注意書きに車内アナウンス…街に溢れる“過剰な親切”の異常性。自ら考え判断できない日本人の危機

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日本人が、どんどん「幼稚化」している……

「居住者同士、挨拶をしましょう」

あるマンションのエレベーター内でイラスト付きのこんな注意書きが貼られていた。学校ではない、大人が暮らすマンションに必要な張り紙なのかと呆れたのだが、考えてみればこの類いの注意書きは日本全国に溢れている。

商業ビルのトイレの個室にあったのは「お忘れ物はないですか? ケータイ電話、お財布、お買い上げ商品、最後にチェックしましょう!」「一度に大量のトイレットペーパーを流さないでください」「お子様の手や指をドアにはさまれないようにご注意ください」といった注意書き。

洗剤の詰め替え用パッケージには「溢れないように、液をほとんど使い切ってから詰め替える」「認知症の方などの誤飲を防ぐため、置き場所に注意する」、紙パックのジュースには「ストローや外蓋の縁で怪我をしないよう注意してください」「ストローで勢いよく飲むとむせる可能性があるので注意してください」など、細かい文字がギッシリ並べられている。

注意書きに留まらない。電車やバスに乗れば、停車駅や乗り換え案内はもちろん、「危ないですから黄色い線までお下がりください」など事故防止のアナウンスや「リュックサックなど大きなかばんをお持ちのお客さまは、手にさげてお持ちになるか、座席上の荷物置きをご利用ください」といった迷惑行為を注意するアナウンスまであり、絶え間なく聞かされ続けることになる。

『思考停止という病理』(平凡社新書)の著書がある心理学者の榎本博明先生は、過剰な注意書きやアナウンスが人を思考停止に陥らせていると指摘。日本人の幼稚化が加速していることに警鐘を鳴らす。

「たとえばジュースを飲むとき、ケガをするから気をつけろ、むせるから気をつけろといった注意書きがないと、安全に飲めないようでは困ると思いませんか。 

先日は、豆菓子の小袋に『5歳以下の子供には食べさせないようにしてください。口の中に入れたまま走ったり泣いたりすると、誤って飲み込み窒息する危険があります』とまで記されていました。そんなことは書いてなくても親が自分で考え、配慮するのは当たり前のことです。 

このような懇切丁寧な注意書きが増えてきたせいで、自ら注意する能力が失われている。思考停止に陥り、注意してもらわないと気づけないという人が増えているように思います」 

「事故や迷惑行為を防ぐには仕方がない」という見方もあるが、榎本先生はこう続ける。

「事故や迷惑行為を防ぐために必要だというのもわかりますが、注意書きやアナウンスに頼り続ければ、自ら気づけない人を増やすことになります。注意されなければ気づけないという人が増えれば、そのせいで事故が起こり、ますます注意書きやアナウンスも過剰になります。 

こうした悪循環をどこかで断ち切る必要がある。本当に必要なことは、注意書きやアナウンスがない社会にすることだと思うのです」 

服装のアドバイスまでする「お節介な」天気予報 

冒頭に書いたトイレの忘れ物注意の張り紙は、数年前まではなかったように思う。近年、トイレに携帯電話を忘れるケースが増えており、施設側は手を焼いているのだろうと想像できるが、「忘れ物注意!」でも十分に喚起できるはずだ。「ケータイ電話、お財布、お買い上げ商品、最後にチェックしましょう!」とまで記すことに“やり過ぎ”な感が否めないのだが、こうした状況をもたらしているのは何か。

「海外に行くとわかりますが、ほとんどの国ではトイレの注意書きはもちろん、電車内では乗り換え案内すらアナウンスがありません。そのため注意書きやアナウンスについて海外の人に聞くと、『日本は特別に親切だと思う』と褒められることもあります。

とはいえ、親切が過剰。『手取り足取り面倒を見ることが親切』といった価値観に縛られ、本来、売るべき商品やサービスとは別の “面倒見の良さ”を競い合うサービス合戦になっています」

わかりやすいのが 、近頃、やたらとお節介になってきた“天気予報”だ。

「最近は、降水確率や最高気温、最低気温、日中の気温の変化を予想するだけでなく、『薄手の上着を羽織って出たほうがいいでしょう』『交通機関に遅れが出るかもしれないのでいつもより早めに出ましょう』などの具体的なアドバイスまでするようになっています。 

その結果、それまでは『日中の気温が25度なら半袖でいいかな、帰りは遅いから羽織るものが必要かな』といったことを考えていたはずが、自分では考えなくなり、アドバイス通りの服装で出かけるようになっている。 

アドバイスをもらうことに慣れてしまい、言ってくれなければ何を着たらいいかわからない、なんて人もいると思います。“手取り足取り面倒見の良い”アドバイスによって、自分で情報を総合して考え、判断する心の習慣が失われていくのではないでしょうか」 

スマホがないと、目的地に辿り着けない……

榎本先生は、『思考停止という病理』の中で、「文明の利器は、利便性のもとに、私たちから考える機能を奪っていく」とも考察する。

「多くの人が初めての場所を訪れるときはスマホを頼りにしていると思いますが、それはつまり、スマホに命じられなければ道も曲がれないし、バッテリーが切れたら目的地に辿り着けないということです。 

一方、スマホがないときは、外出前に目的地を確認した人も多かったはずで、そうすれば頭のなかに“認知地図”ができ、それを頼りに辿り着けたわけです。 

自分の能力の肩代わりをしてくれる便利なものができると、人はそれに頼ってしまうので能力は衰えます。脳も使わなければ衰退します。 

ですから、文明の利器も、親切な注意書きも、過剰なアナウンスも、便利で助かる面はあるとしても、思考停止に陥らせ、本来あるはずの能力を衰退させる。そのことに気づくべきではないでしょうか」 

“人を疑うのは失礼だ”という心理が思考停止に陥らせる 

日本人を思考停止に陥らせる要素はほかにも多々ある。

たとえば日本人に根付く“性善説”だ。 

「近年、日本人の詐欺被害が増えています。日本人には性善説が根付いているので、“人を疑うのは失礼だ”といった思いに縛られやすい。“人を疑うな”というのは、一種の思考停止です。これでは簡単に騙されてしまいます。 

一方、海外には“性悪説”が根付いている。学校教育で“人を疑え”と教える国もあり、日本とは真逆です。 

また、日本人には『お任せにすれば悪いようにはしないだろう』という心理があります。寿司屋でお任せにする人は『その日一番美味しいものを提供してくれる』ことを信じて注文すると思うのですが、海外でお任せにしたら、どれだけ請求されるかわかりません(笑)。 

これまで海外には“お任せ”という概念はなかった。そのため、自ら考え、判断する習慣がしっかり身についている。自分の身を守るために必要だからです」

もっとも最近は、お任せがそのまま「OMAKASE」として、海外の高級飲食店でブームになっていると聞く。この「OMAKASE」ブームは、自ら考え、判断する習慣が身についている海外の人にとっては一つの反動で、“たまには作り手にすべてを委ねて食を楽しみたい”という思いの表れなのかもしれない。

現代はグローバル化によってさまざまな価値観が流入し、犯罪も多発しています。これまでのように“人を信じて任せる”姿勢では自分の身を守れない時代になっている。 

もはやお任せの姿勢は通用しない、思考停止ではいられないのだということを日本人は認識し、社会全体で変えていく必要があるのではないでしょうか」

榎本博明 MP人間科学研究所代表、心理学博士。1955年東京生まれ。東京大学教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学助教授などを経て、現職。『<ほんとうの自分>のつくり方』(講談社現代新書)『おもてなしという残酷社会』『思考停止という病理』(ともに平凡社新書)『「指示通り」ができない人たち』(日経プレミアシリーズ)など著書多数。

取材・文:辻啓子