東京で「お金のない若者」が排除され起きている事
昨今、都心の都市には座る場所や立ち止まる場所が少ない。その結果、カフェがとにかく混雑するようになっているが、カフェにも入れないことも増えている(筆者撮影)
私は「東京に『座るにも金が要る街』が増えた本質理由 疲れてもカフェに入れず途方に暮れる人へ」という記事で、渋谷を中心に「座れない」街が増えていると問題提起した。街にいるとき、ちょっとひとやすみ……というのが難しいのだ。カフェはどこも混んでいるし、ベンチは座りにくい。
その背景には、渋谷に集まってきたビジネスマンやインバウンド観光客向けの再開発が行われて都市が高級になったこと(ジェントリフィケーション)、さらに防犯意識の高まりから「排除アート」が増加したことなどがある。
この結果、これまで渋谷が抱えてきた「若者」が知らず知らずのうちに街から「排除」されている。今回は、そんな「若者の排除」の現状、そしてその後に待っているかもしれない都市の風景をレポートする。
カフェ難民の増加が表す「無料で休めない街」
「渋谷のカフェどこも激混み問題」に関するニュースをよく聞く。例えば、集英社オンラインは2024年10月16日に「なぜ都会では“カフェでひと休み”すらできないのか?「カフェ難民」が続出している根本的原因」という記事を出した。
この記事はXを中心に大きな反響を呼び、Xのトレンドに「カフェ難民」が上がるとともに、Yahoo!ニュースのコメントも3000件を超えるまでになった。みんなこの問題に一言あるのだ。
【画像11枚】「カフェすら座れない」「ディズニーも40代以上の利用者が増加」……東京で静かに進む、お金のない若者の排除の実態と、都市に生まれている驚きの光景
個人的に面白いと感じたのは、「そもそもカフェで休もうという思考が変。街で休める場所を作るべき」というコメントだ。
言われてみれば、なぜ私たちは「一休み」というと「カフェ」を思い浮かべるのだろう。それぐらい、「街中で休む」という選択肢が私たちの中にないのだ。
SHIBUYA TSUTAYAにあるスターバックスも激混みだ。それに外国人が多い(筆者撮影)
カフェだって入るのにある程度のお金はかかるわけだし、「無料で休む」となると、その選択肢はほとんどない。
渋谷の若者は「MIYASHITA PARK」へ
こうしたあおりを、もっとも受けるのは若年層だろう。
これまで、渋谷は「若者の街」と呼ばれてきた。現在では再開発でビジネスパーソンやインバウンド向けの街になりつつあるが、それでも週末になれば若い人の姿を多く見かける。筆者は20代半ばだが、筆者自身や友人も「とりあえず渋谷」という人はまだまだ多い。
そんな彼らが買い物などをしてちょっと疲れた……どこかで休もう、でも、カフェはどこも混んでいて座れない、といったときどこで休むのか。その答えの一つがMIYASHITA PARKである。
渋谷駅から徒歩数分の「MIYASHITA PARK」。2020年にリニューアルオープンした結果、若者たちが休憩したり、ダラダラする場所になっている(筆者撮影)
テレビ朝日のニュース番組「グッド!モーニング」で10月24日に放映された「渋谷に『ジベタリアン』再び 大規模開発で居場所なくなる 若者の街がビジネスの街へ」では、渋谷の若者たちが、MIYASHITA PARKに集まる姿が特集されている。
筆者はこの企画でインタビューを受けており、以前からMIYASHITA PARKに多くの若い人が集っていることに注目しつつ、フィールドワークを重ねてきた。
MIYASHITA PARKは「公園」の名の通り、無料で出入りができ、基本的にずっとそこにいることができる(ただ、23時までという制限はある)。ここに集う人々は、屋上公園に設置された芝生で寝っ転がって話したり、夜になるとそこかしこでTikTokの動画を撮っている。しかも興味深いことに、制服を着た高校生と思しき集団も多い。若者の中でも特に若い、10代から20代前半ぐらいの人々が多く集っているのだ。
「MIYASHITA PARK」では、芝生に若者が寝っ転がる姿が確認できる。どこか外国のような光景だが、お金を使わずに休めるという理由で足を運んでいる人も少なくない(筆者撮影)
「渋谷から若者がいなくなった」とよく語られるが、ここを見ると、まったくそう思えない。実際、「グッド!モーニング」の取材で、次のように20代の来園者が語っている。
「行く場所が特にないときとかに、とりあえず行ってみるみたいなのはあるかもしれない。無料休憩所みたいな」
座る場所が少なく、カフェも混んでいる……そんなときに、若者たちが向かうのがMIYASHITA PARKなのだ(ここでは触れないが、そもそもMIYASHITA PARK自体がホームレス排除の問題とあわせて『ジェントリフィケーション』の顕著な例として扱われてきたが、むしろ「若年層」に注目すると反対のことが起こっている)。
若者がたむろする空間が減った渋谷
単にいまの若者がMIYASHITA PARKに集まっている、だけなのかもしれない。
しかし、かつてはもっと渋谷の全域に若者たちがたむろしていた。
私の手元にPARCOのシンクタンク「ACROSS」が2000年の渋谷を調査した『SHIBUYA 2000 REPORT』がある。これは2000年の渋谷で、どこにどのような人々が集まっていたのかをまとめていて、センター街周辺では「宇多川交番前」や「西武百貨店渋谷店A館」「HMV前(現・フォーエバートゥエンティーワン)」など若者がたむろしやすい場所がいくつかあると書いてある。
渋谷西武百貨店。今ではインバウンドでごった返し、なかなか落ち着けないエリアだが、かつては若者がたむろしていたという(筆者撮影)
特にHMVの階段前については「昼間は学生、夕方は待ち合わせ、深夜は酔っぱらい、と“ちょっとした場所”として機能している」とある。「ちょっと一休み」できる場所が2000年の渋谷の屋外にはあったのだ。
また、現在はリニューアルしたが、スクランブル交差点前にある渋谷TSUTAYAがあるQフロント横の階段でも「スターバックスの屋外座席?というほど、Qフロントの横の階段で飲食を取る若者が増えた」と書いてある。
24年前の記述だからかなり古いけれど、特にセンター街を中心に、路上のあちこちで若者がたむろをしていたのが渋谷の街なのだ。しかし現在、その辺りにたむろしている人はほとんどいない。それらはきゅっとMIYASHITA PARKに集まっている。そして、その集まる面積はずいぶんと小さくなった。若者がたむろできる場所が小さくなりつつある。
先ほども書いた通り、インバウンド観光客やオフィスワーカーの街になりつつある渋谷では当然のことかもしれない。
MIYASHITA PARKからわかるのは、どことなく街全体が若者に対する「排除」を強めているのではないか、ということだ。
もっとも、街や商業施設が若者を「排除しますよ」と公言しているわけではない。ただでさえ「多様性」の時代だ(ちなみに渋谷区は区全体として「多様性」を押し出している)。
ただ、確かに街のあらゆる施設は万人に開かれているが、それは「お金があれば」の話で、そうでなければ実質的に使えない。そして、特に若年層は経済的には苦しい状況にある。実質的に、若者世代が締め出しを食らっているといってもいい。
日本全体での税や社会保険などの国民負担率は増加の一途をたどっており、特に賃金が低い水準である10代後半〜20代にとっては、経済的に非常に苦しい現状がある。ニッセイ基礎研究所の坂田紘野氏は、20代の実質賃金は上昇しているにもかかわらず、こうした国民負担率の増加によって、若年世代に経済不安があると指摘する。
また、第59回学生生活実態調査によれば、下宿生の仕送り額は1995年から2010年にかけて大幅に減少し、その後も低下傾向にある。それに、有名な話ではあるが、日本の子どもの相対的貧困率は7人に1人ともいわれており、OECD加盟国の中でも最悪の水準だといわれている。
本来ならばもっと細かくデータを参照すべきではあるものの、大まかに30代未満を若者だとするならば、さまざまなデータが若者の経済的な苦しさを物語っていることは間違いない。
街が「お金を使わないと楽しめない」方向になるにつれて、こうした若い人々の居場所が失われ、公言はされないけれども実質的には排除が起きている。これを「静かな排除」と呼びたい。
「若者のディズニー離れ」言説から見る「若者の静かな排除」
「論理の飛躍では?」と言われることを恐れながらも、この点で最近話題のトピックについても触れてみたい。それが「若者のディズニー離れ」だ。
大手テーマパークとして知られる東京ディズニーリゾートのチケット料が値上がりを繰り返し、日によっては1万円を越す日も現れた。その結果として、他世代と比較してお金のない若者にとって行きにくい場所となり、「若者のディズニー離れ」が生じている……という言説だ。
東京ディズニーランドの前にあるボン・ヴォヤージュ(筆者撮影)
実際、データを見ていくと、オリエンタルランドが公開しているファクトブックを見ると、「大人(40歳以上)」の層が大きく増加しているのに対し、「中人」(12歳から17歳)「小人」(4歳から11歳)」は減少している。
なお、もうひとつの層である「大人(18〜39歳)」は、データ範囲がなかなか広いため、「若者」の定義が曖昧なこともあって、このデータだけで「若者のディズニー離れ」と決めつけるのは拙速かもしれない。
だが、全体としては、以前より来場者の年齢層が上昇の傾向にあるのは、間違いないだろう。
コロナ前は「大人(40歳以上)」の割合が20%程度だったが……(出典:オリエンタルランドの2019年ファクトブック)
直近のデータでは、3分の1を占めるまでに増加している。また「中人」「小人」を合わせた数値も、30%程度から25%程度になり、数ポイントの減少が見られる(出典:オリエンタルランドの2024年ファクトブック)
東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドは、コロナ禍での大幅な来場客の減少を経て、“量”を入れて収益を取る方向から、それぞれのゲストの体験の“質”を深める方向に転換することを公式に発表している。来場者を限定し、それぞれのゲストの体験の“質”を深める方向に舵を切ったのだ。
裏返していえば、廉価で多くの客を入れる方向から、少数精鋭の客により多くの消費をしてもらうのだ。ディズニーランドも、多くの人に開かれた「夢の王国」から、ひとり数万円の出費が可能な人向けの「現実の王国」になっている。
もちろん、企業が利益を追求することを否定するわけではない。むしろどんどん儲けるべきだ。しかし、短期での利益回収をもとめるときに手っ取り早いのは、ある程度お金を持っている人をターゲットにしてたくさんの消費をさせること。必然的に消費額が少ない若年層向けの選択肢は少なくなっていく。
その意味でも、全国的に渋谷で見られるような「若者の静かな排除」はひっそりと進行しているかもしれないのだ。
(なお、2025年3月期の上半期の決算では、売上高が期初予想の2579億円に対し、実績が2387億円と、192億円ほど下振れ、入園者数も期初予想を下回った。オリエンタルランド側は理由に「リベンジ消費の落ち着きなどによる旅行需要の減少による減」「猛暑による減」などをあげているが、ネット上では「高くなって、庶民には行きづらくなったからでは?」という指摘も出ている状況だ)
「静かな排除」は治安向上に役立つが…
話を戻そう。とはいえ、渋谷でひっそりと進行する「若者の静かな排除」は、仕方ない部分もある。若者がたむろすれば必然的に治安は悪くなるし、街が高級化することはその街のイメージアップにもつながるからだ。
一時的な措置ではあるが、渋谷のハチ公広場周辺では、ハロウィンでの若者のたむろを警戒して、その期間の立ち入りが封鎖されている。SNS上では評価する声が多いし、地元住民からすれば、街の治安向上につながるから必要な取り組みだ。
数年前の渋谷ハロウィンの様子。すごい人だった(筆者撮影)
2024年のハロウィンでは、渋谷の中心部の一部が封鎖されることになった(筆者撮影)
その結果、混雑は例年通りの印象で、また仮装する外国人の姿も多数確認できた(筆者撮影)
一方、そのようにして広場を囲んで閉鎖することは「座れない場所」をさらに作ることにもつながる。この場合は一時的なもので、特段批判するのもおかしな話だが、こうした締め出しは他の街でも行われている。
その顕著な例が、トー横広場だろう。ここには、ニュースなどを連日騒がせていた「トー横キッズ」たちが座り込み、さまざまな犯罪の温床にもなっていた。そのため、東京都はこの区域を閉鎖。現在では、歌舞伎町の真ん中に大きな空白ができている。
柵で囲われているトー横広場。しかし、トー横キッズたちは近くの場所に移動しただけで、根本的な解決にはなっていない(筆者撮影)
トー横キッズの問題が、さまざまな問題を生み出していたことは否定しようのない事実で、この街の治安をことさら悪くしていたこともある。メディアでの報道も相まって、こうした閉鎖に賛成する人も多い。
長期的な視点に立った街のプランニングが求められている
問題は、このように閉鎖したところで、彼らの存在がすぐに消えるわけではないことだ。そもそもトー横キッズたちは何らかの事情で家出をした子どもも多く、貧困や家庭内暴力などさまざまな事情からトー横に流れてきている。それらの問題の根本的な解決がないまま、彼らを物理的に締め出しても、その存在は消えるわけではない。
実際、歌舞伎町の取材を続けるライターの佐々木チワワ氏に聞いたところ、締め出されたトー横キッズたちは、すぐ横の区画に移動しているだけだという。
そもそもの問題の根源を見直さなければ、治安向上にはつながらない。それどころか、歌舞伎町にぽっかりと空いた空間は「単にみんなが使いにくい」あるいは「もったいない」土地を生むだけになっているのだ。もっと長期的な視点に立たなければ、治安改善も、街の魅力の向上にもつながらないのである。
渋谷の場合も、街のターゲットをビジネスマンやインバウンドにすることは間違っていないだろう。しかし、それが、長期的にどのような影響を渋谷に及ぼすのかを考える必要がある。
例えば、コロナ禍のようなパンデミックがもう一度起こり、完全にインバウンド観光客が断たれたら? あるいはなんらかの事情でオフィス需要が急激に低下したら?
そうなったとき今の渋谷は「ただビルだけがある」街になってしまうかもしれない。しかも、未来の重要購買層である若者たちは渋谷から排除されていたのだから、特にそこに思い入れがない。とすれば、街全体のにぎわいが低下してしまう未来もある。
まさに「若者の静かな排除」の結果として、こうした光景を想像することは難しくないのだ。
こうした「街の高級化」は結局、街全体の利益を損ねる結果につながりかねないか? 単に若い人の「静かな排除」を糾弾するだけではなく、長期的な視点から見て、社会的な不利益が生じていないかどうかも考える必要があるだろう。
前回の記事はこちら:東京に『座るにも金が要る街』が増えた本質理由 疲れてもカフェに入れず途方に暮れる人へ
(谷頭 和希 : チェーンストア研究家・ライター)