米国とイランの戦闘終結をめぐる協議は、先行きが不透明な状況が続いている。早稲田大学公共政策研究所の渡瀬裕哉さんは「今後は、軍事・地政学リスク分野の知見の有無が企業の業績を大きく左右する。日本では、軍事の専門家を政策形成やビジネスの場から遠ざける傾向が根付いているが、認識を改めたほうがいい」という――。
防衛大学校の卒業式に出席した高市早苗首相(写真=Cabinet Secretariat/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

■軍事・地政学リスクが業績を左右する時代へ

台湾海峡の緊張やホルムズ海峡をめぐる物流麻痺など、軍事・地政学リスクが直接的に企業の業績を左右する時代になった。ビジネスパーソンには日々の報道情報の真贋を見抜く目が問われている。

日本の外交・安全保障政策には、長年にわたり奇妙なねじれが存在してきた。国際社会では、軍事的専門知を持つ退役軍人や安全保障の実務家が政策形成に深く関与することは常識である。米国では国防総省や国家安全保障会議(NSC)に退役軍人が多数参加し、英国やフランスでも軍事経験者が政府の意思決定に助言する仕組みが整っている。

ところが日本では、文民統制の名の下に「軍事の専門家を政策から遠ざける」という独特の解釈が根付いてしまった。結果として、外交・安全保障の議論は観念的な抽象論に偏り、現実の国際環境との乖離が広がっている。

■カギを握るのは「自衛隊OB」

この構造的問題を是正するために必要なのは、自衛隊OBの知見を政策形成に組み込む制度的ルートを整備すること、そしてその前提となるセキュリティクリアランス制度(※)を実践的に運用することである。これは単なる制度改革ではなく、日本の安全保障判断を「実戦的な知識に裏打ちされたもの」へと転換するための基盤である。

近年の国際情勢を見れば、この必要性は明らかだ。台湾海峡の緊張、南シナ海での力による現状変更、中東の不安定化、宇宙・サイバー領域の軍事化、これらはすべて軍事的リアリティを理解しなければ正確に評価できない問題である。金融市場においても地政学リスクは大きなテーマとなり、同分野の知見の有無が企業の業績に大きく関わることは自明だ。

しかし日本の政治家、官僚、学者の多くは、軍事・安全保障の専門的な教育を受けていない。メディアも軍事リテラシーが十分とは言えず、議論はしばしば情緒的な方向へ流れる。リベラル系の学者らによる的外れな国際法議論などは見るに堪えないレベルである。こうした環境では、国際社会の常識から外れた判断が生まれやすい。

※:国の重要な機密情報を取り扱うために、その人が信用できる人物かどうかを政府が事前に調査し、情報へのアクセス資格を与える制度。民間企業も対象となる「重要経済安保情報保護活用法」として、2025年5月に運用が始まった。

■“怪情報”が示す日本の軍事リテラシー欠如

いくつか事例を取り上げてみよう。まず、3月の日米首脳会談時に月刊誌『選択』(4月号)で流布された「ホルムズ海峡への艦船派遣をめぐって、今井参与が高市首相に怒鳴った」という噂を取り上げたい。このニュースは日米関係、日中関係、日本中東関係を揺るがすデマであった。当事者本人たちのコメントや産経新聞の後追い報道によって全否定されたが、この種の話によって、日米関係が悪化した場合、中東情勢に関する以上の問題が生じる可能性すらある。

このような荒唐無稽なデマが「もっともらしく」聞こえてしまう背景には、軍事的事実への理解不足がある。軍事の常識から言えば、ホルムズ海峡は米軍が圧倒的な戦力を展開している海域であり、日本の護衛艦が単独で作戦に影響を与えられる余地は極めて限られている。むしろ、戦力差の大きさから、現場の作戦運用において負担を増やす可能性すら指摘されてきた。つまり、軍事的リアリティを理解していれば、「日本が軽々しく派遣を決断する」「その是非をめぐって官邸内部で怒鳴り合いが起きる」といった構図そのものが不自然だとわかる。

■「ナフサ不足」煽りに踊らされてはいけない

また、4〜5月にかけてはナフサ不足で、「日本が6月に詰む」という専門家の主張が報じられたこともある。社会不安が生じている状況では、このような“終末論”が目を引くのも無理はない。

写真=共同通信社
ナフサのサンプル - 写真=共同通信社

実際には政府・企業の代替調達が活発に行われたことによって、日本経済は詰んだ状況にはなっていない。ただし、政府、業界団体、企業などが相次いで不安情報を否定する声明を出したが、需給逼迫・価格高騰・品薄による広範な値上げが起きていることは事実だ。今月に値上げが予定されている飲食料品は1078品目であり、トレーや容器などナフサ由来の資材価格高騰などが原因となっている。

しかし、この状況は中東情勢、特にホルムズ海峡の状況に依存している現象に過ぎない。そのため、この状況を正しく読み解くためには、軍事・安全保障の専門家による戦況情報の分析や見通しが必要となる。専門家による「6月に詰む」という見通しは、あくまでも一面的な見方であり、それ自体単独で評価してはならない。

軍事の基礎知識が共有されていない社会では、こうした「政治ドラマ的な噂」が事実のように受け取られてしまう。この問題は、単なるゴシップの話ではない。軍事リテラシーの欠如が、国民の判断を誤らせ、政策議論を歪める危険性を示している。

だからこそ、自衛隊OBなどの関係者の知見は政策決定者だけでなく、一般国民にとっても不可欠な情報源なのだ。

■マスコミ報道が「役に立たない」ワケ

今日の日本では、国民が国際情勢を理解する際の情報源が、政治家や官僚、メディアの解説に偏っている。しかし、これらの多くは軍事の実務経験を持たず、戦場の構造や作戦運用の現実を知らない。結果として、国民が受け取る情報もまた、抽象的で、時に誤解を招くものになりがちだ。

自衛隊OBの知見が重要なのは、彼らが「現実の戦いの構造」を知っているからである。ミサイル防衛の限界、海上交通路の脆弱性、航空優勢の意味、後方支援の重要性、同盟国との共同作戦の実態などの要素は、国際ニュースを正しく読み解くために不可欠だが、一般的な報道では十分に説明されない。

その結果、国民の間に「なぜその政策が必要なのか」「どの程度のリスクがあるのか」という理解の差が生まれ、社会全体の議論が空回りする。

民主主義において、国民の理解は政策の正当性を支える基盤である。だからこそ、国民が正しい情報にアクセスできる環境を整えることは、国家の安全保障そのものに直結する。自衛隊OBの知見は、そのための重要な情報源である。

写真=iStock.com/akiyoko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/akiyoko

■今こそ国際標準の安全保障政策を

日本が直面する安全保障環境は、もはや「軍事の素人」が抽象論を戦わせるだけで対応できる段階を超えている。必要なのは、現実に基づいた判断であり、そのための制度的基盤である。自衛隊OBの知見を尊重し、クリアランス制度を実践的に運用することは、日本がようやく国際標準の安全保障政策へと踏み出すための第一歩である。そしてその恩恵は、政策決定者だけでなく、国民一人ひとりが「正しい世界」を理解するためにも不可欠なのだ。

安全保障政策が成功するか否かは、軍事力の大小よりも、しばしば「社会がどれほど同じ危機認識を共有できたか」に左右される。

そのため、自衛隊OBなどに国家機密を共有し、世論形成に関する一翼を担わせることは極めて重要だ。そのため、誰にどこまで情報を共有するか、というセキュリティクリアランス制度の適切な活用は有効である。

たとえば、アメリカでは、退役軍人の存在は極めて大きい。理由は単純で、彼らは制度の「利用者」であると同時に、「制度が何を守ることを求めるのか、国民に何を伝えるべきか」を最もリアルに語れる当事者だからだ。

■「民間との橋渡し役」として重要な役割

自衛隊OBが根拠ある見識を示すことは、外交安全保障に関する情報の「適切な透明化」に寄与する。制度は本質的に秘密性を伴うため、一般国民からは「ブラックボックス」となっている。しかし、自衛隊OBは自身の経験を通じて、情報の重要性を判断し、開示可能なレベルで国民が必要とする情報を具体的に語ることができる。

また、安全保障政策は政府がどれほど正しい理屈を示しても、国民が納得しなければ持続しない。自衛隊OBは国家の安全保障を担ってきた当事者として、世論形成の土台となる情報を作ることに貢献できる。その語りは、政治的立場を超えて説得力を持つ。自衛隊OBは社会的信頼度が高く、彼らの説明は制度への支持を広げる強力な媒介となる。

さらに、自衛隊OBは「民間との橋渡し役」として機能する。自衛隊OBを防衛産業、先端技術企業、サプライチェーン上の重要な企業に迎え入れる。彼らは自衛隊と民間の両方の文化を理解しており、クリアランス制度が経済安全保障や技術保全とどのように結びついているかを、企業側にわかりやすく伝えることができるようになるだろう。これは、制度を国家全体の競争力強化の文脈に位置づけるうえで不可欠だ。

彼らの説明は、制度の理解を深め、社会的支持を広げ、国家の安全保障基盤を強化するうえで欠かせない存在となっている。

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渡瀬 裕哉(わたせ・ゆうや)
早稲田大学公共政策研究所 招聘研究員
パシフィック・アライアンス総研所長。1981年東京都生まれ。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。機関投資家・ヘッジファンド等のプロフェッショナルな投資家向けの米国政治の講師として活躍。創業メンバーとして立ち上げたIT企業が一部上場企業にM&Aされてグループ会社取締役として従事。著書に『メディアが絶対に知らない2020年の米国と日本』(PHP新書)、『なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか アメリカから世界に拡散する格差と分断の構図』(すばる舎)などがある。
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(早稲田大学公共政策研究所 招聘研究員 渡瀬 裕哉)