性とは毎週のように公園で落ち合うようになり、同じような写真を撮らせて1万円をもらうパターンが数回続いた。その後、男性は「2万円あげるから、もっときわどい写真を撮ってもいい?」ともちかけてきた。

「“きわどい”という言葉の意味はよくわからなかったんですけど、もっと卑猥な写真だろうなという予想はできました。何をされるかわからないという恐怖もよぎりましたが、2万円の魅力には勝てませんでした」

夏希さんは男性に言われるままに下着をめくったり脱いだりして露出させた部分の写真を撮らせたという。

「そんな感じのことが1年くらい続いたんです。“カメラマン”もどんどん増えて、最終的に10人以上になっていました。公園ではなく、スタジオみたいなところで撮ることもありました。水着とかアニメのコスチュームとかを着せられたこともありますし、ヌードもありました」

多いときで月に30万円、少ない時でもその半分程度を稼いでいた夏希さん。

「そこから給食費とか学校関係の費用を払い、残ったお金を母に渡していました。母には『写真のモデル代』と説明していました。『アンタは可愛いからね。将来もこれで稼げるんじゃない?』と喜んでお金を受け取る母には、ロリコンのカメラマンに写真を撮らせていることは伝えませんでした」

だが、夏希さんが中学生になると、ロリコンカメラマンたちは公園に現れなくなった。

「小学生にしか興味がないと言っていましたが、そのとおり、ぱったり来なくなりました」

モデルとしての収入が途絶えてしまった夏希さんは、出会い系サイトを使って、援助交際をするようになる。

「今でいうパパ活ですね。この頃から私は自分の年齢やビジュアルが一定の男性にニーズがあるとわかっていたので、母と私の生活費を稼ぐためには、そこに食い込むしかないと思ったんです」

高校時代に「愛人契約」

夏希さんは群がる男たちをふるいにかけ、羽振りの良い男性だけを相手にした。

「食事やカラオケに付き合って1万円、というのも魅力だったんですけど、自分の旬が短いことがわかっていたので……。今のうちに荒稼ぎしたいと思って、肉体関係も持つようになりました。1回ホテルに行って3万〜5万円。ちなみに処女は50万円で売りました。1年間で400万円近く稼いでいたと思います」

夏希さんは生活費のためにパパ活していることを母親に打ち明けたが、「アンタが良いなら」と智子さんも公認していたそうだ。

「相手と肉体関係があることは隠していたので、母は『足長おじさんみたいなもんでしょ?』と言っていました。どこかの篤志家の人が、何人もお金を恵んでくれていると思っていたんじゃないでしょうか」

高校2年の時、夏希さんは高校入学直後に知り合ったA氏(40代)から「正式な愛人にならないか?」と誘われる。

「Aさんは貿易業を営んでおり、都内にビルをいくつも持っている相当な資産家でした。同世代の奥様がいましたが、『10代にしか興味がない』と言っていました。優しかったし、私が嫌がるようなこともしない紳士だったので、愛人に収まることにしました」

夏希さんはA氏の援助で大学に進学することになり、智子さんにもA氏を紹介した。後編記事『働けない母親を「パパ活」や「愛人業」で養ってきた女性…自らの人生を振り返って抱いた「偽らざる思い」』へ続く。

【つづきを読む】働けない母親を「パパ活」や「愛人業」で養ってきた女性…自らの人生を振り返って抱いた「偽らざる思い」