涙の田中碧に「一生引きずると思う、それも糧よ」 痛恨ロストより…テレビ画面でも久保竜彦が畏れた「ブラジルの老獪さ」
日本―ブラジル戦ドラゴン解説第1回
サッカー北中米ワールドカップ(W杯)は29日(日本時間30日)、決勝トーナメント1回戦で日本がブラジルと対戦。1-2で逆転負けを喫し、32強で姿を消した。今大会、THE ANSWERで解説を務める元日本代表FW久保竜彦が東京・中目黒の編集部に来訪し、試合を分析した。全3回の第1回は日本が勝てなかった理由。後半アディショナルタイム5分、決勝点に繋がったMF田中碧のボールロストがクローズアップされたが、ドラゴンはそれ以上に高い修正力で日本をジリジリと追い込んだブラジルの老獪さに「やっぱ、上手かったよ」と畏れを感じた。(取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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勝てそうやったけどね。ブラジル相手にね、あんだけできるようになったっていうのは……まあ、でもね……きついね。
勝てそうで勝てなかった理由? なんやろね、それがわかれば名監督よ。(試合展開は)思い通りやったよね、本当に。やっぱペナ(ペナルティエリア)の中でやられるけんね。回されるじゃん、パス。(ブラジルのすごさは)あれなんよ。
(決勝点は)田中、最初(ボールを)取ったやろ。で、それをどうにかしようと勝負して取られて。そこが一番緩むところなんよね。マイボール(になった瞬間)は、周りの選手がね。切り替えろって言っても無理よね。しかもあの時間帯で。
一番しんどい時にあのパスやん。ペナでパスで2本繋がって。普通はシュート打つとこよ。やれって言われても難しいよね。
田中は一生引きずるでしょ。でも、しょうがない。それが糧になる。明らかに違ったけどね、スウェーデンの時と。やっぱ、コンディションがね。ボールを取るけど、繋げんかったよね。ロストしてた。全部じゃないけど、大事なところでね。
そこを取った時に(前に)行けるか、馬力があるかどうかよね。(日本は)中3日で、ブラジルは1日多く休んでるのもあったんかな。でも良かったもん、スウェーデンの時ね。(途中起用で)使うよ、やっぱ。それよりブラジルが上手かったよ。
前に(個の強い選手が)多かった。あれが1人2人おるかおらんかで、最後ああなるのかもしれんね。組織としてはあれ(未完成)やし、優勝できる感じじゃないかもしれんけど、前半終わりとか後半終わりとか(負荷の強い場面で)個人の差が最後に出てくるのかね。
選手が試合後に「(失点まで)時間の問題だった」って言っとったけど、やっぱ感じるんよね、選手は。(防戦一方は)きつい、めっちゃ。見てる何倍もきつい。ああ、早く終わってくれって感じ。(黄金期の)ジュビロとか、本当にそんな感じよ。ずっと走らされて。
“取って取られ”からマイボールの展開 勝敗を分けた「その回数」
日本(先制点)もブラジル(決勝点)もボールを取ってからのあれ(得点)やもんね。(互いに)取って、取られて、取って。
局面がパン、パン、パン(と速い展開)で、ボール持ってるのが3回くらい変わった時に点になりやすい。そこのギリギリの判断が違うよね、ブラジルは。体の使い方やし。最後の最後の体の使い方もそうやし、腕の使い方なのかもしれんし。
とにかくそこでマイボールにして。パッてボール奪った瞬間にもう(次の展開が)開けとるわけよね。
そんなんでDFはきっちりマークつけるわけないし。取ったらホッとして足が止まったりする。でも、その球際のところで焦らずにやるんよ。日本もできたよね、一回ね。だけん、それが佐野の点になった。ブラジル人だってミスしとるんよ。
でも、その回数がどっちが多いかって言ったら、やっぱブラジルの方が多かったし、そこを逃さないブラジルも上手かったということやろ。
1点目の失点も、後半に入ってヴィニシウスが2人引きつけとったやろ。で、(パスで細かく)はたいて左足で何回も狙ってたよな。(マークが)ずれてね、ああいうのができるんよね。前半から修正して。しかもむっちゃええボールやった。
前半、ブラジルもやり方がはっきりしてなくて、ちぐはぐで、フラストレーション溜まっとった。でも、後半ヴィニシウス使って逆サイドでね。
結局、ペナの角近くから上げられとった。それやと、DFもやっぱ対応できん。時間がないから。距離がもう1個(5メートルほど)長かったら時間があるから対応できる。後半ブラジルがそこまで押し込んでからやってたから。狙ってきたから。
(日本の対応より)そういうところを狙ってる、ちゃんと穴を突いてる。点の取り方を知っとるんよ。強かったよ。やっぱ、ブラジルは。
■久保 竜彦 / Tatsuhiko Kubo
1976年6月18日生まれ。福岡・筑前町。筑陽学園高を経て、1995年に広島加入。日本代表・森保一監督(当時選手)とは7年プレーした。2003年に横浜F・マリノスに移籍し、リーグ連覇に貢献。1998年に日本代表デビュー。ジーコジャパンとなった2003年以降は日本人離れした身体能力と強烈な左足でエースとして活躍したが、腰や膝など度重なる怪我により、2006年のW杯ドイツ大会は落選。以降、横浜FC、広島などを渡り歩き、2014年に引退。J1はリーグ戦通算276試合94得点。日本代表は国際Aマッチ通算32試合11得点。引退後は山口・光市に移り住み、コーヒー焙煎や塩作りなど、異色のセカンドキャリアを歩む。2024年2月、初孫が誕生。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)

