ラスボス治済(生田斗真)が罠に落ちるシーンに視聴者最注目 『べらぼう』第47話画面注視データを分析
●実子・家斉にしてやられる展開に
テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、7日に放送されたNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(総合 毎週日曜20:00〜 ほか)の第47話「饅頭(まんじゅう)こわい」の視聴分析をまとめた。

『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第47話より (C)NHK
○冷えた眼差しで治済を見据える重好
最も注目されたのは20時31分で、注目度76.9%。ラスボス・一橋治済(生田斗真)が罠に落ちるシーンだ。
「奥方には年、金3000両と米500表。そのかわり家督は余の弟に継がせたい」将軍・家斉(城桧吏)とその実父・徳川治済は清水家の家督の相談という名目で清水家の茶室を訪れていた。「家名を残していただけること、まことにありがたく。では、一服お点ていたします。どうぞ」重好(落合モトキ)は茶を点て、茶菓子をすすめる。しかし治済はその茶菓子を鋭い視線で睨みつけていた。
茶室の隣の部屋では、松平定信(井上祐貴)、長谷川平蔵宣以(中村隼人)、柴野栗山(嶋田久作)、斎藤十郎兵衛(生田斗真)が息をひそめ状況をうかがっている。家斉は茶菓子を手に取り、平然と口へ運んだ。うまそうに食べる家斉を治済は硬い表情で見つめ続ける。「あの、お食べにならぬので?」家斉が涼しい顔で問いかける。治済は警戒を緩めず自分の分も家斉へ差し出した。家斉は平然と食べ続ける。食べ終わった家斉に別段変わった様子はない。「どうぞ」重好は点てた茶をすすめる。家斉は特に動じることもなく茶碗に手を伸ばし、茶を口に運ぶ。治済は警戒を緩めず家斉の挙動を凝視するが、やはり変わった様子はない。
「では」家斉から無言で茶碗を渡されると、治済もついに茶を飲んだ。「まこと、結構なお点前で」すると、治済が言い終わると同時に家斉が突っ伏した。「まさか、まさかもろともに!?」みるみるうちに治済の顔色が変わる。重好は冷えた眼差しで治済を見据えてた。「うう…おのれ!」よろめきながら立ち上がるが、その場に崩れ落ちる治済であった。

『べらぼう』第47話の毎分注視データ推移
○「我が子しかも将軍を毒味役にするなんて」
注目された理由は、非道を尽くした治済が、実子・家斉にしてやられる展開に視聴者の注目が集まったと考えられる。
これまで暗躍してきた治済についに鉄槌が下りた。前回、定信の仕掛けた罠を見破り逆に毒饅頭で追いつめた治済だったが、将軍・家斉の身体を張った罠により、ついに捕えられる。警戒を怠らず、茶菓子にも口をつけない用心深さを見せたが、罠はお茶に仕掛けられていた。
SNSでは「我が子しかも将軍を毒味役にするなんて、さすが白天狗恐ろしいな」「上様もどうなるか分からないのに、土壇場にきて覚悟決まったな」「治済でも将軍まで巻き込んでくるとは思いつかなかったんだな」と、治済と家斉のヒリつくやりとりが話題になった。
清水重好は1745(延享2)年に、江戸幕府第九代将軍・徳川家重の次男として江戸城西ノ丸で生まれた。1758(宝暦8)年に江戸城内の清水邸へ移り、1759(宝暦9)年、15歳になると元服して万次郎から重好と名を改めた。1792(寛政4)年に朝廷から権中納言の官位を受け、そのとき姓を清水に改めこれが分家である御三卿の一つである清水徳川家となった。
重好は1795(寛政7)年に51歳で亡くなるが嫡男がいなかったため、領地は幕府に没収された。作中では家斉の弟が清水家を継ぐ話が出ていたが、史実では1798(寛政10)年に家斉の五男・徳川敦之助が3歳で継いでいる。ちなみに敦之助の母親は作中で治済と昵懇の仲だった薩摩藩第八代藩主・島津重豪(田中幸太朗)の娘・広大院だ。しかし敦之助は翌年に夭折し、腹違いの弟である家斉の七男・徳川斉順が三代目として清水家を継ぐ。斉順は第十四代将軍・徳川家茂の実父だ。
●涙を流しながら仏壇に向かう庄司
2番目に注目されたのは20時36分で、注目度76.4%。三浦庄司(原田泰造)が亡き殿・田沼意次(渡辺謙)への忠臣ぶりを示すシーンだ。
「毒は毒でも眠る毒?」庄司が驚きの声をあげる。「へえ。眠っている間に入れ替えちまえってことで」眠っている間に殺すのかと問いかける庄司に、蔦重(横浜流星)は阿波の孤島に閉じ込めることになっていると説明した。納得の行かない様子の庄司に、蔦重は自分のたくらみで人が死ぬことに抵抗があること、さらに柴野栗山が親殺しは大罪であり、義はあっても将軍・徳川家斉は大罪を犯すことになり、それを仕掛けた者も外道に成り下がると進言したことで、阿波へ送ることが決まったと言う。
そこへ水野為長(園田祥太)がやってきた。「いかがでございましたか? 首尾は」蔦重が静かに尋ねる。「無事、替え玉はお城に。本物は阿波に向かい出立されました次第!」為長が笑顔で報告する。蔦重はほっと胸をなでおろし、庄司は涙を流しながら仏壇に向かう。「殿、若殿…やりましたぞ。やりました。やりました」と、田沼意次と田沼意知(宮沢氷魚)の位牌に手を合わせる。その姿を為長が涙ぐみながら見つめた。蔦重も仏壇に向かい手を合わせ、静かに目を閉じた。
○「三浦さん、疑ってごめんなさい」
このシーンは、疑惑の人・三浦庄司の涙に、視聴者の視線が集まったと考えられる。
長年、意次に仕え続けていた庄司は、意次が老中を失脚してからも蔦重との橋渡しを務めるなど、その忠誠心が揺らぐことはなかった。第44話「空飛ぶ源内」では、意次を老中から追い落とした松平定信が訪ねて来たが、心中穏やかでなかっただろう。しかし、共通の敵である傀儡好き・一橋治済を討つために定信の提案を受け入れ立ち上がった庄司。見事に仇討ちが果たされると、真っ先に意次・意知に報告する姿はまさに忠臣のものだった。
そんな庄司だが、意次・意知の存命中から、治済のスパイではないかという疑惑がネット上では絶えなかった。前回、毒饅頭配り(村上和成)を手引きしたのは庄司ではないかという声すらあった。SNSでは「三浦さんずっと良心やったね。疑ってごめんなさい」「この忠臣を裏切り者呼ばわりしてたのはどこの誰だとあの世の田沼様も怒ってるだろうな」「三浦様が田沼様父子に手を合わせるシーンが本当に良かった」と、ようやく疑いが晴れた庄司に投稿が集まった。
治済が送られることになった阿波は、蜂須賀家が藩主として統治した地域で、藩としては阿波と淡路の二国を合わせた徳島藩として知られている。治済の替え玉となった斎藤十郎兵衛は蜂須賀家お抱えの能役者。徳川家康に仕えた蜂須賀家政が藩祖となり、石高は約25万石とされている。四国でも屈指の規模を誇る藩だ。藍の生産を奨励し、全国市場をほぼ独占するほどの経済力を持った。財政的に豊かで江戸時代を通じて安定した藩として評価されている。1827(文政)10年)に徳川家斉の二十二男・斉裕が第十二代藩主・蜂須賀斉昌の養子となり、1843(天保14)年に家督を継いで十三代藩主となった。この展開は治済の政略が反映されている。
●松平定信、耕書堂を訪れる
3番目に注目されたシーンは20時40分で、注目度75.6%。松平定信が耕書堂を訪れるシーンだ。
定信は国元へ戻る前に耕書堂を訪れていた。蔦重は定信が公儀の政に戻ると思っていたが、定信は外道とはいえ将軍・徳川家斉の父を罠にかけた自分を罰するつもりでいた。生真面目な定信らしい責任の取り方だ。定信は蔦重に、時折替え玉として城にいる斎藤十郎兵衛に本や絵を届けてなぐさめてほしいと頼み、家斉を引き込んだ蔦重の策を褒めた。「あの、それおっしゃるためにお立ち寄りに?」蔦重は戸惑う。すると、定信は目を泳がせながら口早に言い放つ。「イキチキドコキキテケミキタカカカッタカノコダカ」突然のことに固まる蔦重だったが、それが「一度来てみたかったのだ」という意味だと理解すると驚きの声をあげた。
ぼう然とする蔦重に「『金々先生』よりこちら、黄表紙はもれなく読んでおる。春町(岡山天音)は我が神、蔦屋耕書堂は神々の集う神殿(やしろ)であった。あのことは我が政、唯一の不覚である」と告白する。定信は春町を切腹に追い込んだことをずっと悔いていたのだ。「写楽ってなぁ、春町先生への供養のつもりで取り組んだのでございます」定信の本心を知った蔦重は穏やかに語りかける。「ご一緒できてようございました」と、蔦重が定信に深々と頭を下げた。すると定信はよい品を随時、白河へ送るようにと返す。さらに「抜け目ない商人に千両も取られたゆえ、倹約せねばならぬ」と言い放ち、本を物色する定信を蔦重はあきれながらも笑顔でながめていた。
○「田舎のオタクが都会の大型専門書店にきたときの顔」
ここは、お茶目な定信に視聴者が「クギづけ」になったと考えられる。
無事に仇討ちを果たした定信は幕政に戻ることなく、白河藩へ戻ることを選び、その道中で初めて耕書堂を訪れた。最初はわだかまりのあった蔦重。しかし、かつて義兄・次郎兵衛(中村蒼)から聞かされた通り、定信は生粋の黄表紙好きだった。春町に心酔しており、耕書堂に憧れていたことも本人の口から語られた。定信の胸中を知ったことで、蔦重もプロジェクト写楽にかけた自分の思いを打ち明ける。2人が和解することで仇討ちのためのプロジェクト写楽は大団円となった。
SNSでは「田舎のオタクが都会の大型専門書店にきたときの顔だね」「定信と蔦重が春町先生の話するところで不覚にもうるっときた」「プライドの高い定信くんが素直に内心を吐露して、蔦重も自分にも非があったと素直に認めたのが春町先生への何よりの供養になったと思う」と、憑き物が落ちたような定信に多くのコメントが集まった。
史実では白河藩へ戻った定信は、藩主として藩政に専念し経済振興のためにキセル製造、薬草・煙草栽培の奨励、たたら製鉄設備の新設などを行う。また、藩校「立教館」を設立し、藩士や庶民の学問を推進するなど教育にも力を注いだ。また、1801(享和元)年には武士も庶民も身分の区別なく楽しめる場所という「士民共楽」の理念のもと、公園兼貯水池「南湖」を竣工する。江戸白河藩中屋敷に約1万7千坪の「浴恩園」という庭園を築いていたが、「南湖」は約13万坪という「浴恩園」の約7倍の広大なものだった。現在は「南湖公園」として国の史跡および名勝に指定されている。
他にも江戸の町で働くさまざまな職人や商人を紹介する『近世職人尽絵詞』という3巻の本を1806(文化3)年頃に刊行している。絵を担当したのは鍬形螵斎。北尾政美(高島豪志)の別号だ。詞書(説明文)は上巻を大田南畝、中巻を朋誠堂喜三二、下巻を山東京伝が担当した。寛政の改革のことを考えるとなかなか厚かましい話だ。
●執拗に定信をいびる治済
第47話「饅頭こわい」では前回に引き続き、1794(寛政6)年の様子が描かれた。
曽我祭の喧騒にまぎれて一橋治済を襲撃する松平定信の計画は治済に見破られ、定信は逆に毒饅頭により大きな被害を受けた。耕書堂もターゲットとなり、蔦重は一時的に店を閉めることを余儀なくされ、定信は江戸城内で治済からひどくなじられる。事態を打開するため、蔦重は第十一代将軍・徳川家斉をも巻き込んだ大胆な策を定信に提案する。大崎が蔦重に託した遺書と清水重好の協力もあり、ついに治済を睡眠薬入りの茶で眠らせ幽閉し、替え玉として用意した斎藤十郎兵衛と入れ替えることに成功した。大願を果たした定信は白河へと帰っていった。
注目度トップ3以外の見どころとしては、斎藤十郎兵衛の登場シーンが挙げられる。前回のラストに登場した一橋治済と瓜二つの男は阿波徳島藩の能役者である斎藤十郎兵衛だった。史実では東洲斎写楽の正体としてもっとも有力視されている人物。意外な形での登場となった。一橋アベンジャーズにとって切り札となる存在だった。その後の十郎兵衛が気になるが、能役者なら演じることには慣れているだろうし、家斉もついているので大丈夫なのではないだろうか。
また執拗に定信をいびる治済のシーンも印象的だった。定信の配下が毒饅頭で亡くなったのは曽我祭で大騒ぎした末の食あたりとして処理されたようだ。事実を明かすわけにもいかず、定信は治済の追及を必死に耐える。さらにかつての腹心・本多忠籌(矢島健一)と松平信明(福山翔大)にまで詰められる。治済は隠居まで迫ってきた。
さらに、大崎の遺言書が家斉に届くシーンも挙げられる。実父である治済におびえ続けてきた家斉だったが、乳母である大崎の最後の頼みを聞き入れ治済を討つ決意を固める。大崎の身体を張った策略は見事に治済を追い込んだ。
きょう14日に放送される最終話「蔦重栄華乃夢噺」では、蔦重が脚気に倒れる。そんな蔦重のために今まで出会った人たちが耕書堂へ駆けつける。



(C)NHK

REVISIO 独自開発した人体認識センサー搭載の調査機器を一般家庭のテレビに設置し、「テレビの前にいる人は誰で、その人が画面をきちんと見ているか」がわかる視聴データを取得。広告主・広告会社・放送局など国内累計200社以上のクライアントに視聴分析サービスを提供している。本記事で使用した指標「注目度」は、テレビの前にいる人のうち、画面に視線を向けていた人の割合を表したもので、シーンにくぎづけになっている度合いを示す。 この著者の記事一覧はこちら
テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、7日に放送されたNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(総合 毎週日曜20:00〜 ほか)の第47話「饅頭(まんじゅう)こわい」の視聴分析をまとめた。

○冷えた眼差しで治済を見据える重好
「奥方には年、金3000両と米500表。そのかわり家督は余の弟に継がせたい」将軍・家斉(城桧吏)とその実父・徳川治済は清水家の家督の相談という名目で清水家の茶室を訪れていた。「家名を残していただけること、まことにありがたく。では、一服お点ていたします。どうぞ」重好(落合モトキ)は茶を点て、茶菓子をすすめる。しかし治済はその茶菓子を鋭い視線で睨みつけていた。
茶室の隣の部屋では、松平定信(井上祐貴)、長谷川平蔵宣以(中村隼人)、柴野栗山(嶋田久作)、斎藤十郎兵衛(生田斗真)が息をひそめ状況をうかがっている。家斉は茶菓子を手に取り、平然と口へ運んだ。うまそうに食べる家斉を治済は硬い表情で見つめ続ける。「あの、お食べにならぬので?」家斉が涼しい顔で問いかける。治済は警戒を緩めず自分の分も家斉へ差し出した。家斉は平然と食べ続ける。食べ終わった家斉に別段変わった様子はない。「どうぞ」重好は点てた茶をすすめる。家斉は特に動じることもなく茶碗に手を伸ばし、茶を口に運ぶ。治済は警戒を緩めず家斉の挙動を凝視するが、やはり変わった様子はない。
「では」家斉から無言で茶碗を渡されると、治済もついに茶を飲んだ。「まこと、結構なお点前で」すると、治済が言い終わると同時に家斉が突っ伏した。「まさか、まさかもろともに!?」みるみるうちに治済の顔色が変わる。重好は冷えた眼差しで治済を見据えてた。「うう…おのれ!」よろめきながら立ち上がるが、その場に崩れ落ちる治済であった。

○「我が子しかも将軍を毒味役にするなんて」
注目された理由は、非道を尽くした治済が、実子・家斉にしてやられる展開に視聴者の注目が集まったと考えられる。
これまで暗躍してきた治済についに鉄槌が下りた。前回、定信の仕掛けた罠を見破り逆に毒饅頭で追いつめた治済だったが、将軍・家斉の身体を張った罠により、ついに捕えられる。警戒を怠らず、茶菓子にも口をつけない用心深さを見せたが、罠はお茶に仕掛けられていた。
SNSでは「我が子しかも将軍を毒味役にするなんて、さすが白天狗恐ろしいな」「上様もどうなるか分からないのに、土壇場にきて覚悟決まったな」「治済でも将軍まで巻き込んでくるとは思いつかなかったんだな」と、治済と家斉のヒリつくやりとりが話題になった。
清水重好は1745(延享2)年に、江戸幕府第九代将軍・徳川家重の次男として江戸城西ノ丸で生まれた。1758(宝暦8)年に江戸城内の清水邸へ移り、1759(宝暦9)年、15歳になると元服して万次郎から重好と名を改めた。1792(寛政4)年に朝廷から権中納言の官位を受け、そのとき姓を清水に改めこれが分家である御三卿の一つである清水徳川家となった。
重好は1795(寛政7)年に51歳で亡くなるが嫡男がいなかったため、領地は幕府に没収された。作中では家斉の弟が清水家を継ぐ話が出ていたが、史実では1798(寛政10)年に家斉の五男・徳川敦之助が3歳で継いでいる。ちなみに敦之助の母親は作中で治済と昵懇の仲だった薩摩藩第八代藩主・島津重豪(田中幸太朗)の娘・広大院だ。しかし敦之助は翌年に夭折し、腹違いの弟である家斉の七男・徳川斉順が三代目として清水家を継ぐ。斉順は第十四代将軍・徳川家茂の実父だ。
●涙を流しながら仏壇に向かう庄司
2番目に注目されたのは20時36分で、注目度76.4%。三浦庄司(原田泰造)が亡き殿・田沼意次(渡辺謙)への忠臣ぶりを示すシーンだ。
「毒は毒でも眠る毒?」庄司が驚きの声をあげる。「へえ。眠っている間に入れ替えちまえってことで」眠っている間に殺すのかと問いかける庄司に、蔦重(横浜流星)は阿波の孤島に閉じ込めることになっていると説明した。納得の行かない様子の庄司に、蔦重は自分のたくらみで人が死ぬことに抵抗があること、さらに柴野栗山が親殺しは大罪であり、義はあっても将軍・徳川家斉は大罪を犯すことになり、それを仕掛けた者も外道に成り下がると進言したことで、阿波へ送ることが決まったと言う。
そこへ水野為長(園田祥太)がやってきた。「いかがでございましたか? 首尾は」蔦重が静かに尋ねる。「無事、替え玉はお城に。本物は阿波に向かい出立されました次第!」為長が笑顔で報告する。蔦重はほっと胸をなでおろし、庄司は涙を流しながら仏壇に向かう。「殿、若殿…やりましたぞ。やりました。やりました」と、田沼意次と田沼意知(宮沢氷魚)の位牌に手を合わせる。その姿を為長が涙ぐみながら見つめた。蔦重も仏壇に向かい手を合わせ、静かに目を閉じた。
○「三浦さん、疑ってごめんなさい」
このシーンは、疑惑の人・三浦庄司の涙に、視聴者の視線が集まったと考えられる。
長年、意次に仕え続けていた庄司は、意次が老中を失脚してからも蔦重との橋渡しを務めるなど、その忠誠心が揺らぐことはなかった。第44話「空飛ぶ源内」では、意次を老中から追い落とした松平定信が訪ねて来たが、心中穏やかでなかっただろう。しかし、共通の敵である傀儡好き・一橋治済を討つために定信の提案を受け入れ立ち上がった庄司。見事に仇討ちが果たされると、真っ先に意次・意知に報告する姿はまさに忠臣のものだった。
そんな庄司だが、意次・意知の存命中から、治済のスパイではないかという疑惑がネット上では絶えなかった。前回、毒饅頭配り(村上和成)を手引きしたのは庄司ではないかという声すらあった。SNSでは「三浦さんずっと良心やったね。疑ってごめんなさい」「この忠臣を裏切り者呼ばわりしてたのはどこの誰だとあの世の田沼様も怒ってるだろうな」「三浦様が田沼様父子に手を合わせるシーンが本当に良かった」と、ようやく疑いが晴れた庄司に投稿が集まった。
治済が送られることになった阿波は、蜂須賀家が藩主として統治した地域で、藩としては阿波と淡路の二国を合わせた徳島藩として知られている。治済の替え玉となった斎藤十郎兵衛は蜂須賀家お抱えの能役者。徳川家康に仕えた蜂須賀家政が藩祖となり、石高は約25万石とされている。四国でも屈指の規模を誇る藩だ。藍の生産を奨励し、全国市場をほぼ独占するほどの経済力を持った。財政的に豊かで江戸時代を通じて安定した藩として評価されている。1827(文政)10年)に徳川家斉の二十二男・斉裕が第十二代藩主・蜂須賀斉昌の養子となり、1843(天保14)年に家督を継いで十三代藩主となった。この展開は治済の政略が反映されている。
●松平定信、耕書堂を訪れる
3番目に注目されたシーンは20時40分で、注目度75.6%。松平定信が耕書堂を訪れるシーンだ。
定信は国元へ戻る前に耕書堂を訪れていた。蔦重は定信が公儀の政に戻ると思っていたが、定信は外道とはいえ将軍・徳川家斉の父を罠にかけた自分を罰するつもりでいた。生真面目な定信らしい責任の取り方だ。定信は蔦重に、時折替え玉として城にいる斎藤十郎兵衛に本や絵を届けてなぐさめてほしいと頼み、家斉を引き込んだ蔦重の策を褒めた。「あの、それおっしゃるためにお立ち寄りに?」蔦重は戸惑う。すると、定信は目を泳がせながら口早に言い放つ。「イキチキドコキキテケミキタカカカッタカノコダカ」突然のことに固まる蔦重だったが、それが「一度来てみたかったのだ」という意味だと理解すると驚きの声をあげた。
ぼう然とする蔦重に「『金々先生』よりこちら、黄表紙はもれなく読んでおる。春町(岡山天音)は我が神、蔦屋耕書堂は神々の集う神殿(やしろ)であった。あのことは我が政、唯一の不覚である」と告白する。定信は春町を切腹に追い込んだことをずっと悔いていたのだ。「写楽ってなぁ、春町先生への供養のつもりで取り組んだのでございます」定信の本心を知った蔦重は穏やかに語りかける。「ご一緒できてようございました」と、蔦重が定信に深々と頭を下げた。すると定信はよい品を随時、白河へ送るようにと返す。さらに「抜け目ない商人に千両も取られたゆえ、倹約せねばならぬ」と言い放ち、本を物色する定信を蔦重はあきれながらも笑顔でながめていた。
○「田舎のオタクが都会の大型専門書店にきたときの顔」
ここは、お茶目な定信に視聴者が「クギづけ」になったと考えられる。
無事に仇討ちを果たした定信は幕政に戻ることなく、白河藩へ戻ることを選び、その道中で初めて耕書堂を訪れた。最初はわだかまりのあった蔦重。しかし、かつて義兄・次郎兵衛(中村蒼)から聞かされた通り、定信は生粋の黄表紙好きだった。春町に心酔しており、耕書堂に憧れていたことも本人の口から語られた。定信の胸中を知ったことで、蔦重もプロジェクト写楽にかけた自分の思いを打ち明ける。2人が和解することで仇討ちのためのプロジェクト写楽は大団円となった。
SNSでは「田舎のオタクが都会の大型専門書店にきたときの顔だね」「定信と蔦重が春町先生の話するところで不覚にもうるっときた」「プライドの高い定信くんが素直に内心を吐露して、蔦重も自分にも非があったと素直に認めたのが春町先生への何よりの供養になったと思う」と、憑き物が落ちたような定信に多くのコメントが集まった。
史実では白河藩へ戻った定信は、藩主として藩政に専念し経済振興のためにキセル製造、薬草・煙草栽培の奨励、たたら製鉄設備の新設などを行う。また、藩校「立教館」を設立し、藩士や庶民の学問を推進するなど教育にも力を注いだ。また、1801(享和元)年には武士も庶民も身分の区別なく楽しめる場所という「士民共楽」の理念のもと、公園兼貯水池「南湖」を竣工する。江戸白河藩中屋敷に約1万7千坪の「浴恩園」という庭園を築いていたが、「南湖」は約13万坪という「浴恩園」の約7倍の広大なものだった。現在は「南湖公園」として国の史跡および名勝に指定されている。
他にも江戸の町で働くさまざまな職人や商人を紹介する『近世職人尽絵詞』という3巻の本を1806(文化3)年頃に刊行している。絵を担当したのは鍬形螵斎。北尾政美(高島豪志)の別号だ。詞書(説明文)は上巻を大田南畝、中巻を朋誠堂喜三二、下巻を山東京伝が担当した。寛政の改革のことを考えるとなかなか厚かましい話だ。
●執拗に定信をいびる治済
第47話「饅頭こわい」では前回に引き続き、1794(寛政6)年の様子が描かれた。
曽我祭の喧騒にまぎれて一橋治済を襲撃する松平定信の計画は治済に見破られ、定信は逆に毒饅頭により大きな被害を受けた。耕書堂もターゲットとなり、蔦重は一時的に店を閉めることを余儀なくされ、定信は江戸城内で治済からひどくなじられる。事態を打開するため、蔦重は第十一代将軍・徳川家斉をも巻き込んだ大胆な策を定信に提案する。大崎が蔦重に託した遺書と清水重好の協力もあり、ついに治済を睡眠薬入りの茶で眠らせ幽閉し、替え玉として用意した斎藤十郎兵衛と入れ替えることに成功した。大願を果たした定信は白河へと帰っていった。
注目度トップ3以外の見どころとしては、斎藤十郎兵衛の登場シーンが挙げられる。前回のラストに登場した一橋治済と瓜二つの男は阿波徳島藩の能役者である斎藤十郎兵衛だった。史実では東洲斎写楽の正体としてもっとも有力視されている人物。意外な形での登場となった。一橋アベンジャーズにとって切り札となる存在だった。その後の十郎兵衛が気になるが、能役者なら演じることには慣れているだろうし、家斉もついているので大丈夫なのではないだろうか。
また執拗に定信をいびる治済のシーンも印象的だった。定信の配下が毒饅頭で亡くなったのは曽我祭で大騒ぎした末の食あたりとして処理されたようだ。事実を明かすわけにもいかず、定信は治済の追及を必死に耐える。さらにかつての腹心・本多忠籌(矢島健一)と松平信明(福山翔大)にまで詰められる。治済は隠居まで迫ってきた。
さらに、大崎の遺言書が家斉に届くシーンも挙げられる。実父である治済におびえ続けてきた家斉だったが、乳母である大崎の最後の頼みを聞き入れ治済を討つ決意を固める。大崎の身体を張った策略は見事に治済を追い込んだ。
きょう14日に放送される最終話「蔦重栄華乃夢噺」では、蔦重が脚気に倒れる。そんな蔦重のために今まで出会った人たちが耕書堂へ駆けつける。



(C)NHK

