人の輪のなかにいる。ただそれだけで…若年性アルツハイマーの夫とその妻がしみじみと実感した「本当の幸せ」

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「漢字が書けなくなる」、「数分前の約束も学生時代の思い出も忘れる」...徐々に忍び寄ってくる若年性アルツハイマーの恐怖は今や誰にでも起こりうることであり、決して他人事と断じることはできない。

それでも、まさか「脳外科医が脳の病に侵される」などという皮肉が許されるのだろうか。そんな「運命」に襲われながらも、悩み、向き合い、望みを見つけた東大教授と伴侶がいた。

その旅の記録をありのままに記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子著)より、二人の旅路を抜粋してお届けしよう。

『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第20回

日本語も英語も徐々に…アルツハイマーになった東大教授との「読書会」で妻が悟った厳しすぎる現実より続く

茫漠とした時間

畑仕事にもなじめず、読書会も終わると、私たちの日課は退屈なものになりました。はじめのうちは、もの珍しさも手伝ってあちこち散策したものです。美ら海水族館の年間パスポートを購入して、暑い日は水族館のなかを歩き回りました。

上田先生も、晋を食事に誘ったりプール券をくれたりと、何かと気遣ってくださったのですが、私たちは、まるで時間が無尽蔵にあるように感じて、いたたまれません。

「洗い物をやろうか」

それまで家事には興味も示さなかった晋が、そう申し出たことがありました。手持ち無沙汰なのでしょう。せっかくなので、自分でやったほうが早いけど、などと思いつつもお願いすると、

「解剖学教室では、実験器具を洗ったなあ」

と、嬉しそうに、コップなどピカピカになるまで洗っています。食器洗いはお手のものでした。でも洗濯は、洗ったものを、シワを伸ばさずにただ吊るすだけ。あとで私がこっそりやり直しました。ちょっと前まであんなに忙しくしていたので、急に時間を持て余すことになった晋。少しかわいそうでもあります。

苦難の中の「心の支え」

家事の手伝いが、〈誰かの役に立っている〉ということを実感できる、大事な時間になっていたのかもしれません。

所在ない日々のなかで私たちの心の支えになっていたのは、教会での交わりでした。出発前に私たちは転居通知を出していたのですが、その挨拶状を見た知人から「今泊キリストの教会」を教えてもらっていたのです。

教会といっても、外観はありふれた集会所のような、素朴な建物。そこを初めて訪れたのは、沖縄に移って2週目の日曜日でした。余計な詮索をすることもなく、誰もが初日から旧知のように接してくれます。

その日から約2年間、沖縄を離れるまで、私たちは今泊教会に通い続けました。

ところで、キリスト教には行事がつきものですが、今泊教会のそれは「沖縄ならでは」と言えそうな、印象的なものでした。たとえばクリスマスの洗礼式は、今帰仁の海で行われます。12月なので南国といえどさすがに寒く、海辺で焚火にあたりながら子どもたちが海に頭まで浸かる、独特な洗礼式を眺めました。

「ただそれだけで、幸せ」

春のイースター(復活祭)では、ピクニックが催されます。最初の年は小高い丘にある公園が目的地でした。色とりどりに染められたゆで卵(イースターエッグ)を園のあちこちに隠し、大人も子どもも探して楽しんだものでした。

翌年のピクニックは古宇利島。古宇利大橋で本島と結ばれた、有名な観光地です。当日はあいにく雨になってしまったので、急遽、室内でできるゲームになりました。子どもたちが「若井先生」とじゃんけんして、勝ったらイースターエッグをもらえる、というルール。

晋はグーとパーしか出しません。子どもたちはそれに気づいて、我も我もと卵をせしめます。晋は嬉しそうに、でも真剣に、じゃんけんをしています。チョキが出ていないという自覚は、ないようでした。

でも子どもたちは、何で?とわざわざ聞いたりはしません。みんなで大爆笑のなか、ゲームはお開きに。

人の輪の中にいる。自分を囲んでいるみんなが笑っている。ただそれだけで、幸せだったのです。

日本語も英語も徐々に…アルツハイマーになった東大教授との「読書会」で妻が悟った厳しすぎる現実