「東京オリンピック」から60年 公式記録映画を撮影したカメラマンが振り返る“あの時”「オリンピックって特別」

写真拡大

1964年10⽉。今からちょうど60年前、東京で開催された夏季オリンピック。10⽉10⽇から24⽇まで開催され、⽇本は、⾦メダル16個・銀メダル5個・銅メダル8個の合計29個のメダルを獲得した。

この⼤会の公式記録映画が、市川崑監督の「東京オリンピック」。1965年に公開され、国内の観客動員数は2000万⼈近くに達し、2001年に「千と千尋の神隠し」に破られるまで、実に36年間にわたり、国内公開作の歴代観客動員数1位に君臨し続けた名作だ。 

映画の撮影に参加したカメラマンは約90名で、ニュース映画7社をはじめ、精鋭カメラマンが全国から集められた。 現在、産経映画社の社⻑を務めている⼭⼝益夫さん(92)。当時32歳の若⼿カメラマンとして参加した。

Q.「東京オリンピック」の撮影で印象に残っていることは。

⼭⼝益夫さん:午前9時に国⽴競技場のグラウンドの真ん中に⼊って、1⼈で5メートルのやぐらの上に午後4時までずっといなきゃいけなかった。お昼は40分ぐらい下に降りるのだけど。そういう意味じゃ、お昼ご飯の時間が楽しくなるね(笑)。1⼈でグラウンドの真ん中にいて、あっち向いたりこっち向いたりして撮影するんだけど、あまり嫌だなという気はしなかったですね。すごい経験をさせてもらったなと。お世辞かも知れないけど(先輩カメラマンに)、「よく頑張った」って褒められたよ。褒められるほどの仕事はしてないのだけど。これを逃したら、⼀⽣こういう仕事はできないと思ってやってましたから。

⼭⼝さんが、やぐら(撮影⽤のイントレ)の上で撮影したものの中でも印象的なシーンは、⼥⼦800メートル決勝。360°カメラを動かしてレース展開を撮影。ピントの正確さ、三脚を動かす技術など⼭⼝さんの⾒事なカメラワークを⾒ることができる。⼭⼝さんのカメラはイギリスのアン・パッカー選⼿が1位でゴールし、婚約者に抱きつくところまで追い続ける。映画の中でも、この⻑回しのシーンは印象的だ。 

市川崑監督の作品にかける“想い”とは?

Q.市川崑監督との思い出は。

⼭⼝益夫さん:褒められたことはほとんどないね。笑って普通に話しているのが褒められている時なのかな。みんな怒られるのを分かっているから、寄りつかないんだけど、俺は怒られるのが当たり前だと思っているから。

Q.市川崑監督から⾔われたことで記憶にあることは。

⼭⼝益夫さん:いろんな競技があるのだけど、それぞれの競技で⽇本が負けても、⼀緒に競技したってことに価値があるんだから、負けたとか気にするなって。⽇本は戦争して負けた国なのだけど、こうやって、みんな無視して⼀緒になって競技してくれている。それを考えたら、恩返ししなきゃダメだよって。

当時は、終戦から19年。焼け野原からの復興オリンピックの撮影に臨む市川崑監督の思いがうかがい知れる。  

「東京オリンピック」のあとも、1970年に⼤阪で開催された⽇本万国博覧会の⽇本館で上映された「⽇本と⽇本⼈」、8⼈の映画監督が参加した1972年のミュンヘン五輪の記録映画「時よとまれ 君は美しい」の100メートル競⾛を題材にした「The Fastest/最も速く」など、市川崑監督の作品で⼭⼝さんはダッグを組むことになる。

1964年の東京オリンピックから60年。⼭⼝さんにオリンピックへの思いを聞くと…。

⼭⼝益夫さん:オリンピックって特別だよね。ああいう良さっていうのは、オリンピックしかないよね。いろんな国から来た選⼿は、負けるのが分かっていても⾛るわけでしょ。お客さんもそれを⼼得ていて、ビリを⾛ろうが先頭を⾛ろうが、ゴールした後は拍⼿をして、選⼿は⼿を挙げてお客さんに応える。オリンピックの良さは、そういうところにあるんだよね。
【執筆:フジテレビ撮影中継取材部 石黒雄太カメラマン】