意外と多い、なぜ「子どもの受験」で「家庭崩壊」が起きるのか

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わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。

※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

温情の海:価値創造で幸せな家庭を作る思考法

本当は、親子関係においても経営をおこなうべきだ。

具体的には、「A:親が子の生き方を決めつけてしまう」「B:親が子の生き方を決めつけない」という対立の究極の目的が「C:子供に幸せになって欲しい」というものだとすれば、AとBがそれぞれCにどう寄与できるかを考えてみるべきである。

すると、たとえばAによって「取り返しのつかない失敗をさせない」、Bによって「自由に伸び伸びと育ってもらう」という寄与が、それぞれありうると気付くかもしれない。

その後は、「取り返しのつかない失敗をさせない」ことと「自由に伸び伸びと育ってもらう」の両立を考える。AとBの両立は無理でも、こうした「Cへの寄与同士の両立」ならば可能だからだ。

すると、たとえば千四百年以上前に成立した『顔氏家訓』的な「道徳教育を徹底的におこなった後に好きなだけ自由にさせる」あたりに落ち着くかもしれないし、その他にも家庭ごとに色んな解決策がありうるだろう。

こうした家庭経営の考え方は、解決不能に思えた家庭内の問題に対して解決の糸口くらいは明らかにする。

私の周囲でいえば、高額な玩具を子にねだられて子との関係と家計の安定との間で悩んでいた方が、この手法によって「親子で一緒に家の中の不用品をインターネット上で売って玩具購入代金を稼ぐという遊びを提案する」という解決に至った人もいる。もちろん最終的に足りないお金は親が出す腹積もりである。この方が最初から何でも買い与えるよりよっぽど子は親に感謝する。

この他にも、子供が幸せになるための手段の一つにすぎないはずのお受験を究極の目的だと勘違いして家庭が崩壊したり、同じく手段の一つにすぎないはずの世帯所得向上が自己目的化してしまって家族関係がギスギスしたりするなど、家庭における悲喜劇は経営の欠如によってもたらされている。

いまこそ、家庭は経営の場なのだということに気が付くべきだろう。

もちろん世の中には、そもそも父母がいないとか、さまざまな問題解決の努力をしてみたがどうしようもないという方もいる。

昨今は親ガチャや子ガチャといった言葉もあるほどだ。その場合は「家族そのものを創造できる」という発想がそうした状況を少しは救ってくれるかもしれない。

なにも、「結婚して家族を持て」という古い価値観を押し付けたいのではない。

そうではなく仕事や趣味や学業等を通じて、親代わりの存在、兄代わりの存在、妹のような存在、子のような存在を得ていく道があるということだ。実の兄弟のような遊び仲間だとか、実の親子以上の師弟関係など、ありふれた話である。

この発想であれば誰もが理想の疑似家庭を創り出せる。少なくとも血縁を必要以上に重荷に感じて絶望しなくて済むかもしれない。私にも父代わりだと思っている方がおり、私なりに定期的に親孝行している(つもりだ)。

幸せな家庭は経営によって創り出すことができるのだ。

つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。

老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い