中岡創一

写真拡大

 5月25、26日放送の『テッパン朝ライブ じゅーっと!』(読売テレビ)にロッチ・コカドさん、中岡創一さんが出演。大阪市住之江区出身のコカドさんが、地元に凱旋する企画『スターの地元ぶらり旅』で、思い出の地を中岡さんとめぐっていました。

 地元の商店街で鮮魚店を営んでいるコカドさんの小中学校の同級生が登場。同級生が卒業アルバムを持ち出してくると、コカドさんはある写真を指差し、「荒木さん、荒木さん、一番最初の相方。吉本のとき」と、中岡さんと組む前に組んでいた相方の写真を見つけます。

 その写真を見た中岡さんが「僕の知ってるなかでも、けっこうなレベルで面白ない人やった」と回想。コカドさんは「やめろや!」と笑顔でフォローしていました。

 2人がお笑いの世界に飛び込んだ当初、コカドさんは同級生の荒木さんと『市川塾』というコンビを組み、中岡さんは『3児』というトリオを結成し、別々の道を歩んでいたのです。

 筆者は以前、コカドさんと中岡さんに、ロッチを組むまでのお話をお聞きしています。

 芸人仲間の間でも「面白い」と評価が高かった『3児』ですが、中岡さんらはある理由から解散することになります。

中岡「一応頑張ってたんですが、僕に初めて彼女ができたんです(笑)。それと当時、僕のちょっと上の先輩の野性爆弾さん、ブラックマヨネーズさん、次長課長さんみたいな面白い人たちが全然テレビ出られてなかったんですよ。『あんなに面白い人たちが、飯食えてへんぞ。ヤバいぞ。もうこの先ないぞ』『彼女できた!』『結婚したい!』『やめよう!』ってなって(笑)」

 中岡さんは芸人をやめ、結婚資金を貯めるために愛知県の工場で5年間働きます。

中岡「給料がよくて、手取りで30万ちょっとありました。だから、貯めて貯めて5年で結婚資金も貯まったので、『結婚してください』って言ったら『結婚する気はありません』と言われて(笑)。

 僕は結婚するつもりでお笑いをやめて、できなくなって『じゃあどうしようか』ってなってるときに、コカド君から電話がかかってきて。

『相方が逃げたんや。どこに行ったか知らんか?』『いや、知らんねん。そんなことより、俺は彼女にフラれたぞ』って(笑)。それで失恋旅行じゃないですけど『沖縄でも行こうか』ってなったんです」

 一方、コカドさんも荒木さんとのコンビ『市川塾』を解散することになります。

コカド「相方が本当めちゃめちゃ大男前やったんすよ。でも、めちゃめちゃ天然で、めちゃめちゃ滑舌悪かったんですよ。僕も滑舌が悪いんですけど、その僕が『滑舌悪いな!』ってツッコんでましたから(笑)。

 僕ら高校生コンビやったんですけど。相方が男前やし高校で彼女ができて。ほんでネタ合わせをしに相方の家へ行ったら、彼女もいるんですよ。そんな状況ではネタ合わせをやりづらいじゃないですか。

 ほんで僕がネタを考えるんですけど、ネタができるまでカップルで待ってるんですよ(笑)。そんなんもあって『こいつやる気ないな』と思って解散しました」

 コカドさんは『市川塾』の解散後、一度芸人をやめて古着店に就職。しかし「もう一度お笑いに挑戦したい」という気持ちが湧き、芸人活動を再開します。ところが、新しく組んだコンビの相方がまさかの蒸発。その相方の行方を聞くため、中岡さんに連絡したことがきっかけとなり、沖縄旅行へとつながるのです。

中岡「その旅行が楽しくて。ふだん工場で働いてるときの会話と、芸人との会話は楽しさが違って。そこで『芸人は楽しいな〜』『こんな日が続けばなぁ』『またお笑いやれたらな』という気持ちになって、コカド君とコンビを組ませていただきました」

 かつてそれぞれが別の相方と組み、途中でお笑いの世界から離れた時期もあった2人。一度は芸人として進むべき道を塞がれたかのように見えましたが、それぞれの別れをきっかけに出会うことになりました。

 その後のロッチの活躍は周知のように、スターとして地元に凱旋できるまでになりました。これからもさらなる高みを目指し、お茶の間にたくさんの笑いを届けてくれるに違いありません。

インタビューマン山下

1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人、ライター、山下本気うどんプロデューサー、個人投資家、ファイナンシャルプランナーとして活動中。