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 NHK大河ドラマ「光る君へ」第41話は「揺らぎ」。藤原道長の3男・顕信の出家が描かれていました。顕信は、道長の正室・倫子の子ではなく、妻妾の源明子の子です。正暦5年(994)に生まれています。そして出家した19歳の時には、従四位上右馬頭の地位にありました。

【写真】藤原道長の3男・顕信を演じる百瀬朔

 それにしても顕信は、なぜ出家してしまったのでしょうか。『栄花物語』(平安時代の歴史物語)には、突然、叡山の横川の聖のもとを訪れ「法師にしてくだされ。それが年来の望みです」と頼み込む顕信の姿が描かれています。聖は当初は躊躇しますが、顕信の覚悟を見て、顕信を出家させます。ちなみに、この横川の聖というのは、平安時代中期の僧侶・行円のことです。

 行円の衣を借りた顕信は、それまで着ていた衣服を全て脱ぎ捨て、行円に差し出します。そして、夜中、比叡山の無動寺に向かうのでした。顕信が急にいなくなったということで、道長は慌てたようです。行円を呼び出した道長は、出家の時のことを聞くと「密かに出家を志した気持ちが不憫だ。私の思いにも増して立派だ」と顕信のことを思いやるのでした。道長妻妾の源明子は、呆然としていたようです。

 道長は我が子の突然の出家を嘆き悲しんでいました。その後、顕信と面会し、「なぜ出家したのか。父への不満か。官位への不足か。女のことか」などと尋ねます。すると顕信は、そうした事ではなく、幼少の頃から出家したいと感じていたことを打ち明けるのでした。

 一方、『大鏡』(平安時代後期の歴史物語)には、顕信の母・源明子が、顕信が頭の左側の髪を剃る予知夢を見たということ、顕信に出家する相があることなどの記述されています。しかし、道長は、顕信の出家を知っても「今更、嘆いて、顕信の道心が乱されることがあっても気の毒だ」と語り、息子の出家を肯定的に捉えています。

 また道長は「幼い頃に顕信を出家させようとしたが、本人が嫌がったので、無理強いはしなかった」とまで語っています。『栄花物語』と『大鏡』で道長の感情・対応が異なっているのです。顕信出家の背景には、三条天皇が顕信を蔵人頭に抜擢しようとしたことを、道長が顕信は「不足の職の者」(『権記』)だと固辞したことが要因とも言われています。出世の道を父・道長に閉ざされてしまったことで、嫌気がさしたのかもしれません。

◇主要参考文献一覧 ・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

(歴史学者・濱田 浩一郎)