なぜ「脳移植」は不可能なのか?

「脳を健康な体に移植して延々と生き続ける」というアイデアはSFの世界でなじみ深いものですが、実際にアメリカの非営利団体・アルコー延命財団は将来的な脳移植技術の確立に備え、液体窒素による超低温で人間の頭部を保存しています。しかし、記事作成時点では「脳移植」は不可能だとのことで、科学系メディアのLive Scienceが課題や将来の展望について解説しています。
Why aren't brain transplants possible? | Live Science
ウィスコンシン医科大学の神経外科助教であるマックス・クルコフ氏は、患者の体に心臓や肝臓を移植する場合とは異なり、脳を移植すると体の持ち主が変わると指摘。「あなたの主体性やアイデンティティは、あなたの脳の中に宿っているのです」と述べています。
クルコフ氏によると、依然として脳や脊髄を含む中枢神経系の神経間における信号伝達が確立されていないため、記事作成時点では脳を移植することは不可能だとのこと。
脳や脊髄を超えて全身に行き渡っている末梢(まっしょう)神経系の場合、新しい体に移植されても神経細胞が再生するため、最終的には移植先の隣接した神経細胞と通信できるようになります。しかし、成人の中枢神経系が新しい神経細胞を生成するという証拠は少なく、もし生成できたとしてもその程度は限られています。
脳全体ではなく小脳だけを移植するといった部分的な脳移植でさえ、記事作成時点では不可能です。小脳にはプルキンエ細胞という神経細胞が約1400万個あるとされており、1つ1つのプルキンエ細胞に対して20万個もの平行線維がシナプスを形成し、さまざまな信号を受け取っています。クルコフ氏は、「プルキンエ細胞と平行繊維の接続数は指数関数的に増加します。これは私たちの能力をはるかに超えているのです」と述べました。
脳単体や脳の一部を移植するのではなく、脳と末梢神経の橋渡しをしている脊髄で頭部と体を接続する方法は、理論的には最も単純な脳移植といえます。外科医は首の皮膚や筋肉、血管、骨をつなぎ合わせ、脊髄の神経の位置を合わせることも可能ですが、接続した神経細胞が互いにコミュニケーションを取れるようにする方法は見つかっていません。

1900年代初頭に新たな血管縫合技術が登場すると、科学者らは動物への頭部移植を試みるようになりました。しかし、当時の科学者らは機能する血管系を作り出したり、宿主の拒絶反応を抑えたりすることに苦労していたため、頭部移植を受けたイヌやサルのほとんどは数日しか生き延びられませんでした。
1970年代に入ると、ロバート・ホワイト博士がサルの頭部を新しい体に移植する手術を行いました。手術を受けたサルの一部は食物をかんで飲み込むことができ、脳波検査でも脳が覚醒していることが示唆されましたが、9日以上生存した個体はいなかったとのこと。
ホワイト博士の実験に触発されたイタリア人医師のセルジオ・カナヴェーロ氏は、2013年に世界初のヒト頭部移植の構想を発表しましたが、倫理的および科学的な観点から広範な反発に遭いました。
カナヴェーロ氏は2017年、2人分の遺体を使った世界初のヒト頭部移植に成功したと発表しましたが、この発表内容については懐疑的な声が多く挙がっています。
「世界初の人体頭部移植に成功」とイタリア人医師が中国で主張、しかし疑念の声は消えず - GIGAZINE

脳をそのまま移植することは困難ですが、別の種類の細胞に分化する能力を持つ幹細胞を移植することにより、損傷したり病気になったりした脳組織を再生できる可能性があります。南カリフォルニア大学ケック医学校の生理学・神経科学助教を務めるルスラン・ラスト氏は、神経細胞に分化するようプログラムされた幹細胞は、成熟した神経細胞よりも既存の神経回路に組み込まれる可能性が高いと説明しています。
すでに幹細胞療法はパーキンソン病や脳卒中、脊髄損傷、てんかんといった疾患の臨床試験で検証されてきましたが、記事作成時点ではいずれの疾患に対しても、アメリカ食品医薬品局(FDA)は商業利用の承認を出していません。
ラスト氏は、脳への幹細胞療法は今後の研究で、分化が不完全な幹細胞が移植後に腫瘍を形成したり、移植後に信号伝達回路を阻害したりする潜在的リスクについて対処する必要があるとしています。「難しいのは、移植した細胞を私たちが望むような細胞にするにはどうすればいいのか、そしてこれらの細胞が私たちが望む局所的な神経回路に確実に統合されるにはどうすればいいのか、という点です」と述べました。
なお、日本では人工多能性幹細胞(iPS細胞)を用いたパーキンソン病治療薬の「アムシェプリ」が、条件および期限付き承認を取得しています。
【話題】iPS細胞を用いたパーキンソン病治療 ― 新たな細胞移植治療の条件および期限付き承認 - お知らせ - 慶應義塾大学病院 パーキンソン病センター
https://pd-center.hosp.keio.ac.jp/news/news-271/
また、幹細胞を利用して作成された脳に似た小規模な組織体である脳オルガノイドを移植するという方法も検討されています。2023年にはヒトの脳オルガノイドをラットの脳に移植し、損傷部分を修復することに成功したと報告されました。
人間の「ミニ脳」でラットの脳損傷を修復する初の実験に成功 - GIGAZINE
