にしおかすみこ、認知症の母とダウン症の姉の風呂嫌い…「お風呂記念日」が来るまで

写真拡大 (全8枚)

「ほら、お風呂入っちゃいなさい!」

子どもの頃、そんなことを親から言われたことのある人は少なくないのではないだろうか。

認知症の母、ダウン症の姉、酔っ払いの父と2020年から同居をしているのがにしおかすみこさん。9月20日には、同居の様子を赤裸々に綴った連載「ポンコツ一家」の15編と書きおろし4編、番外編1編をまとめた『ポンコツ一家2年目』が刊行となった。その11章「お風呂記念日」には、認知症の母とダウン症の姉がお風呂に入ろうとしないという悩みを抱えていることも綴られている。

本書刊行を記念して11章の特別試し読みをお届けする前編では、ダウン症の姉が通う作業所の職員から突然メールが届き、連載「ポンコツ一家」を読んでなにか手伝いができればと手を差し伸べてくれるまでをお伝えした。しかも、例えば職員さんが姉を銭湯に連れて行くこともできると提案をしてくれたのだ。

もしかしてお風呂問題は解決に近づくのだろうか――。

すぐにとはならなかった

ただ、すぐにとはならなかった。先にも述べたが、少し長期戦なのだ。

なんだかんだと母が渋り、年が明け、桜も散って、私の淡い期待もとうに失せていた。その間、ウチでの風呂回数ゼロではない。ふたりとも月一回シャワーは浴びる。湯船に浸かるのは見たことがない。姉が一枚のメモを私に渡す。『あんしんしてください ひきずられても はいりません』

虐待ではないか。もちろん誰もそんなことはしていない。

2022年6月某日。動きがあった。

どこから引っ張り出したか、とろろ昆布のような風合いのサマーセーターを着た母が「作業所に面接行ってくる」と玄関で靴を履いている。

こっそり職員さんに連絡をもらっていた私は「ついでに行くよ〜」と後を追う。

母が振り返りながら「えー? 無職になんのついでがあるの? いいよー、結婚できず、実家に引きこもってなんもしてないなんて話になってごらん? さすがのママもフォローできないよ。他人は平気で心に土足で入ってくるから、あんたが傷つくだけだよ」。

身内が一番土足で蹴りを入れてくる。

びっくりすることが

そして、びっくりすることが起きたのだ。

到着し、小部屋に通していただいた。職員さんが姉の作業所での様子を報告してくださり、母が姉と私の幼少期の思い出話を報告する。

職員さんが頃合いを見ながら「お風呂はどうですか? もし大変そうでしたら、女性職員がこちらで支援しましょうか?」と織り交ぜてくださる。

「あら、お願いします」

!!? え!!? 耳を疑った。こんなにすんなりと!? 機嫌が良かったのだろうか? 物分かりが良いふうを見せたのだろうか? なんでもいい。表に走り出て『勝訴』と掲げたかった。

帰宅してすぐ、来るお風呂記念日に備えて、持ち物を準備した。

シャンプーやトリートメント類を百均で買ったカゴに入れ、姉の好きそうな花のキラキラシールを貼った。

母が姉の新しい下着にマジックで名前を書いた。

姉がマジックで『パパへ なにかしなさい なにもしないはおかしいですよ』と書いたメモ紙を父に渡した。

父が「おまえが書かせたんだろう! 汚いまねしやがって!」とわめき散らし飲みに出かけた。母にとっては濡れ衣だ。それでもなんでも、私は浮かれた。

そしてついに…

そしてついに姉は風呂に入った。

その日の真夜中。私は仕事で帰宅が遅くなった。電気の消えた階段をそっと上がる。自室のドアに張り紙が二枚、ガムテープで留めてある。目を凝らす。

「『無事、入浴。お姉ちゃんが作業所でお風呂に入った、第一号!』」という文字を、いつの間にやら背後に立った母が自ら朗読する。え? ビビる隙も与えず続けざまに姉が、「『ほめてやってね だいいちごうホームランです きねんびです』」と自身のメモに声を弾ませる。第一号という誤情報はあるものの、

……あんたら、起きて待っていて……各々のメモを読みあげたら、それはもう会話だよ。

思いっきりハグしようと、オーバーに両手を広げてみせる。

姉が「オッケー」と私の右手を取り、残りの手で母の左手を取る。姉が真ん中で三人横並びになり、そのまま何度も腕を端から端へと上下にくねらせる。ウェーブだね……これはもっと大勢でやるものだろう? 粛々とひとしきりやった。

そして母と私で代わる代わる、姉のサラサラな髪を撫でた。

後日。

後日。突然、母はひるがえった。

「ママ、後悔してもしきれないことがひとつある。お姉ちゃんの入浴。あれは実験だよ。ウチはおとなしいからね。まずお姉ちゃんで試して、上手くいったから、今じゃ、30〜40人次から次へと団子状態でギュウギュウ詰めで風呂に入れられてるんだよ」

実験だなんて、全くもって事実無根だ。いい加減腹が立った。

「なんで人が親切にしてくれることをそんなふうに言うの? お姉ちゃんも風呂楽しそうじゃん! ママも助かるじゃん! ……ねえ、ずっとこの先もそうやって、ママなんにもできなくなってもお姉ちゃんを囲うの? それ誰のため?」

「バカ! 騙されおって! お姉ちゃんひとりのためじゃないんだよ! これは障がい者、作業所の! 日本の! 障がい者全員のためなんだよ!」

何団体の代表だ。

さらに「そうか! さては、あんたも悪巧みのひとりか! ママがなんにも知らなきゃ何してもいいんか! いつからそんな性根が腐った? 作業所であんた何言った? 何した? この嘘つきが!」。

鋭かった。……すみこが撃沈した。

愚痴り屋の私は、皆さんに聞いていただいているここまでを数少ない友人に電話で聞いてもらった。たびたび私の心を支えてくれる友人は重度障がいの子を育てている。

「話聞いてるとさ、すみちゃんとこの作業所は良さそうだなと思うの。いい職員さんだと思う。でも世の中、残念だけどそんな施設ばかりじゃないんだよ。大事な娘を預ける不安、不信感は根っこにあると思うよ。親だもん。そこが妄想とごっちゃになって出てくるんじゃないかな。お母さん、気分や機嫌だけで言ってるわけじゃないよ。でも、そのサービス利用できるといいねえ。なんて、勝手なことばかり、知らないのに偉そうにごめんね」

……いや、ありがとう。友人も母も深い。私は浅い。母よ。知らないのに偉そうにしてごめん。

以来、母は入浴支援に断固として首を縦には振らない。

嘘はついていない。黙っていただけだよ。言い訳かな。騙したりしないよ。今までもこの先も。

純子って書いてすみこと名付けてくれたでしょ。純粋な、ありのままに、偽りのないでしょ。

……すみこを、もう少し信用してよ。

◇通常の連載は10月20日に公開予定です。

突然…認知症の母と暮らすにしおかすみこ、ダウン症の姉の作業所からのメールに肝が冷えた話