(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

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経済アナリストとして、テレビ・ラジオなど多くのメディアで活躍する森永卓郎さん。2023年末にがんであることを公表してからも、病気と闘いながら活動を続けています。森永さんは、がん宣告をきっかけに「自分の後始末は自分で」と、身の回りのモノの整理を始めたそう。今回は、森永さんの新著『身辺整理 ─ 死ぬまでにやること』から一部引用、再編集してお届けします。

【写真】森永さんの研究室にある数千冊の本を片づける様子

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数千冊の本を処分する

昨年の暮れに死にかけたところから生還した私は、活力を取り戻した2024年の1月以降、積極的に身辺整理に取り組んできた。

7月に獨協大学の研究室にあった本をすべて処分した。

40年以上、経済分析の仕事を続けていると、家の書斎や事務所、大学の研究室にどんどん資料が溜まっていく。

特に10畳ほどのスペースの壁一面に設置された研究室の本棚には何千冊にも及ぶ書籍があふれていた。


数千冊の本(写真:『身辺整理 ─ 死ぬまでにやること』より)

「自分が死んだら処分してくれ」と家族に言い残すこともできたが、生きている間に自分で処分すべきと考えたのだ。

それには理由がある。数年前に同僚の教授が突然亡くなった。

研究室にあった膨大な本や資料は、残された奥さんが研究室に日参して片づけていた。本や資料は重いので、大量に持ち帰ることはできない。

整理はかなりの時間続けられた。

自分が身辺整理をしようという段になって、突然死ならともかく、余命のある自分が「死んだら適当に処分してくれ」と家族に言い残すのは、あまりにも無責任だと思った。

ただ私には自分で本を移動させる体力も時間もない。

そこで合理的に整理を進めることにした。

合理的な整理の方法

まずゼミ生の各年次の代表を研究室に招き入れて「欲しい本があれば好きなだけ持ち帰って」と伝えた。

経済に関わる本は、経済学を学ぶ学生に役立ててもらうのが一番だ。

この作業で研究室の本のうち2割くらいは減ったと思う。

もし私に体力と時間があれば、残りの8割の本を一冊ずつ吟味して、売る本と捨てる本をより分けていたかもしれないが、そこは潔く諦め、引き取り手のない書籍は遺品整理業者に依頼して処分することにした。

遺品整理業者は引き取り品を市場で売却する。書籍の場合はかなりの割合で売却できるので、比較的低コストで引き受けてもらえる。


『身辺整理 ─ 死ぬまでにやること』(著:森永卓郎/興陽館)

回収日当日、業者から派遣された4人の男性がやってきた。

妻も手伝いに来たが、本を棚から下ろして段ボール箱に詰めるので精一杯。

ぎっしりと本の詰まった段ボール箱を持ち上げるなんてことができるわけがない。

一方、プロ達の仕事ぶりは鮮やかだった。

ちょっと蹴飛ばしたくらいでは微動だにしないような重い箱をヒョイヒョイ持ち上げてトラックに積んでいく。

こうして午前中のうちに研究室の本棚からすべての本や資料、そして研究室に残されていた20年間にわたって積みあがった雑貨が消え、研究室は私が最初に借りたときの状態に完全に戻った。


こんなにすっきり(写真:『身辺整理 ─ 死ぬまでにやること』より)

私は荷物を満載した2トン積みトラックを大学から見送った。

読まない本はどんどん捨てる

もっとも普通に暮らしていればモノは増える。

体は一つしかないが、必要最低限といって服を一着しか持っていない人はまずいないだろう。

用途に合わせて、便利さを求めて、モノは自然と増えていく。暮らしというのはそういうものだ。

なかには愛着を覚えるものも出てくる。

結論を先に言えば、愛着のあるものを手放すためには執着心との戦いに打ち勝つしかないのだ。

しかし言うは易しで、執着心を手放すのは難しい。

余命宣告されている私でさえ未練たらしかった。

たとえば愛読していた本、買う時に海外から取り寄せるなど苦労した本、無理して買った高価な本や今ではもう絶版になっている本などは手放すのが忍びないのだ。

「もしかしたら」は訪れない

もう一つ「もしかしたら、また使うかもしれない」という想いもモノを処分する際の妨げになってしまいがちだが、こちらについては、私はもとより使わなくなったものはどんどん捨てるタイプだ。

いつだったか長男が「家が狭くて置くスペースがないから実家に置かせてくれ」と言って我が家に本の詰まった幾つかの段ボール箱を持ってきたことがある。

スペースを貸すのは構わないと思ったのだが、私は長男に「棚から出して箱詰めした本を読み返すことはたぶんないから処分したらどうか」と提案した。

もしかしたらと思っても、その日はたぶん訪れない。訪れない日のために本をとっておくのは無意味だ。

しかもマンションを借りている場合などは、使わないものを置いておくスペース分の賃料も払っていることになる。

こうしたコストを考えれば、モノはどんどん捨てるに限る。

もしも必要が生じれば、その時はまた買えばいいと考えるのが得策だ。

私は研究室の本をすべて処分した直後に、1990年にジョン・K・ガルブレイスという経済学者が書いた『バブルの物語』という本を引用する必要性に迫られた。

持っていたのに早まったことをした、出版から34年も経っている本を入手するのは大変だと困惑したのだが、結局のところメルカリですぐにみつかり、500円で購入できた。

余命宣告されていようとなかろうと本に限っては捨てるの一手なのだと確信した今、手放した本に対する未練は1ミリもない。

※本稿は、『身辺整理 ─ 死ぬまでにやること』(興陽館)の一部を再編集したものです。