「大阪生まれの在日コリアン3世」が、30歳にして「韓国留学」を決意した「意外な理由」

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在日コリアン3世で元全国紙記者の韓光勲さんは、30歳にして韓国留学を決断しました。韓国籍ではあるものの、「大阪生まれ、大阪育ち」であり、韓国語が苦手。それでも韓国に留学し、在日コリアンという立場からさまざまな発見をします。

そんな彼の発見をギュッとまとめたのが『在日コリアンが韓国に留学したら』という本。以下では同書より、なぜ韓さんが30歳になって留学を決意したのかについてご紹介します。

韓国籍でも韓国語は苦手だった

大阪生まれの在日コリアン三世である僕が「韓国に留学したい」と思うようになったのは、いつ頃からだろうか。母方の祖母は1940年代の戦時中、幼い頃に朝鮮半島から日本にやってきた。祖母の父はすでに日本で仕事をしており、家族を呼び寄せた形だった。その祖母から数えて、僕は在日コリアン三世である。

1992年生まれの僕は、「白頭学院建国」という大阪市にある韓国系の小学校・中学校に通った。韓国学校といっても、いわば私立の学校で、日本の教育基本法にのっとった授業を行っている。社会や理科、算数などはすべて日本語で授業が行われる。日本の学校でいう「国語」は「日語」という名前で、日本の「国語」の教科書を使う。この学校でいう「国語」は「韓国語」である。韓国語の授業はほぼ毎日ある。韓国舞踊やテコンドー、韓国の音楽、歴史や地理も学んだ。

小学生のころ、韓国語の授業はあまり好きではなかった。いわば「母国語」と「母語」の狭間で苦しんでいた。今ふり返ってそう思う。

ブリタニカ国際大百科事典によると、母語とは「ある人が幼児期に周囲の人が話すのを聞いて自然に習い覚えた最初の言語」である。一方、母国語とは「自分が生まれた国や所属している国の言語」だ。

僕は日本で生まれ育ったので、母語は日本語だ。日本語のネイティブスピーカーである。でも、韓国籍だから母国(=韓国)の言語は韓国語である。「在日コリアンは、母国語である韓国語を学ぶべきだ」──。そういう論理で韓国学校は運営されている。

韓国語は、小学生の僕に重くのしかかってきた。韓国語は僕にとっては外国語のはずである。家庭ではずっと日本語を使ってきたし、普段の生活でも日本語を使っているからだ。せいぜい、母親を「オンマ」、父親を「アボジ」と韓国式に呼ぶ程度だ。

それなのに、「韓国語は話せるべきだ」という義務感が襲いかかってくる。なかなか覚えられない単語帳とにらめっこする。勉強していてとても窮屈な思いをした。いつしか、韓国語の授業は苦痛になっていた。定期的にある単語テストは嫌いだった。韓国語に対して苦手意識がついたほどだった。

韓国学校の授業は、「習うより慣れろ」型である。日本語での解説は少しあるが、文法的な解説はほとんどない。韓国出身の先生も多い。とにかく「生きた韓国語」をたくさん聞いて、読んで、それを覚えていくのだ。

そういう授業は僕にとっては苦痛だった。文法の解説を充実させてほしかった。文法的な理解があいまいなまま、授業はどんどん進んでいく。それがもどかしかった。韓国語を掴もうとしても、掴みきれない。むしろ、どんどん遠ざかっていった。

その韓国学校は幼稚園から高校まである。僕は小学校と中学校を出たが、高校には進学せず、大阪市内にある公立高校に進んだ。

日本の公立高校に進学し、韓国語とはもう関わらなくてもよくなった。一種の解放感があった。「韓国語はもう勉強しなくてもよいのだ」と思った。韓国語との縁は切れたはずだった。

きっかけはオランダで聴いたK-POP

そんな僕がいま、韓国に留学しようとしている。すでに30歳。なぜ、僕は韓国に留学するのか。

2016年から2017年にかけて、1年間、僕はオランダの大学院(グローニンゲン大学)に留学していた。オランダでは英語をつかって勉強した。大学院の授業のレベルは高く、ついていくので精一杯だった。時にはホームシックにもなった。毎週のように大量のリーディング・アサインメント(読書課題)が課される。英語の本数冊分にも及ぶ課題はとうてい読み切れない。授業前日の深夜、読み切れない課題を前に泣いてしまい、授業に行けない日もあった。

そんなとき、あるK-POPのガールズグループに出会った。

「TWICE」(トゥワイス)である。9人組の多国籍ガールズグループ。3人の日本人、1人の台湾人、その他は韓国人メンバーによって構成される。アジア圏を中心に世界的な人気がある。韓国だけでなく、現在は日本での存在感も大きい。

出会いは2017年だった。教えてくれたのは、オランダに留学する日本人の男の子だった。彼には韓国人の彼女がいて、K-POPに詳しかった。いざ曲を聴いてみると、すぐにハマった。毎日、YouTubeで動画を見る日々が続いた。TWICEの曲から元気をもらい、留学生活をなんとか無事に終えることができた。そこで思いついた。

「韓国留学に行こう」

すぐに、僕は韓国への短期留学を決めていた。「韓国語を学びたい理由はK-POP」という、どこにでもいる大学生の典型だった。

2017年8月、ソウルの漢陽大学に短期留学した。とても楽しい3週間だった。日本から短期留学に来た日本人学生、現地の韓国人の学生たちと毎日ソウルを遊びまわり、大切な友達がたくさんできた。今でもよく連絡を取っている。大学生活のなかでの一番の思い出だ。

全国紙に就職するも激務でメンタル不調に

帰国後、大学院を修了した僕は、毎日新聞社に就職し、記者として働いた。しかし、激務に耐えきれず、わずか2年半で身体をこわしてしまった。複数の上司からの心ない言葉もあった。メンタル不調を経験した。今より15キロも痩せていた。ご飯が喉を通らなくなり、眠れなくなった。

9カ月間の休職期間を経て、退職した。半年間はフリーのライターとして活動した。2023年4月からは大阪公立大学大学院の博士課程に進むことになった。留学は2023年3月からなので、大学院入学に先駆けて韓国に行くことになる。

仕切り直しだ。改めて考えてみた。博士課程の3年間は、授業にはほとんど出なくてもいい。博士論文を提出すれば修了できる。それなら、日本にいる必要もないのではないか。実際、僕の友人や先輩は博士課程の間に1年間の在外研究を行っていた。

「韓国に行きたい」

すぐにそう思った。韓国行きを真剣に検討し始めた。語学堂(語学学校)には通いたいが、それだけだと物足りない。研究はしっかり続けつつ、なるべくフリーに動けるようにもしたい。

そんな折、高麗大学の「亜細亜問題研究院」という研究所の存在を知った。高麗大学は韓国の名門大学である。そこでは研究員の肩書がもらえて、研究室のデスクをひとつあてがってもらえる。無給だけど、図書館は自由に使える。

ネットで調べてメールを送ってみた。担当者からすぐに返信がきた。履歴書と研究計画書を送ってほしいとのこと。韓国語で書類をつくった。日本語でまず作成し、それを翻訳していった。翻訳サイトを駆使して、違和感のあるところは自分で直した。韓国出身の父の助けも借りた。

担当者に送ると、やはりすぐに返信がきた。「素晴らしい経歴ですね。研究計画も興味深いです。会議にかけますが、おそらく大丈夫でしょう」とのこと。審査は無事に終わり、2023年3月から1年間の「訪問研究員」として採用されることになった。研究の拠点を確保できた。晴れて、韓国行きが決まったのだった。

研究院に所属しつつ、大学に設置されている語学堂に通うことにした。書類は郵送だった。韓国語のレベルを確認するオンライン面接を受けた。語学堂は一番下のクラスが1級で、一番上は6級だ。

語学堂の面接では「文法も発音も問題ないですね。一番上の6級から始めてもいいですが、久しぶりに韓国語を勉強するのなら、5級からじっくり勉強するのはいかがですか」と言われた。「じゃあ5級からやります」と答えた。一学期は3カ月間なので、半年間は韓国語の勉強に費やす計算になる。「ちょうどいい」と思った。

韓さんは韓国留学でなにを発見するのか。【つづき】「「大阪生まれの在日コリアン3世」が、韓国に留学した直後「とにかく不便だった」意外なこと」(10月9日公開)の記事では、さらにその経過を追っていきます。

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