低所得家庭で顕著、「親の体験ゼロの場合、子どもの体験もゼロになる割合が高い」という実態

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習い事や家族旅行は贅沢?子どもたちから何が奪われているのか?

低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」、人気の水泳と音楽で生じる格差、近所のお祭りにすら格差がある……いまの日本社会にはどのような「体験格差」の現実があり、解消するために何ができるのか。

発売たちまち6刷が決まった話題書『体験格差』では、日本初の全国調査からこの社会で連鎖する「もうひとつの貧困」の実態に迫る。

*本記事は今井悠介『体験格差』から抜粋・再編集したものです。

「放課後」のピアノ教室であれ、「休日」の山登りであれ、子どもにとってのどんな「体験」であっても、その起点には子ども自身の「やってみたい」と思う気持ち、あるいは保護者の「やらせてみたい」、「やらせてあげたい」と思う気持ちがあるだろう。特に子どもが幼い頃は、親の意向がより重要な要因となってくるはずだ。

「親の体験」と「子どもの体験」

子どもの体験格差を考えるうえでは、保護者の収入や居住地などの客観的な情報だけでなく、親子の間の関係性や働きかけについても想像し、考えをめぐらせることが重要になる。そこで、今回の調査では、親自身がまだ子どもだった頃の「体験」のあり方についても質問の項目を設けることにした。

具体的には、自身が小学生だった頃にスポーツ系や文化系など定期的に通う習い事をしていたかどうか(「放課後」の体験)、そして自然体験や文化的体験などの機会が年に1回以上あったかどうか(「休日」の体験)を聞いた。

その結果、親自身が小学生時代に「体験ゼロ」であった割合は19.3%だった。逆に、保護者の80.7%はかつて何らかの「体験」をしていたことになる(なお、子どもについては「昨年1年間」の体験を聞いているので、親と子の数値を同列に比較することはできない)。

この割合を確認したうえで、自身が小学生時代に「体験ゼロ」の保護者とそれ以外の保護者とで、その子どもの「体験」のあり方にどのような違いがあるかを分析した。

すると、親自身が「体験ゼロ」の場合は子どもも「体験ゼロ」である割合が5割を超える(50.4%)のに対し、親が何らかの体験をしていた場合は子どもの「体験ゼロ」が1割強(13.4%)にとどまることがわかった(グラフ20)。非常に大きな違いだ。これは何を意味するのだろうか。

ここまで見てきた様々な調査結果を振り返れば、親の収入が子どもの様々な「体験」の機会と強く関係していることは明らかだ。ならば、自身も子ども時代に何らかの「体験」をしていた親たちは、現在収入が多い層と大きく重なっているだけなのかもしれない。そんな仮説も立てられるだろう。

しかし、「親の体験」の有無と「子どもの体験」の有無との関係を、現在の世帯年収ごとに集計してみると、どの年収区分においても、「親の体験」ゼロの場合は「子どもの体験」もゼロになる割合が高いことがわかった。

つまり、近しい年収の親たち同士を比べたときにも、「親の体験」の有無によって「子どもの体験」のあり方に大きな違いが出ている。

言い換えれば、たとえ現在の年収が低くとも、親自身が子ども時代に何らかの「体験」をしている場合には、その子どもは一つ以上の「体験」に参加している割合が高くなっている(つまり、「体験ゼロ」の割合が低くなっている)。

例えば、世帯年収300万円未満の家庭を見ると、親の子ども時代の「体験」の有無によって、子どもの「体験ゼロ」の割合には17.4%と58.1%という形で大きな違いが出ている。そして、ほかの年収区分においても、これと同じ顕著な傾向を見てとることができた(グラフ21)。

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