公開当日に制作会社が謝罪する異例の事態 映画「ケロロ軍曹」炎上の核心にある“原作リスペクト”の欠落
セルフパロディ的な演出
6月26日に公開されたアニメ映画「新劇場版☆ケロロ軍曹 復活して速攻地球滅亡の危機であります!」が、公開直後からSNSなどで激しい批判にさらされている。【ラリー遠田/お笑い評論家】
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劇場版としては16年ぶりとなる待望の新作であり、かつて作品を楽しんでいたファンにとっては、懐かしい仲間たちと再会する特別な機会だった。それだけに、期待を裏切られたことによる失望は大きかった。批判の中心にあるのは、脚本と総監督を務めた福田雄一による、いわゆる「福田組」の俳優や過去作品を前面に押し出したセルフパロディ的な演出である。
福田雄一は、ドラマ「勇者ヨシヒコ」シリーズや実写映画「銀魂」などのヒット作で知られる日本を代表する演出家である。低予算感をあえて隠さない演出、俳優に長々とアドリブをさせる間延びした会話、佐藤二朗やムロツヨシらおなじみの出演者による脱線などを売りにしている。観客は物語の世界に完全に入り込むというよりも、コメディタッチのゆるい雰囲気そのものを楽しむことになる。

その手法は、完全なオリジナル作品や、最初から「福田雄一版」として企画された実写化作品ではうまくいくこともあった。原作とは別のものとして見る余地があるのであれば、原作のファンも割り切って楽しむことができるからだ。
しかし、今回の「ケロロ軍曹」は事情が違う。長年親しまれてきたアニメシリーズの正統な新作であり、ファンが見たかったのは福田雄一の仲間たちではなく、ケロロ小隊や日向家の面々だった。そこへ「勇者ヨシヒコ」「HK 変態仮面」「銀魂」など、監督自身の過去作品に由来するキャラクターや俳優陣が大挙して入り込むと、ケロロ軍曹のファンにとっては、監督が他人の作品を借りて勝手に自分の同窓会を開いているように映ってしまう。
ここで重要なのは、もともと「ケロロ軍曹」もパロディ的な笑いを含むコメディ作品だったという点である。ガンダムをはじめとするアニメ、漫画、特撮などを引用しながら笑いを生み出してきた。
つまり、本作の問題は単に「パロディが多すぎる」ということではない。同じパロディでも、「ケロロ軍曹」の登場人物がその世界の中で行うものと、監督が自分の過去作品や親しい俳優を持ち込むものでは、その意味が全く異なる。
作り手側の人間関係
本来の「ケロロ軍曹」のパロディネタは、作品内の文脈に合った笑いを生み出していた。パロディの元ネタを知らなくても、キャラクターの行動として笑えるように作られていた。
ところが、福田作品の内輪ネタは、元ネタや出演者との関係を知っていること自体が笑いの条件になっている。そこで中心になるのはケロロたちではなく、「福田監督がまたあの俳優にいつものことをさせている」という作り手側の人間関係である。
本作で起きていたのは、笑いの量や好みをめぐる対立ではなく、作品の主語が誰なのかをめぐる衝突だった。ファンは「ケロロ軍曹」を見に来たのに、画面の向こうからは「福田雄一作品を見ていること」を繰り返し意識させられる。監督の個性が原作の魅力を引き出すのではなく、原作が監督の個性を披露する舞台装置に変えられている。その感覚が「私物化」という強い反発につながった。
しかも今回は、他作品を想起させる表現をめぐり、制作会社が公開当日に謝罪する異例の事態も起きた。「進撃の巨人」については、権利者から事前に明確な意思表示があったにもかかわらず、制作会社内の伝達不備によって演出が残されてしまったのだという。これは必ずしも監督の責任に帰せられる問題ではないが、作品全体に対して抱かれていた「他者の作品を借りることへの慎重さが足りない」という不信感を決定的に強めた。
笑いのためなら何をしても許されるわけではない。パロディとは、元の作品に対する理解と敬意、権利者との合意、そして引用する必然性があって初めて成立する表現である。
もし福田監督が、「ケロロ軍曹」にもともと備わっていたキャラクターのおかしさやパロディ精神を尊重して、その延長線上で演出をしていたなら、ここまでの反発は起きなかっただろう。原作のある作品における監督の任務とは、原作を押しのけて前に出ることではなく、原作の中に眠っている魅力を別の角度から引き出すことである。福田監督の演出には、原作に対する最低限のリスペクトが欠けているように見えてしまった。
今回の映画が批判された最大の理由は、ファンの期待と違ったからというだけではない。長い時間をかけて育てられてきた作品の世界よりも、監督自身の人脈や過去の成功パターンが優先されたように見えたからである。
映像作品における笑いは、観客や題材との信頼関係の上に成り立つものでもある。笑いのプロとして評価されてきた福田監督が、その信頼関係を軽視したように見えたからこそ、激しい反発を招いたのだろう。
ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。
デイリー新潮編集部
