韓国の独裁者・朴正煕が、岸信介と”初めて会った”ときに放った「驚きの一言」

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二人の邂逅

安倍晋三元総理が銃撃されて以来、旧統一教会と安倍氏の関係、そして、それに関連するようにして安倍氏の祖父である岸信介と旧統一教会の関係、さらには、岸と韓国政治の関係にまで注目が集まるようになりました。

現代につながる戦後の歴史を考えるうえで、岸と韓国政治の関係は、あらためて重要な位置を与えられつつあると言えるかもしれません。

韓国政治と岸の関係について多くのことを教えてくれるのが、姜尚中・玄武岩『大日本・満州帝国の遺産』という書籍です。

岸と韓国をつなぐキーマンといえば、韓国の元大統領である朴正煕(在任期間は1963〜79年)です。岸は「妖怪」の異名をとり、日米安保条約の改定を強行するなど強権的な政治家のイメージがありますが、朴正煕も、1961年のクーデターによって軍事独裁を敷いた存在としてやはりダークな権力者のイメージをまとっています。

じつはこの二人はかつて旧満州(現在の中国東北部)で活動をしていたという共通点を持ち、満州時代には「ニアミス」しています。そして、戦後にはそうした満州での経験を結節点とするかのように関係を深めているのです。

『大日本・満州帝国の遺産』は、この二人の戦前の動向、そして戦後の関係について詳しく記述したものですが、なかでも印象深いのが、二人が初めて邂逅したシーンです。

1961年11月11日、韓国の「国家再建最高会議議長」として日本を訪れた朴正煕。彼はこのとき岸と初めて出会い、歓心を買うような発言をします。

〈東京都内の首相官邸(編集部注:当時の首相は池田勇人)での晩餐会に招待された朴正煕は、過去の記憶と未来への野心でいつになく緊張していた。そのとき、岸と朴ははじめて対面する。そして翌日、岸は朴のために午餐会を用意するのであるが、関係者の話を総合すると、朴はあらまし次のような発言をしたようだ。

経験もない私たちには、ただ空拳で祖国を建設しようとする意欲だけが旺盛です。まるで日本の明治維新を成功させた若い志士のような意欲と使命感をもってその方々を模範とし、わが国を貧乏から脱出させ、富強な国家を作っていこうと思います。

この岡本実中尉(編集部注:「岡本実」は朴正煕の日本名)こと朴正煕国家再建最高会議議長の発言に午餐会の出席者はどんな思いで耳を傾けていたのだろうか〉(19頁)

「維新の志士」を持ち上げるこの朴正煕の発言は、岸の自尊心をくすぐったと見られます。同書は〈曾祖父佐藤信寛を通じて長州の維新群像を身近に感じていた岸にとって、朴の発言は岸の自尊心をくすぐる健気な真情吐露に思えたに違いない〉としています。

深まる絆

朴正煕のほうには、韓国の近代化・工業化のため日本の協力を取り付けたいという思いや、同じ満州人脈に連なる岸への親近感など複雑な思いがあったのかもしれません。

この前後から二人は接近しており、初対面の後はいっそう絆を深めていきます。

〈ふたりがはじめて対面したのは、一九六一年一一月に朴正煕が訪日したときであるが、実はそれ以前から書信を交わして対面の日を待ち望んでいた。岸は朴の師範学校時代の同窓生を派遣した。それを受けて朴は岸に私信を送り、次のように協力を要請した。「今後再開しようとする韓日国交正常化交渉において、貴下の格別な強力によってこそ大韓民国と貴国との強靭な紐帯が両国の歴史的な必然性であると主張なさる貴意が具現されることだろうと思います」(国立国会図書館憲政資料室「岸信介関係文書」)。

朴正煕はクーデタ後に再開された日韓交渉を早期妥結するために高級政治会談を日本に申し入れ、その日本側の代表として岸を指名し訪韓を強く要請したが、岸への信頼は自らが訪日して対面して以来、揺るぎないものとなった〉(281〜282頁)

やがて二人は戦後の日韓関係において「ホットライン」の役割を果たすようになったと、本書は記しています。近代化を進めるため日本の協力を取り付けたい韓国の独裁者・朴正煕と、そこに自分の戦前の満州での在り方を投影する昭和の妖怪・岸信介……初対面の様子は、二人の関係を象徴するようなものと言えるかもしれません。

なお、岸信介が戦後の朴正煕に、満州時代の自分の姿を重ねていたのではないかという点については、【つづき】「「韓国の独裁者」の暗殺がされた後、岸信介が放った「驚きの一言」」で紹介しています。

「韓国の独裁者」の暗殺がされた後、岸信介が放った「驚きの一言」