闇堕ち・清少納言を紫式部がボロクソ酷評していた証拠が…10月27日放送「光る君へ」史実をもとに振り返り
藤原顕信(百瀬朔。道長三男)がまさかの出家……母親の源明子(瀧内公美)は積年の怨みを藤原道長(柄本佑)に爆発させます。息子の未来を断ち切る父親が、一体どこの世界にいるのでしょうか。
一方で道長の思い通りになりたくない藤原彰子(見上愛)は、これまでつながりの薄かった兄弟たちと連帯し、父の横暴に対抗しようとしていました。
これはまひろ(藤式部。吉高由里子)の助言によるもの、その発想は娘の藤原賢子(南沙良)と交流している双寿丸(伊藤健太郎)から得たものです。
三条天皇(木村達成)と水面下の政争を繰り広げ、敦康親王(片岡千之助)からすべてを奪おうと躍起になる道長は、永年の盟友であった藤原行成(渡辺大知)からさえ面と向かって諫められるほど孤立しつつありました。
NHK大河ドラマ「光る君へ」第41回放送「揺らぎ」、今週も気になるトピックを振り返っていきましょう!
第41回放送「揺らぎ」略年表
世が改まり、やる気満々の三条天皇(画像:Wikipedia)
寛弘8年(1011年)まひろ42歳/道長46歳
6月29日 道長が三条天皇の遷幸について奏上する7月1日 三条天皇が道長へ遷幸について諮問する同日 道長が安倍吉平に遷幸の日取りを問う7月3日 遷幸は8月11日がよいと三条天皇へ答申する7月11日 三条天皇が道長・藤原道綱・藤原隆家・藤原教通を側近とする7月26日 源俊賢が三条天皇に自らを売り込み、不興を買う8月11日 三条天皇が内裏に遷幸する8月23日 藤原娍子と藤原妍子に女御宣旨が下る
同日 三条天皇が道長に関白就任を打診。道長はこれを辞退する10月5日 藤原妍子が内裏に入り、飛香舎を在所とする10月16日 三条天皇の即位式が行われる12月18日 藤原通任(藤原娍子の弟)が参議となる。12月19日 三条天皇が藤原顕信の蔵人頭就任を打診、道長がこれを辞退する
長和元年(1012年)まひろ43歳/道長47歳
1月16日 絶望した藤原顕信が出家。源明子と乳母、道長が心神不覚に今回は双寿丸&藤原賢子・清少納言(ファーストサマーウイカ)・藤原妍子(倉沢杏菜)関係の創作エピソードを除けば、概ね年表をたどる内容でした。
「第三の直秀」こと双寿丸は嫌いじゃありませんが、清少納言と藤原妍子の描き方は残念ですね。
こと藤原妍子についてはどう見ても彼女が悪い(ように描かれている)のに、どうオチをつけるのでしょうか。
あっちこっちで「御簾を越え」ちゃう方々がいらして、実にハラハラさせられますね。
劇中の和歌について
ナデシコの花(イメージ)
今回は平安貴族らしく、多くの和歌が詠まれました。
藤原彰子「見るままに 露ぞこぼるる おくれにし 心も知らぬ 撫子の花」
【意訳】父を喪ったことさえ理解できず、無邪気にナデシコの花を手にとる幼い我が子を見ると、涙(露)があふれてしまう。
……最愛の一条天皇(塩野瑛久)を喪い、数年にわたるぎこちない期間を悔やんでいるかのような彰子。その姿が視聴者の胸を打ちました。
赤染衛門「誰にかは 告げにやるべき もみぢ葉を 思うばかりに 見る人もがな」
【意訳】この紅葉の美しさを、誰に伝えたらよいだろうか。共に愛でる人がいてくれたらよいのに。
紫式部「なにばかり 心づくしに ながめねど 見しにくれぬる 秋の月影」
【意訳】特に何を思っていた訳ではありませんが、なぜか涙があふれてしまいます。秋の月を見上げていると。
和泉式部「憂きことも 恋しきことも 秋の夜の 月には見ゆる 心地こそすれ」
【意訳】人知れず抱えている憂いも、恋しい気持ちも、秋の月は全てお見通し。そんな気分の夜でした。
……こちらは歌会で披露された作品たち。現代でも、多くの方々が共感するのではないでしょうか。
しかし時間の都合でやむを得ないものの、できればこれらをリアルなやりとりで詠んでくれると、より一層高揚するファンも多かったのではないでしょうか。歌会だと、どうしても「用意しました」感が否めないので……。
清少納言をボロっカス!紫式部の日記
清少納言。菊池容斎『前賢故実』より
さぁ皆様お待たせ?しました。紫式部が清少納言をボロっカスにこき下ろす日記のシーンです。
劇中では「あーあ、彼女も残念な人になってしまったな。悲しいわ……」的な書き方でしたが、実際の日記は全然違いました。
とっくにご存知の方も多いでしょうが、改めて読んでみましょう。
……清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。
さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。
かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。
そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。……※『紫式部日記』より
【意訳】清少納言。あのドヤ顔の意識高い系の知ったか女。
いかにも「私、賢いのよ?」とばかり才能をひけらかして漢字(真名)なんか書き散らかしてるけど、よく見りゃ誤字脱字や文法ミスが多いこと。
何かにつけて「私、そこらの女とは違うのよ?」とばかり主張している人って、最初は物珍しさで興味を引いても、気づけばただの変人認定されておしまいだから。
彼女の言動とか書くものって、何でもかんでも「素敵!素敵!=こんな鋭い感性をもった私凄いでしょ?」というアピールがキツいったらありゃしない。
まぁ見てなさいな。あの手のタイプは最後にゃロクな死に方しないから……。
……とまぁここまでこき下ろしている訳です。実際には会ったこともない清少納言のことを。
劇中では「亡き定子を忘れられず、怨みにとらわれるあまり皮肉っぽく”闇堕ち”してしまった哀れな女性」に描かれていました。
確かに招かれていない場所へ押しかけて皮肉を垂れる姿は気持ちのよいものではありませんが、ただそれだけであの日記のボロっカスぶりはないでしょう。
どうせ悪役に創作するなら、いっそ闘志満々で乗り込んで漢詩でも披露しまくって周囲をなぎ倒してから立ち去るくらいのインパクトが欲しかったところです。
その場合、紫式部の日記は紛れもない負け惜しみになりますが……。
果たしてまひろの日記には何と書かれたのか明かされることはないでしょうが、気になりますね。
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平為賢(神尾佑)とはどんな人物?
戦に臨む武者たち(イメージ)
隆家に従う武者
平 為賢(たいらのためかた)
神尾 佑(かみお・ゆう)
藤原隆家と親交のある武者。隆家が大宰府に赴く際に従い、刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)の際に軍功を立てる。為賢のもとで、双寿丸は武術の研鑽(けんさん)に打ち込んでいる。※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
双寿丸の主君である平為賢。紹介どおり寛仁3年(1019年)に刀伊(とい。女真族、満洲族)が海を渡って対馬・壱岐を侵略した「刀伊の入寇」で武功を立て、肥前国(現代の佐賀県・長崎県)を賜りました。
当時は藤原隆家(竜星涼)が大宰帥(だざいのそち大宰府長官)として現地におり、刀伊の入寇に対応しています。
為賢はその指揮下に従い、双寿丸らを率いて戦いました。
双寿丸はここで討死するか、あるいはその後も藤原賢子の想い人兼手先としてちょくちょく出てくるのでしょうか。
大舞台まであと7年あるので、活躍を楽しみにしていたいと思います。
藤原通任(古舘佑太郎)とはどんな人物?
【光る君へ】ロクな未来が待ってない予感…「藤原通任(古舘佑太郎)」とはどんな人物?生涯をたどる
娍子の同母弟 藤原 通任(ふじわらのみちとう)
古舘 佑太郎(ふるたち・ゆうたろう)
藤原娍子の同母弟。道長が病の際に、これを喜ぶ公卿(くぎょう)の一人と噂(うわさ)される。※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
三条天皇の義弟としてポッと登場した藤原通任。見るからに意志の弱そうな顔立ちですが、強引な引き立てによって瞬く間に公卿となります。
三条天皇の譲位・崩御後は白い目が向けられたでしょうが、それでもとりあえず公卿の座に留まりました。
さすがの道長も、世間の同情が集まっている三条天皇一派を徹底的に叩きつぶすのはためらわれたのか、あるいは放っておいても人畜無害と思われたのかも知れませんね。
第42回放送「川辺の誓い」11月3日
宮中で、道長(柄本佑)と三条天皇(木村達成)が覇権争い。道長は娘・妍子(倉沢杏菜)を三条天皇の中宮にするも、三条天皇は長年付き添った東宮妃・すけ子(朝倉あき)を皇后にすると宣言。そこで道長は権力を誇示するため、ある計画を立てる。しかし体調に異変が…。
一方、まひろ(吉高由里子)は里帰り中に、娘の賢子(南沙良)がケガをした双寿丸(伊藤健太郎)を連れているところに出くわし…※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
政治抗争に疲れた道長が、いつかの川辺でまひろと二人。一緒に流れて行きます?というセリフは、恐らく『源氏物語』のヒロイン・浮舟をイメージしたものでしょうか。
いっぽう賢子と双寿丸も相変わらず仲良し。終盤にさしかかっても、変わらずのんびり進みます。
『源氏物語』の執筆は、光る君(光源氏)の死が描かれる「雲隠(くもがくれ)」の帖に。果たして本文を書くのか、あるいはあえて書かず読者の想像に任せるか(この解釈は諸説あり)。
次週の第42回放送「川辺の誓い」、楽しみに見守っていきましょう。