富士大・佐々木大輔【写真:川浪康太郎】

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仲間が次々と指名に焦りも…富士大・佐々木大輔が語ったドラフト当日の胸の内

 24日に開催された「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」で、大学の同一チームからの指名数(育成含む)では史上最多となる6人が指名を受けた富士大。プロ志望届を提出した7人が固唾をのんでドラフトの行方を見守った会場で唯一、最後まで名前を呼ばれなかった男がいた。左の長距離砲・佐々木大輔内野手だ。歓喜の瞬間が6度訪れた中、佐々木は何を感じていたのか。

 ドラフトから2日後の26日、富士大はヨークいわきスタジアム(福島県いわき市)で行われている明治神宮野球大会・東北地区大学野球代表決定戦の初戦に臨み、東北公益文科大を10-2で下した。佐々木は「5番・遊撃」でスタメン出場。2回に得点につながるチーム初安打を放つなど、3打数2安打と快音を響かせ、逆転勝利に貢献した。

 佐々木は試合後、「ドラフトが終わって、冷静な気持ちで打席に立てたのが大きかった」と安堵の表情。今大会では「指名されなくて悔しかったですけど、自分は社会人野球に進む。もう1回プロを目指せるチャンスはあるので、また注目してもらって、2年後に上位で指名されることを目標に再スタートを切ろう」と意気込んでいる。

 ドラフト当日、ほかの6人とともに指名を待った。麦谷祐介外野手がオリックスから1位指名を受けたのを皮切りに、次々とチームメートの名前が呼ばれた。「焦りや不安、うらやましさを感じていたのが正直なところです」。支配下ドラフトが終了した瞬間は「鮮明に思い出せるくらい悔しかった」。歓声が響き渡る会場で、1人複雑な胸中だった。

 ただ、下級生の頃から苦楽をともにした仲間が指名されたことを純粋に喜べたのも事実だ。佐々木自身は育成でのプロ入りを希望していなかったため、特に育成ドラフトは「(ほかの6人が)プロでプレーする姿を見たいし、全員呼ばれてほしい」との思いで見つめた。育成ドラフトに臨んだ坂本達也捕手(巨人育成1位)、長島幸佑投手(ロッテ育成3位)には「大丈夫だよ」と声をかけ続けた。

1度は辞めかけた野球…社会人で「ドラ1候補と呼ばれるように」

 佐々木は岩手県陸前高田市出身。小学3年生から野球を始め、高校は岩手県内の強豪校・一関学院でプレーした。当初は高校までで野球をやめ、地元で就職する予定だったが、高校の指導者に勧められ同じく岩手県内にある富士大へ。大学では1年時から一塁や三塁で出場機会をつかんだ。

 打撃フォームを改造すると長打力が増し、3年時のリーグ戦は春3本塁打、秋4本塁打と躍動。全国大会でも本塁打を放った。また同時期に、安田慎太郎監督の助言で小学生以来という遊撃手に転向したことで、選手としての幅が広がり、高校時代は夢にも思っていなかった「プロ入り」が現実味を帯びてきた。

 今春は怪我で離脱しアピールの機会を減らすも、復帰した秋は打率.444、2本塁打と奮闘。ドラフト前には3球団から調査書が届いた。「(指名があるとしたら)下位指名だろうな思っていました」と話すように絶対的な自信があったわけではないが、少なからず期待はあった。

 ドラフト後はチームメートや家族に励まされ、仲の良い同期には食事に誘われた。「1人でいたら気持ちを切り替えるのが難しい部分もあったと思う。ありがたかったです」と佐々木。すぐに前を向き、早速2本の安打を飛ばして宣言通り再スタートを切った。

「プロに行きたいので、(社会人)1年目から注目されてドラフト1位候補と呼ばれるようになりたい。走攻守すべて足りないと感じたので、打撃も守備も走塁も磨いていきます」。かつて「野球は高校まで」と考えていた男は、成長と挫折を経てメラメラと闘志を燃やしている。(川浪康太郎 / Kotaro Kawanami)