ジーンズカジュアル業界を牽引してきたライトオンとマックハウスが相次いで買収されることが発表された。ライターの南充浩さんは「ジーンズが『特殊な衣料品』だったころは独自性を打ち出せていた。今はその独自性はユニクロ、ジーユーにかっさらわれてしまった」という――。
プレスリリースより

■なぜ「ジーンズカジュアル専門店」は凋落したのか

カジュアル衣料販売のライトオンがTOBで総合アパレル大手のワールドの傘下になることが10月8日に発表されました。またこれと歩調を合わせたわけではないと思いますが、3日後の10月11日にマックハウスが物流商社であるジーエフHDによる買収が発表されました。

ライトオンとマックハウスは衣料品業界では「ジーンズカジュアル専門店」という業態に分類され、その中ではライトオンが1位、マックハウスが2位の規模を長年誇ってきました。しかし、両社ともに長年にわたって業績は縮小し続け、ついには自力再建不可能と目され、ライトオンはワールドに、マックハウスはチヨダからジーエフHDへそれぞれ買収されることとなりました。

今回はこの「ジーンズカジュアル専門店」という業態がなぜ凋落したのかについて考えてみましょう。

■かつては「出せば何でも売れる」イケイケ業界

ジーンズカジュアル専門店という業態はかつて隆盛を極めた衣料品販売小売店でした。いわゆる「ブルージーンズ」を看板商品として、それに合わせやすいカジュアルトップスを揃えた「カジュアル衣料品の専門店」で、70年代、80年代にかけて好調に伸び続けてきた業態でした。

若い人たちにはピンとこないでしょうが、60年代〜80年代というのは、アパレル業界の黎明期から成長期で「店頭に並べたら何でも売れる」、例え売れ残ったとしても「値下げしたら確実に売れる」という時代でした。

そんな中、60年代に国産ジーンズが開発されると、瞬く間にジーンズというカジュアルパンツが若者を中心に広がりました。当時の若者の支持を受けて全国にさまざまなジーンズカジュアル専門店が誕生しました。「開店すれば必ず売れる」というほど好調な業態だったので、中には銭湯からジーンズカジュアル専門店に業態変更した企業もあったほどです。

■ピークは2000年代、コロナ禍を過ぎても業績は上向かなかった

そんな中、業界のトップ企業へ成長したのがライトオンでありマックハウスでした。両社ともに2000年代半ば頃に業績のピークを迎えます。ライトオンは2007年8月期には売上高1066億円、営業利益58億円をたたき出しましたが、これ以降業績は下がり続け、24年8月期には売上高338億円、営業損失50億円で6期連続の赤字と低迷しました。ピーク時から74%減の数字であり、ついに金融機関からも自力再建は不可能であると通達され、ワールド傘下入りとなりました。

マックハウスも2008年2月期には573億円の売上高がありましたが、2024年2月期は売上高154億円、営業損失は9億1000万円でこちらも6期連続の赤字でした。マックハウスは2008年度比で72%減収となります。

マックハウス湘南藤沢店(写真=多賀井隆之/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

2020年春の新型コロナ感染症の拡大によって業績の悪化に拍車がかかったことは否めませんが、問題は23年5月以降にコロナ自粛が全面解禁となり、他の大手衣料品販売店が業績を回復させ、2024年度決算は軒並み好転しているのに対して、ライトオンとマックハウスは減収赤字を続けている点です。低迷の原因は新型コロナ自粛ではないことはあまりにも明白です。

■カジュアル服といえば「ジーンズカジュアル専門店」だった

では、何が原因なのでしょうか。

要因の一つは、かつて広くマス層から支持されて隆盛を誇ったジーンズカジュアル専門店という小売店形態が、マス層からの支持を失ったとことだと筆者は考えます。

私は今年54歳になりましたが、この世代の人が若い頃は、ジーンズカジュアル専門店くらいしかカジュアル服を買う店が存在しませんでした。私が大学生だった三十数年前は、よほどのブランド好きな人以外は、日常的なカジュアル着はジーンズカジュアル専門店で買っていました。

特にリーバイスやエドウイン、ボブソン、ラングラーなどのいわゆるナショナルブランドのジーンズを買う場としてはジーンズカジュアル専門店が圧倒的でした。ライトオン、マックハウスだけではなく、各地に存在していたジーンズカジュアル専門店がその対象でした。

20歳ぐらいのとき、大学の同級生の男性から「洋服を買いに行きたいのでついてきてほしい」と言われました。当時の私は洋服に興味がなかったので「おかしなことを頼む奴だなあ」と思いつつも、暇だったので同行しました。彼が連れて行った先は、大阪・梅田にあった当時の超人気ジーンズカジュアル専門店「ジョイント」でした。

彼は3枚か4枚ほどカジュアル服を買っていたと記憶しています。私も単なる付き添いでは時間の無駄だと思ったので、1900円くらいの長袖Tシャツを1枚だけ買った記憶があります。ただ、当日は日曜日だったということもあり、梅田の中心地にあったジョイントの店内は大盛況でめちゃくちゃ混雑していました。それほどの人気だったのです。

こうした状況はジョイントだけに限りません。私の実家の周辺にも「三信衣料」とか「フロムUSA」といったジーンズカジュアル専門店チェーンが複数存在しており、年頃を迎えた中学生たちの多くが洋服を買っていました。

■絶不調「ユニクロ」の強烈な巻き返し

ところが、2000年前後からそうしたジーンズカジュアル専門店が倒産し始めたのです。地元で長らく見てきた三信衣料もフロムUSAも倒産し、ジョイントも随分と店舗数を減らし始め、あの梅田店もいつの間にか撤退していました。現在ではジョイントそのものもなくなってしまいました。

その後もジーンズカジュアル専門店の倒産は続いていましたが、そんな中、2007年頃まで業績を伸ばし続けてきたのがライトオンとマックハウスでした。ついでにこのころまではジーンズメイトも業績を拡大しており、大手3社と呼ばれるようになっていました。

その大手3社も、2010年ごろから業績が陰り始めます。リーマンショックによる不景気もありましたが、筆者はユニクロの台頭が大きかったのではないかと考えられます。

98年のフリースブームで脚光を浴びて成長したユニクロでしたが、その反動から2000年頃は絶不調に陥ります。しかし、ヒートテックをリリースしたり、2004年からはファッション化を進めたりと、次の手を打ち始めました。もちろん失敗したものもあれば成功したものもありますが、2006年ごろからはデザイナーズコラボを開始し、2009年には世界的デザイナーのジル・サンダー氏とのコラボライン「+J」を大々的に発表して大きな評判を得ました。

写真=iStock.com/winhorse
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/winhorse

■「ブランドにこだわらなければユニクロで十分」

この頃になると、マス層のカジュアルウェアの買い場はすっかりユニクロが基本となり、それ以外のアイテムをどのブランドで買うかという状態になりました。2010年代になると、ユニクロは老若男女のマス層から支持され、大学生などの若者と後期高齢者が同時にレジに並んでいるという「国民ブランド」になりました。

ジーンズを基本とするカジュアル服も「ブランド物」にこだわらないのであれば、デザイン面も改良されたユニクロで十分という状態になり、今に至ります。ユニクロの成長と反比例するようにジーンズカジュアル専門店大手3社の業績は下がり続けます。実際に「リーバイス」や「エドウイン」というブランド名にこだわらなければ、3990円のユニクロジーンズは品質的にもデザイン的にも遜色ないと私は思います。

■かつてジーンズは「特殊な商材」だった

ジーンズの特殊性」が失われたことも要因の一つでしょう。

若い人にはピンとこないかもしれませんが、ジーンズはこれまで一般的なアパレルとは一線を画した特殊な商材でした。そもそもデニム生地の製造自体が特殊な設備が必要ですし、ジーンズの色を落とす「洗い加工」という工程も特殊です。またジーンズの縫製も厚手生地用の専用ミシンが必要ですし、何よりも型紙も通常のスラックスとは異なります。

またジーンズは、ファッションの中でも毛色の違う商品として販売されてきました。バブル期にディスコが大流行しましたが、今のクラブと異なり、当時は「ジーンズ着用お断り」という店が珍しくありませんでした。要するにジーンズは「よそ行きのファッションではない」とみなされていたのです。

こうしたファッションアイテムの立ち位置の特殊性によって、デザイナーズブランドやブティック、セレクトショップ、総合アパレルブランドは、ジーンズはおろかデニム生地製品もほぼ扱っていませんでした。それゆえに、ジーンズを基調としたジーンズカジュアル専門店という小売業態が成り立っていたといえます。

ユニクロでも買えるようになったジーンズ

しかし、2000年代前半から中盤ごろになると、これらとジーンズブランドとのコラボ商品や、OEM業者を通して製造されたオリジナルジーンズが頻繁に発表されるようになります。このころから「ジーンズも通常のファッションの一部」という認識が強まってきたといえます。

ジーンズ業界が成立してから30年強が経過し、多くの人材がその間に育成されてきました。大手ジーンズブランドの社員の中には独立し、それまでの経験を活かしてデニム生地衣料品専門のOEM業者として起業する人も少なくありませんでした。

独立組が立ち上げた多くのOEM企業は、新たな顧客としてデザイナーズブランドや総合アパレルセレクトショップ、SPAブランドなどを取り込みました。その結果、ジーンズブランドとほぼ遜色のないオリジナルジーンズをどのアパレルでも企画製造することが可能となったのです。

実際、ユニクロにもエドウインの元社員が多く在籍していて、ユニクロジーンズにかつてのエドウインのジーンズのノウハウが注ぎ込まれています。

そうなると、ジーンズブランドの商品とそれを基調に並べていたジーンズカジュアル専門店は特殊性を失ってしまい、総合アパレルブランドやSPAブランド、セレクトショップなどと競争せざるを得なくなります。

もちろん、多少のアドバンテージはありましたが、それとて長続きはしません。徐々に基盤の弱いジーンズカジュアル専門店から淘汰され始め、先述した三信衣料やフロムUSAに加え、ロードランナーなどの大手チェーン店も倒産してしまいました。資本力と地力で何とか持ちこたえていたトップ2社のライトオン、マックハウスもいよいよ支えきれなくなり今回の事態を招きました。

■「全世代向け・家族向け」が致命傷に

2000年代後半以降の売り場を見ていると、ライトオンもマックハウスもかつての状態を維持しようとしてメンズ、レディース、子供服を揃えて「全世代の家族向けカジュアル売り場」に固執したと感じられます。しかし、このころになると老若男女を全世代で広く取り込んでいたのはユニクロや無印良品になっており、消費者の嗜好性とライトオン、マックハウスの方向性が全く噛み合わなくなっていました。

2015年以降は、ジーユーがビッグサイズトレンドの復活に乗って同系列の商品を低価格で多く発表したことにより、若者だけでなく、細身服を苦手とする中高年の年配客が多く流入するようになり、ユニクロだけでなくジーユーも全世代向けカジュアルブランドに変貌を遂げました。

そうなると、いくら声高に「全世代向け・家族向け」であると縮小を続けるライトオン、マックハウスが叫ぼうとも消費者の耳には届きません。業績の悪化によって経費削減で広告宣伝費が削減され、それゆえ集客ができにくくなり、また業績低下のために広告宣伝費を削減するという悪循環に陥ります。その結果、消費者の認知度を年々低下させ続け、多くの消費者から存在自体を忘れ去られたというのが現在の状況でしょう。

プレスリリースより

■スタイルを変えて生き残った「アダストリア」

ナショナルブランドのジーンズを基本アイテムにしてそれに合うアメカジ、ミリタリー、ワーク、一部スポーツのトップス類を揃えるというスタイルのジーンズカジュアル専門店は現在では支持されなくなっているといえます。生き残っていたり発展したりしているのは、大きくスタイルを変えたジーンズカジュアル専門店ばかりです。

有名なところでは水戸のジーンズカジュアル専門店「ポイント」でしょう。完全SPA型に切り替え、今ではアダストリアHDと名前を変え国内屈指の大手企業に成長しています。

また三信衣料の関連企業だったジグ三信はアーバンリサーチと名前を変え、都心型セレクトショップとして発展しました。また地方店ではビッグアメリカンやボーンフリー、ビンゴヤなどはロードサイド型高感度カジュアルセレクトショップとして生き残っています。従来型のジーンズカジュアル専門店のスタイルを貫いたライトオン、マックハウス、ジーンズメイトの大手三社が凋落したのは皮肉な結果です。

ライトオンはワールドの傘下となり、マックハウスは親会社がチヨダからジーエフHDに移ることになります。近年積極的にアパレルの買収を続けているジーエフHDの傘下には「ロートレアモン」「ビッキー」などを展開するジャヴァHDがあり、マックハウスもそこと同列に並ぶことになります。

大手総合アパレルであるワールドの傘下となったライトオン、ジャヴァHDと並列するマックハウスという新しい体制は、まさにジーンズの特殊性がなくなり、一般的なアパレルに呑み込まれた事象を象徴しているように感じられます。

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南 充浩(みなみ・みつひろ)
ライター
繊維業界新聞記者として、ジーンズ業界を担当。紡績、産地、アパレルメーカー、小売店と川上から川下までを取材してきた。 同時にレディースアパレル、子供服、生地商も兼務。退職後、量販店アパレル広報、雑誌編集を経験し、雑貨総合展示会の運営に携わる。その後、ファッション専門学校広報を経て独立。 現在、記者・ライターのほか、広報代行業、広報アドバイザーを請け負う。
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(ライター 南 充浩)