これは日本人研究者には書けない!? フランス屈指の東洋学者による〈世界レベル〉の仏教史、驚きの日本語版。

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「世界三大宗教」といえば、キリスト教、イスラム教、仏教だ。しかしなぜ、この三つが世界に大きく広がったのだろうか。なかでも、日本人にもっとも馴染みのある仏教は、日本以外の国々ではどんな歴史をたどったのだろう――。『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか』(講談社選書メチエ)は、「日本仏教」の枠を超えた〈世界標準〉の仏教史の入門書だ。著者は日本文化の研究で業績を積んだ、フランスの研究者である。

「彼の頭の中は外国語のスーパーマーケットだ!」

「仏教の歴史」というと、昔ながらの仏教学者やお坊さんが書いた、「なんだか古臭い本」とイメージしてしまうかもしれない。しかし、本書は従来の日本の「仏教史」とは全く違っている。第一章の冒頭には、こう書かれている。

〈ユダヤ教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、唯一神を中心とした「一神教」の宗教伝統の中だけでずっと生活してきた者にとって、仏教は常軌を外れた奇怪なもの、さらには馬鹿げたものにさえ映る。〉(『仏教の歴史』p.19)

本書をこのように大胆に書き起こす著者は、どんな研究者なのだろうか。

ジャン=ノエル・ロベール氏は、1949年生まれ。フランス随一の研究・教育機関、コレージュ・ド・フランスで日本文明講座を担当してきた東洋学者だ。現在は名誉教授である。

手がけてきた研究テーマはきわめて専門的で、たとえば、最澄の直弟子・義真の『天台法華宗義集』の研究、鳩摩羅什訳『法華経』のフランス語訳、慈円の「釈教歌」の研究…などが国際的に高く評価されている。また、日本文化を古今東西の文化史の文脈から捉えることを提唱し、1988年には第5回渋沢・クローデル賞を受賞、2021年には第3回人間文化研究機構日本研究国際賞を受賞している。

ロベール氏の研究の特質は「言語」に対する着目と、その並外れた語学力にある。

本書の翻訳を手掛けた今枝由郎氏は、「訳者解説」でロベール氏の興味深いエピソードを紹介している。なお、今枝氏はチベット歴史文献学の第一人者で、ロベール氏とは学生時代からの旧知の仲だ。

〈ある時、母国語であるフランス語は別として、中国語、日本語以外に何語ができるのかと尋ねてみると、朝鮮語、サンスクリット語、チベット語、ラテン語、ギリシャ語、ドイツ語、英語、イタリア語、スペイン語は一応困らない程度に使えるとのことであった。こうした彼の語学的才能を評して、友人たちは「彼の頭は外国語のスーパーマーケットだ!」と驚嘆していたとのことである。〉(『仏教の歴史』「訳者解説」p.165)

また、フランス国立東洋語学校に在学中には、当時の日本語教授陣の一人森有正(1911―1976)は、ロベール氏をまさに「不世出の語学の天才」と称賛したという。

日本の仏教研究者には欠如した視点

この語学力を武器としたロベール氏の仏教研究とは、どんなものなのだろうか。

〈仏教をモンゴル、東トルキスタンから日本、ジャワ島まで、さらにはチベットからベトナムにいたるさまざまな言語、文化の統合要素として捉えることで、一つの限定的な宗教史研究をすることは可能であった。と同時に、仏教に限定したとしても関連する言語の数はとてつもなく多く、それらをすべてを習得するのは不可能であることも事実であった。〉(同書p.11)

つまり、〈手に負えないほど数多くの言語圏〉を股にかけて、その〈統合原理〉ともいえる仏教が、どのようにその地域に溶け込み、変化して新たな姿を見せるかを検証していくのである。

今枝氏は、〈この鳥瞰的な視点こそが、従来の日本仏教に、明治以降の仏教研究者に、そして現代の日本人仏教徒に致命的に欠如しているものである。〉(同書「訳者解説」p.166-167)と述べている。

本書の原著は、フランス語版で100ページ足らずの教養書シリーズの1冊だ。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、仏教という、人類の主要な宗教を紹介する4冊のうちの1冊として2008年に刊行された。

フランスで高い関心を持たれながらも、まだまだ未知の宗教である仏教の一般向け教養書として、できる限り専門用語を避けて平易に記述されており、日本語版ではさらに、今枝氏による懇切な注と解説、索引を完備している。

ロベール氏自身、〈フランス語で書いた仏教についての拙著が、いつか日本語に翻訳されるとは、夢にも思わなかった。〉(同書「日本語版のための序文」p.9)という。

「世界宗教としての仏教」のスケールの大きな歩みに、思いを馳せてみたい。

※引き続き、〈ユダヤ教・キリスト教・イスラム教との決定的な違いは何か? 「不世出の語学の天才」が解明した仏教の「計り知れない奥深さ」。〉さらに、〈中国経由で伝来・進化した日本仏教は「ガラ仏」だ! しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている。〉もぜひお読みください。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教との決定的な違いは何か? 「不世出の語学の天才」が解明した仏教の「計り知れない奥深さ」。