判るひとは判る! ぬいの表情と、持ち主のメンタルの繊細な関係

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4,000匹以上のぬいぐるみと暮らす小説家・新井素子さんの日常がここに。「ぬい活」が一般化するはるか以前、「ぬい」という呼称を生み出し、社会からずっと変人扱いされてきた新井さん。「ぬいぐるみは生きている」と本気で確信し育んだ「ぬい」たちとの生活には、ただごとではない発見と幸せのヒントが詰まっていました。

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判るひとは判る

ところで、この連載の通しタイトル、『ぬいぐるみは生きている』ですが……これ、判るひとには無条件で納得していただけるタイトルだと思うんですが……まあ、大抵のひとには、訳判らないタイトルだよね。「ぬいぐるみは生きている」ってまったく思っていない方には、「このタイトル、ちょっと変じゃない?」って思われておしまい、とか。(……まあ……根本的に、ぬいぐるみって、無生物ですし。「ウイルスは生きている」より、納得しがたいタイトルなのかも知れません。だから、「なんか盛ってるよね、これ」って思われてしまう、とか。)


ただ。けど。これ。
判るひとは、判ってくれる。きっと、判ってくれる。

そう私が思ってしまう……そう、“思えてしまう”、ある意味、私にとって(私にとってだけなのかも知れないけれど)感動的なエピソードが、昔、ありました。
えっと、私が二十くらいの頃。当時の私は、大学生。(下手したら十代だったかも知れない。)


この時の私、とあるラジオ番組で、聞き手役をやっていたことがあったんです。大先輩の作家の方が人生相談をなさっていて、聴取者の方から寄せていただいた質問を私が読みあげ、それに対する大先輩作家の方のお答えに相槌をうち、いろいろしゃべってみる、そんなような役を。

そして、そんな私の担当をしてくださったのが、うちの父と大体同年齢くらいの編集の方。……いや……私の年が年でしたから、当時の私の担当編集は、結構年配の方が多かったです。……というか……私と年が近い編集者って、存在しようがなかったんじゃないかと思います。それに、あの頃は、新人の担当って、あんまり若手はやっていなかったんですよ。大体、中堅かそれ以上の方。新人を育てるのは、ある程度こなれた編集の方がいいという感覚が、何か現場にはあったような気がします。


そんでもってその頃の私は、自分のショルダーバッグにでっかいぬいぐるみを巻き付けて歩く、それが普通でしたので、このお仕事にもぬいさんと一緒に行っていました。(……今になって考えてみれば、よく注意されなかったものだ。あの頃、バッグにぬいぐるみをつけているひとなんて、私は、私以外知らなかったぞ。しかも、そのぬいが、結構大きいときたもんだ。)
そして、ある日。私を担当してくださっていた、その方が、現場に現れた私を見て、ふいに。
「……新井さん……大丈夫? 何か……あった?」
「え……。……何で。何で、それが判っちゃうんです……か?」

わたし以外にもいた! 


いや、まさに、そのとおり。その時の私は、個人的にとても辛いことがあり、無茶苦茶へこんでいたのでしたが……さすがにお仕事現場にそういう事情を持ってゆく訳にはいかない、だから、“なるたけ元気な素子ちゃん”を装っていた筈なんですが……そんな私の、子供じみた虚勢、結局の処、社会経験が豊富な目上の方にはばればれだったのか?
ところが。その方のお返事、私が思っていたのとはちょっと違って。なんか、斜め上の方向って感じで……。
「いや……いつもショルダーバッグにつけているぬいぐるみがね、妙に暗い顔になってるし……辛そう、だから。だから、何かあったのかなって」
「……!!!!!」
「あ、違ったらごめんね。いや、何となく、ぬいぐるみの顔を見ていたら、新井さん、何か辛いことがあったんじゃないかと」
……!!


私の顔を見て、じゃ、なくて。
ぬ……ぬいぐるみの。
うちのぬいさんの表情を見て。
それで、こんなことを言ってしまえる、そんなことが判ってしまう、そんなひとが、私以外にもいるのか!
うわああああ!


この時。私には、この方に言いたいことや、ぜひ言ってみたいことや、聞きたいことが、多々ありました。でも、驚きがあんまり凄くて、私、そんな肝心なことをこのひとに聞けなくて。枝葉末節のことばかり、聞いてしまいました。
「あの……どうしてうちのぬいぐるみの表情が……判るんですか……」
「いや、うちの娘がぬいぐるみ好きでさ、新井さんみたいに、ほんっとにぬいぐるみを可愛がっている訳。そして、娘のぬいぐるみを見ていれば判る。うちのぬいぐるみは、娘が機嫌がいいとほんとにいい表情になっているし、娘に辛いことがあると表情が曇る。そういうものを見ているから、今日、ひとめ見た瞬間から、新井さんのぬいぐるみが辛そうな感じになっているから……だから、何かあったのかなって」
うわあああ。


今にして思えば、私、この方と、もっといろんなことをお話ししたかったです。でも、お仕事中でしたから。
「すみませーん、収録始めます」って言葉がかかっちゃって……この話は、ここで終わってしまいました。
ただ。
この時の感動だけは、今でも私の心の中に残っています。

ぬいぐるみの表情を読むとは?

ぬいぐるみの表情。
ぬいぐるみの気持ち。
これ……判るひとには、判るんだ。(いや……ある意味、それは当たり前だと思うんだけれど。)
でも。
“ぬいぐるみは生きている”“ぬいぐるみの表情はその時のぬいぐるみの気分によって変わる”“いいことがあるとぬいさんはとても嬉しい顔になる”“哀しいことがあるとぬいさんの表情が沈む”、これ、私は自分にとっての常識だと思っていたんですけれど……でも……心のどこかで、「これ、判るのは私だけかも」なんて、すっごく思い上がったことを……ちょっと考えてもいたんですね。
でも。
そんなこと、ないんだ。
判るひとには、判るんだ。判るひとは……本当にぬいぐるみの表情が、読めるんだ。

これは。
多分、この方が、とてもぬいぐるみに理解がある方だから、それで起こった現象ではないんじゃないかと、今の私は思っております。
いや、勿論、とてもぬいぐるみに理解がある方であっただろうとは思うのですが……それより前に。
この方、おそらくは、お嬢さんが好きで好きでしょうがなくて、ほんとにお嬢さんが大切な父親だったんじゃないかなって、思います。
で、お嬢さんの、ぬいぐるみに対する気持ちを、理解するに至った、そんなひと、だと。
素敵、だな。
多分、この方は、別にぬいぐるみが好きな訳ではなかったんじゃないかと思います。でも、お嬢さんのことは、ほんとに、好きだったんだよね。
だから、お嬢さんが大切に思っていた、ぬいぐるみの気持ちを、慮ってくれたんだよね……。
これはもう。“感動”っていう言葉では足りません。
だって、このひと。
私の顔じゃなくて、うちの子(あの頃、鞄についていたのは“ダナさん”だな)の表情を見ただけで、私が落ち込んでいたこと、判ってくれたんだ。

持ち主の気持ちで変わる表情

ぬいぐるみは。
その持ち主の気持ちによって、その表情が変わる。
いや、その前に。
ぬいぐるみは、“表情が変わる”ことがある、それ、私にしてみれば“常識”なんだけれど。でも、これを“常識”だって思っていないのが、世間的な“常識”。それまで私はそう思っていましたが……そうでもないのか。
ぬいぐるみは、表情が変わることがある。これを理解してくれるひとも、いるんだな。


この瞬間。
私は思いました。
うん、ぬいの話。
判るひとには、判るんだよ。


(……ちなみに。うちの父は、勿論私のことを愛してくれていたと思うし、私のことを大切に思っていてくれたに違いないとも思うんですが……でも……私のぬいぐるみの表情の変化を……まったく判ってはくれませんでした。……って、そっちの方が、多分、普通だと思うんだけれどね。というか、私のぬいさんの表情の変化なんて、まったく気にしていなかった、そんな父であったと思います。でも……どう考えても、うちの父の反応の方が、普通だよな……。ついでに言うと、母は、勿論私のことを愛してくれていたんですが……ぬいぐるみには、まったく愛情をもっていなかったな。父は、ぬいぐるみのことなんかどうでもいいっていうスタンスだったんですが、母は。とても綺麗好きだったので、埃や汚れをため込んでしまうぬいぐるみのこと、衛生上の事情として、ひょっとして憎んでいたのかも知れない。幼かった私がどんなに懇願しても、母に捨てられてしまったぬいさんは結構いましたし……大体が、母、私のぬいさんをダンボールに封印して、うちの天袋に押し込むって、よくやっていましたから。)


いや、こりゃもう。
判るひとには判る。判らないひとには判らない。そういう世界の話なんだろうと、思っております。