冬季五輪のレジェンド・猪谷千春氏の選手時代

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「コルティナダンペッツォ」の名は、昭和のスポーツ少年には懐かしい記憶として思い出される。なぜなら1956年のコルティナダンペッツォ冬季五輪で、アルペンスキーの回転競技に出場した猪谷千春が日本人初の銀メダルに輝いたからだ。56年冬は私が生まれる直前だからリアルタイムの記憶は当然ない。だが、スポーツに興味を抱き、冬季五輪を見るようになってからはしばしば猪谷千春の伝説と共に、コルティナダンペッツォの地名を耳にするようになった。【取材・文=小林信也(作家・スポーツライター)】

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冬季大会が従来の枠を取り払う方向へ

 しかも猪谷が優勝を争ったのは、大回転、滑降と合わせ三種目で金メダルを獲ったトニー・ザイラーだ。ザイラーは映画俳優としても活躍し、「白銀は招くよ」などの作品が日本でも大ヒット。私たち子どもでさえ「トニー・ザイラー」の名前はみな知っているほどの英雄だ。そのザイラーとオリンピックの舞台で金メダルを競い合った猪谷に対する敬意の念がふくらむのはごく自然なことだった。そんな遠い憧れの中に猪谷千春とコルティナダンペッツォはあった。

冬季五輪のレジェンド・猪谷千春氏の選手時代

 そのコルティナで70年ぶりに冬季五輪が行われる直前、IOC(国際オリンピック委員会)で〈競技種目の見直しを検討する作業部会〉を統括するシュトス部会長が総会において「2030年大会から一部の夏季五輪競技を冬季五輪に移行する検討をしている」と明らかにした。夏季大会の肥大化抑制と、夏と冬の競技種目数の均等化と持続可能性の確保が目的だという。さらに言えば、人気種目を冬に移行させることで、スポンサー収入の確保など、収益拡大が大きな狙いだろうとも推察されている。

 28年ロサンゼルス夏季大会では史上最多36競技の実施が予定されている。パリ五輪は32競技329種目だった。一方、今回のミラノ・コルティナ五輪での実施種目は8競技116種目。単純比較でも冬は夏の4分の1程度の規模でしかない。

 どの種目が移行するかは現在検討中だが、「夏から冬への一部移行」つまり「冬季大会が従来の枠を取り払う方向性」は正式に決まった。

 実は、この方向性は30年以上も前、ほかならぬ猪谷千春がIOCに提言していたアイディアなのだ。猪谷は現役引退後、競技生活を支援してくれた保険会社AIG創業者コーネリアス・バンダー・スター氏の縁でAIUに入社。ニューヨーク本社で2年間の研修後、AIU日本支社に赴任。日本ではまだ理解の浅かった傷害保険の分野で会社の基盤づくりに貢献、1978年AIUグループのアメリカンホーム保険会社の社長に就任する。実業界で着実な地歩を築いた猪谷は1982年、前任の竹田恒徳の強い推薦があってIOC委員となり、オリンピック・ムーブメントの振興に情熱を注いだ。

冬の大会は雪と氷の上でやるスポーツと規定されているから

 猪谷は2005年から09年までIOC副会長も務めたが、IOCに深く関わる過程で「夏季競技の冬季大会への移行」を提案していたのだ。

 雑誌「世界」(岩波書店)2001年1月号でスポーツ文化評論家・玉木正之氏と対談した中で、肥大化する五輪種目を減らす検討はされないのか? と尋ねた玉木氏に対して、猪谷は次のように答えている。

「それはとても難しいことです。なぜなら該当する競技団体がなかなか納得しないでしょう。それに、いまでも、オリンピックに加えてほしいと申し込んでいる競技団体が二〇近くあり、それを半永久的に拒否しつづけるのも、逆に、差別だといわれかねません。(中略)
私は、夏の大会のインドア・スポーツのいくつかを冬の五輪に移したらよいと思っています。そのアイディアは、もう一〇年前から言っています。現在、冬の大会はわずか七スポーツで参加選手も三〇〇〇人くらいですから、増やせる余地はあります。たとえば、インドア・スポーツを冬に移行することによって三〇〇〇人ほどの余裕ができれば、新しい夏のスポーツを五輪に組み入れることが可能になります」

 しかし当時、猪谷の提案は一部の委員の賛同を得たものの、実現に至らなかった。猪谷がこう話している。

「サマランチ会長は『オリンピック憲章で、冬の大会は雪と氷の上でやるスポーツと規定されているから』と否定的ですね」

 その発言から25年が経過し、IOCはオリンピック憲章を改訂した上で冬季五輪を「雪と氷の上」だけでなく「アリーナ・スポーツ」に拡充しようと模索している。

世界のスポーツ勢力図を変えるきっかけになるほどの影響が

 多くの日本人がこの議論を最初に意識したきっかけは、東京2020のマラソン会場が急きょ東京から札幌に変更された時だった。そもそも、基本的には冬のスポーツであるマラソンを、開催時期が7-8月にほぼ固定された夏季大会で実施するのは危険だとの意見が高まっていた。それが世界的な異常気象と災害的な猛暑によって切迫化した。同様に競歩なども切実に冬への移行を検討すべき有力候補だろう。これらは競技実施の必然性があっての移行だ。しかし現在検討されているのは、それとは別の経営的な側面が大きい。

 バレーボールやバドミントン、柔道など、五輪開催時期と他の国際大会の時期調整が可能と思われる競技は抵抗が少ないかもしれない。だがバスケットボールのようにアメリカのプロバスケットが競技の頂点にあり、NBAシーズンの佳境と重なればスーパースターたちの参加は難しくなる。その点も決定に影響するだろうから、調整は容易ではない。

 ある時期から、「オリンピックはプロも含めた最高峰の選手たちの舞台」と方向を決めたオリンピックが、“ドリームチーム”に固執せず、ゴルフやテニス、バスケットボールなど、高額の報酬を得ているプロ選手が参加しないことを容認した方向性を求める可能性もないとはいえない。

 インドアの枠をはめなければ、本来は秋から冬が主要なシーズンであるサッカーも、真夏よりずっと競技しやすいともいえる。しかしサッカーもまた、各国のプロリーグと時期が重なり、U23限定といえども、出場選手のレベルが下がる可能性もある。

 一部競技の冬季大会への移行は、オリンピックそのものの存在を変え、世界のスポーツ勢力図を変えるきっかけになるほどの影響力を秘めている。

スポーツライター・小林信也

デイリー新潮編集部