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日本のビジネスの場において日常的に使われる「本音と建て前」。この建て前は、「Tatemae」として英語でも使われるほど、日本文化として世界に知られるようになりました。しかし、「建て前」は日本独自のものといわれると、そうではないようです。海外にも、建て前とよく似た概念が存在します。経営学者の木村琢磨氏が、著書『社内政治の科学』(日経BP)より、海外における建前の概念と日本の建て前との違いについて紐解きます。

「前向きに検討します」の“本当の意味”

「建て前」という言葉も、「ネマワシ」と同様に「タテマエ(Tatemae)」として英語で使われるようになっています。実際には評価していないのに褒めたり、反対であっても賛成しているようにふるまったりします。

「本音と建て前」とよく言われるように、こうした建て前は、日本のビジネスの場でよく見られます。「本音」は、親しい友人や信頼できる家族のみに明かされる本心を指します。それに対して「建て前」とは、公の場で用いられる表向きの言動です。

日本のビジネスの場では、たとえば「前向きに検討します」という言葉は、実際には断りの意味で使われることがあります。前向きに検討します」は文字通りに受け止めれば「お断り」とはむしろ逆の意味です。

このような建て前が頻繁に使われると、海外の人が日本人の意図を読み取れず、戸惑う原因になります。そのため、「ネマワシ」と同様に「タテマエ」も駐在員向け研修の教育項目に含める海外企業があります。

その解釈の難しさゆえに、タテマエに関する苦労話が海外のビジネスパーソンの中で笑い話として語られることもあります。現在では、日本に詳しい人だけでなく、英語圏の多くの人にも「タテマエ」という言葉が知られるようになっています。

利害やメンツを重んじる日本社会で欠かせない「建て前」

建て前は、衝突を避け、人間関係の調和を保つために日本社会では欠かせないものとなっています。これは、公の場での失敗や他者からの明確な否定が社会的地位や信用の低下につながるという懸念からです。

たとえば、ある人が行ったプレゼンテーションの内容に誤りがあった場合に、私たちが公の場で建て前を使わずに指摘すると、相手に恥をかかせてしまいます。発表者が自分の部下を連れてきている場合には、上司としてのメンツをつぶしてしまうことになります。また、公の場で相手に恥をかかせた、相手のメンツをつぶした張本人ということで、私たちも周りからの信用を失ったり、評判を下げてしまったりすることになります。

このような背景から、さまざまな人の利害やメンツが絡む社内政治の場では、タテマエをうまく使うことが不可欠です。

日本人同士でも、「建て前」が誤解を生むことも

日本人同士でも、建て前を含む日本式のコミュニケーションは誤解の原因となることがあります。

「前向きに検討します」や「それは良い考えだと思います」といった発言が本音か建て前かを見きわめるのは簡単ではありません。また、建て前で言ったつもりのことが本音と受け止められてしまうこともあります。逆に、本音で話したつもりでも、相手に建て前だと誤解される場合もあります。

日本人は海外の人から「自分の意見をはっきりと言わない」と指摘されることがあります。それは発言が少ないということだけではなく、本当は何が言いたいのかがよく分からない、という問題もあるようです。

建て前によく似た「リップサービス」と「ホワイトライ」

「建て前」は「タテマエ(Tatemae)」という言葉で英語でも使われています。そのため、日本特有の考え方だと思われがちですが、実は海外にもよく似た概念があります。

建て前に似た英単語として、リップサービス(lip service)とホワイトライ(white lie)があります。これらはいずれも、英語圏を中心に多くの文化圏で使われています。どちらも「本音とは異なることを言う」という点は同じですが、意図や使われ方には違いがあります。

実際の意図と反して相手に同調する「リップサービス」

リップサービスは、実際の意図や行動を伴わないまま、相手に対して好意的・同調的な発言をすることです。

たとえば「その企画、素晴らしいですね」と言いながら、実際には賛成も支持もしていない場面です。このようなときには、すでに却下を決めている場合すらあります。これは、対立を避けるために、表面的な同意や支持の言葉を使う戦術です。社内政治の場面でもよく使われます。

リップサービスは「言葉だけで実が伴わない」「行動せずに同調するふりをする」ものです。そのため、英語圏ではしばしばネガティブなニュアンスを含みます。しかし、相手を完全に否定するものではないので、ビジネスの場では戦術的に使われることもあります。

たとえば、上司のアイデアに違和感があったとしても、その場では肯定的な返答をし、別のタイミングで修正案を伝えるといった使い方です。これは、権力関係や上下関係を意識した、対立や摩擦を避けるための工夫です。

相手を傷つけないための善意のウソ「ホワイトライ」

一方のホワイトライは、相手の感情を傷つけないようにするための善意のウソです。内容が真実でないと分かっていても、相手への配慮や思いやりからあえて伝える言葉です。

たとえば、新人の不十分なプレゼンテーションに対して「初めてにしては堂々としていて良かったですよ」と声をかけることがあります。これはホワイトライの一例です。たとえ実際の評価とは異なっていても、努力したことを称え、今後の成長を促す意図があります。

ホワイトライには、リップサービスのような利己的・打算的な側面はほとんどありません。そのため、倫理的には比較的受け入れられやすいものです。ただしビジネスの場では、過度なホワイトライが現状の把握を難しくし、フィードバックの質を下げることもあります。たとえば、明らかに不適切な資料に対して「とても良いですね」と繰り返すことは、個人と組織の成長や改善の機会を奪う原因になります。

こうした理由から、ホワイトライは慎重に使う必要があります。思いやりと現実認識のバランスをよく考えることが大切です。

「海外には建て前がない」という思い込みは危険

リップサービスとホワイトライは、どちらも「人間関係の摩擦を避ける」「立場を守る」「関係性を維持する」といった目的で用いられます。ただし、リップサービスはやや戦略的・防衛的な性格が強い傾向があります。一方で、ホワイトライは感情や人間関係を重視するものです。

言い換えると、リップサービスは「どう見せるか」、ホワイトライは「どう感じさせるか」を意識した表現です。

「海外には建て前がない」と思い込んで本音でコミュニケーションをとり続けるのは危険です。人間関係が悪化したり、周囲からの信用を失ったりする原因になります。

海外で働く際には、リップサービスやホワイトライを見抜く力が必要です。そして、自分でも使いこなす力が求められます。

米国人のリップサービスに隠された「合理的な判断」

ある経営学の国際学会での実例を紹介します。米国人の司会者が、ある大学教授の発表に対し、笑顔でこうコメントしました。

「大変興味深い研究ですね。今後も継続的に調査を進めてください」。しかしその後、司会者は友人にこう漏らしました。「私が担当したセッションには良い発表がなかった」。このようなリップサービス的な発言は、国際学会ではよく見られます。

このケースでの「大変興味深い研究ですね」という司会者のコメントは、リップサービスに当たります。実際には高く評価していないのに、肯定的な言葉を使ったのです。その目的は、場の空気をポジティブに保ち、セッションを円滑に進めることでした。

ここで重要なのは司会者の発言の「意図」です。この発言は、相手への配慮というよりも、場の空気や関係性の維持を重視したものでした。

このようなリップサービスには、社交辞令としての側面もあります。さらに「場のマネジメント」において有効なツールにもなります。司会者が直接的な批判を避けたのは、次の発表者が萎縮しないよう配慮したためです。セッション全体の雰囲気を保つという、合理的な判断だったといえます。

同じ学会で、初めて発表をする大学院生がいました。その大学院生は、不慣れな様子でプレゼンテーションを行いました。その後に休憩時間に入ると、司会者はその大学院生に声をかけました。「初めてであれだけできれば立派だよ」と励ましの言葉をかけたのです。

これは、大学院生の自尊心を守り、今後の挑戦を後押しするためのホワイトライの一例です。

空気を読み、調和を保つ…「タテマエ」にしかない性質

このように、リップサービスとホワイトライは、いずれも「本音とは異なることを言う」という点で日本の「建て前」と似ています。それでは、なぜ「建て前」が「タテマエ」という英語になったのでしょうか。

その理由は、建て前がリップサービスやホワイトライとは本質的に異なる性質を持つからです。

日本の建て前は、文化的に内面化された行動様式です。場の調和を保つことそのものが目的であり、必ずしも意図的・戦略的に使われているとは限りません。「前向きに検討します」は、典型的な建て前表現です。これは結論の先延ばしや意思決定の回避につながり、実務の効率を下げてしまうこともあります。

一方、リップサービスやホワイトライは、目的に応じて使い分けられる戦術的なコミュニケーションです。発言の裏にある意図は明確です。これは「空気を読むための反射的な反応」ではなく、「場をどう動かすか」という視点で使われています(図表)。

[図表]タテマエとリップサービス、ホワイトライの比較 出典:『社内政治の科学』(日経BP)より抜粋

こうした違いのため、タテマエは海外の人にとって戸惑いの原因になります。「何のためにやっているのか分からない」「本当は何を考えているんだろう」と感じる人もいます。

一方、日本人が海外の人たちと仕事をするときには注意が必要です。単に即決や衝突を避けるためだけにタテマエを使うだけでは不十分です。目的に向かって場を動かすためには、リップサービスやホワイトライを使いこなす力も必要です。

ただし、リップサービスとホワイトライは目的が似ていることが多く、実際に使う人も、自分の発言がどちらなのかを明確に区別しながら使っているとは限りません。

そのため、両者の境界線は必ずしも明確ではなく、実際の会話では両方の性質を持つ発言が存在します。

木村 琢磨

博士

昭和女子大学 教授