石破茂幹事長は2年連続でニコニコ超会議の自民党ブースでカレーを配った(2014年4月撮影:小川裕夫)

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 9人の候補者が乱立した自民党総裁選は、1回目の投票で過半数を獲得する候補者がいなかったため、1位の高市早苗候補と2位の石破茂候補による決選投票となった。その結果、石破茂候補が逆転して新総裁に就任。10月1日の首班指名を経て、第102代内閣総理大臣に就任する。

【写真】ニコニコ超会議で「小池百合子」とカレーを配る石破新首相 ほか

 石破新首相は防衛大臣や農水大臣などを歴任したベテラン議員だが、新総裁に選出された際には新聞・テレビの報道各社が改めて人柄をクローズアップしている。石破新首相は多趣味でも知られ、なかでもミリタリーや鉄道はプロ顔負けの知識量と情熱を持つ。

 そんなオタクな一面は、YouTubeに開設された公式チャンネルやXにアップされた動画の数々からも垣間見える。石破氏が語る鉄道はディープな内容にも触れているので、さして鉄道に興味がない一般人が視聴しても「何のこっちゃ?」という思いに駆られることだろう。

石破茂幹事長は2年連続でニコニコ超会議の自民党ブースでカレーを配った(2014年4月撮影:小川裕夫)

 それらの動画で、石破氏は自身を乗り鉄だと語り、特に客車列車に乗ることが好きだと明かしている。例えば、地元・鳥取県と東京を結んでいた寝台特急「出雲」には、これまでに1,000回は乗ったという。

 寝台特急「出雲」は一般的にブルートレインと呼ばれる機関車が牽引する寝台列車だが、時代とともに技術革新が進み、その役割はサンライズ瀬戸・出雲に引き継がれた。サンライズ瀬戸・出雲に使用される車両は、客車列車ではなく電車になった。そして、寝台特急「出雲」は2006年に廃止される。

 鉄道に関する話は、「オタクが楽しそうに鉄道を語っている」と趣味の分野に矮小化されがちだが、石破氏の鉄道話には戦災復興から高度経済成長、そしてバブル経済へと歩んできた日本の政治史やエネルギー史、経済史、社会史が内包されている。

石炭から電化へ

 戦前期の昭和では、日本の電力供給手段が水力から火力へと移行していったが、火力への移行によって各地で石炭産業が盛況になった。そのため、鉄道も石炭を燃料にした蒸気機関車(SL)が主力になっていく。

 しかし、石炭の時代は長く続かない。戦後、急速に各家庭で電化が進み、石炭価格が高騰したからだ。

 当時の国鉄は、国内で採掘されていた石炭の30パーセントを消費していたともいわれる。石炭価格が高騰すると、鉄道の運行にも支障を及ぼすことは少なくなかった。

 そうした事態を回避し、安定的な鉄道の運行を目指すべく、国鉄は1958年に動力近代化調査委員会を発足させる。同委員会は通算で本委員会を40回、専門委員会を118回も開催して、鉄道をSLから電気・ディーゼルカーが牽引する機関車へ、さらに電車へと切り替えていく方針を決定した。同委員会は、15年以内に主要幹線の約5,000キロメートルを電化する目標を掲げた。

 石油資源が乏しい日本では、火力発電を推進するといっても石炭火力が主流だった。そのため、国鉄が動力近代化を推進しても石炭を燃料とするSLから石炭を燃料とする火力発電へと切り替わるだけで根本的な解決にはならない。

 それでもSLより火力発電の方がエネルギー効率はよく、しかも電気なら水力発電や石油火力・天然ガス火力など複数の発電方法と組み合わせることができる。

 そうした考えのもと、国鉄は石炭を動力源とするSLから石炭火力によって電気を生み出し、その電気で列車を走らせることを選択した。これは石炭価格高騰へのリスクヘッジとして有効だったが、そのほかにもSLの運転は機関士と機関助士の2名体制だが、電気機関車や電車は運転士が一人で済むという人員面での経済合理性も脱SLを加速させた。

動力近代化

 さらにアメリカでは原子力による発電が進められ、日本も1955年に原子力基本法が成立して原子力発電の道筋が開かれていた。国鉄は原子力機関車の研究も進めており、この研究は最終的に「原子力機関車を開発・製造するよりも、原子力発電で電気を生み出して、その電気で鉄道を動かした方が効率的」という結論に至って研究・開発を終了したが、国鉄が脱石炭を進めるために多くの選択肢を視野に入れていた傍証にもなっている。

 国鉄は動力近代化の初手として、東海道本線・上越線・奥羽本線といった長距離需要が高く、石炭使用量を大幅に削減できる路線から電化に着手した。1956年には東海道本線の全線電化が完成し、電気機関車が牽引する特急「つばめ」と「はと」が運行を開始した。

 当時の国鉄は、先頭車両の機関車が客車を牽引する動力集中方式の技術開発に取り組んでいた。これは海外に倣ったもので、特急「つばめ」と「はと」も電気機関車が牽引する特急列車だった。

 しかし、日本の鉄道に動力集中方式は馴染まなかった。それに気づいた鉄道技術者たちは動力集中方式から、複数の車両に動力装置を取り付ける動力分散方式へと開発方針を切り替えていく。

 これは、国鉄が電気機関車から電車を走らせる研究開発にシフトチェンジしたことを意味する。それまでの技術では電車は騒音が大きいゆえに、長時間にわたって乗車するには不向きと考えられていた。

 国鉄の技術者たちは騒音の問題を軽々とクリアし、1958年には東海道本線に電車特急「こだま」が走り始める。石破氏はXにも、模型を手に電車特急「こだま」を語る動画をアップしている。地元・鳥取県を走る寝台特急「出雲」に触れることは自然だが、石破氏が特急「こだま」に触れる必然性はない。

なぜ「こだま」に触れたのか

 なぜ、石破氏は動画内で特急「こだま」に触れたのか? これまで筆者は多くの政治家を取材してきた。石破氏が鉄道を語る場面を何度も目撃している。石破氏の取材で、もっとも強く印象に残っているのは千葉県千葉市の幕張メッセで開催されたニコニコ超会議でのトークだ。

 当時、自民党幹事長だった石破氏は超会議に2013年と2014年の2回も視察で足を運んでいる。ニコニコ超会議には各政党がブースを出展して、党勢拡大や党員を増やすための勧誘をしている。自民党もブースを出展しているが、石破氏は来場者にカレーライスを手渡しするなど有権者と触れ合って自民党への支持を呼びかけていた。

 こうした党務のほか、自衛隊ブースや海洋研究開発機構が展示していた有人潜水調査船「しんかい6500」などを見学し、さらに超鉄道のブースにも足を運んだ。

 永田町屈指の鉄道マニアだけあり、2年連続で超鉄道ブースに立ち寄って鉄道模型を大名買いした。

 超鉄道はミュージシャンの向谷実さんがプロデュースしており、向谷さんは石破氏が超鉄道のブースに現れたのを見つけて2013年と2014年どちらもステージに登壇してもらっていた。壇上に立った石破氏と向谷さんは軽妙なトークを交わし、その内容はディープだった。時折、ステージを取り囲む鉄道マニアからも唸るような声が漏れることもあった。

 石破氏がアップした動画内では、電化や動力分散方式といった小難しい話に触れていない。しかし、特急「こだま」が鉄道史におけるエポックメイキングな電車であることは鉄道マニアだったら誰もが知っている話で、それを鉄道マニアではない視聴者にも何とか伝えたかったのだろうと推測できる。

石破動画から読み取れるもの

 石破氏がアップしているXの動画には、特急「こだま」に続いて初代東海道新幹線0系の話も出てくる。模型を手にして鉄道を語るなら、鉄道に興味がない視聴者にも訴求できる新幹線だけに話題を絞る方が得策だろう。それでも、あえて石破氏は特急「こだま」にも触れた。そこからは、裏打ちされた鉄道知識と石破氏の鉄道に対する愛着が見え隠れする。

 東海道本線を走った特急「こだま」は、東京―大阪間を約6時間50分で結んだ。それまで東京―大阪の出張は宿泊を伴うことが前提になっていたが、特急「こだま」はビジネス需要の取り込みを狙って“東京―大阪の日帰りも可能に!”という宣伝文句を積極的に使用した。

 実際に特急「こだま」を使っても現地の滞在時間が短すぎるので、日帰り出張は非現実的だろう。それでも国鉄は日帰り出張を前面に打ち出して集客を図った。そこには、国鉄が取り組んできた動力近代化の成果を可視化して広く伝えたいという思惑があったことは否めない。

 特急「こだま」は、1964年に東海道新幹線が開業したことで役目を終えた。「こだま」という愛称は東海道新幹線に引き継がれる。

 東海道新幹線は東京駅―新大阪駅の所要時間を約4時間に短縮し、日帰り出張を現実化させた。これにより、各地に点在していた企業の支店や営業所なども再編・集約されていった。

 その後も国鉄は動力近代化計画の歩を緩めず、1976年に無煙化を達成。これにより、国鉄がスローガンに掲げた“煙のない旅”が実現した。

 石破氏がアップした一連の鉄道動画には、国鉄が戦後から一貫して推進してきた動力近代化という社会構造の変化を読み取ることができる。

今の問題にどう対応するか

 そして、今、日本の鉄道は再び構造転換を迫られている。2020年に新型コロナウイルスの感染拡大を機に、各地を走るローカル線の存廃問題が議論されるようになった。

 以前からローカル線は慢性的な赤字だったが、それを都市圏の鉄道収益で穴埋めしていた。コロナ禍で都市圏の収益も細り、ローカル線の赤字を穴埋めすることが難しくなっているのだ。

 コロナは収束したが、今度は人口減少という問題が持ち上がっている。地方都市は言うまでもなく大都市圏でも人口増への期待が薄い。そのため、赤字路線を廃止することでJR各社は生き残りを模索するしか術がない。

 鉄道の進化は日本が歩んできた昭和のエネルギー史や経済史でもあり、それを認識することは日本が再び経済成長していくうえでも重要になるだろう。鉄道は単なる移動手段なのではなく、社会を左右する政治案件でもある。

 石破氏がどこまで意識していたのかは不明だが、石破氏が公式YouTubeチャンネルやXの動画内で言及した寝台特急「出雲」や特急「こだま」の話は、新首相に就任した今となっては単なる鉄道マニアが昔を懐かしむ、鉄道を楽しく語るという意味だけでは済まされなくなっている。

 今後、地方自治体やローカル鉄道の関係者から石破新首相に救済策を求める声が届けられることになるだろう。知識が豊富だから、誰よりも好きだからといって、必ずしも適正な鉄道政策を打ち出せるわけではない。むしろ、好きや詳しいが足を引っ張ることもある。

 誰もが認める鉄道オタクの新首相の鉄道政策には、温かくも厳しい目が向けられることになる。

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮編集部