「硫黄島では兵士たちが水を飲めなくてたくさん死んだ」…半世紀前を知る人物が語ったこと

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なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が12刷ベストセラーとなっている。

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

硫黄島兵士と同じ風を浴び、星を見上げ

「ヨンシュウ」への参加を、いつか実現したいと、僕はかねてから切望していた。

近年、硫黄島遺骨収集団は年4回派遣されるのが通例となっている。派遣時期は、第1回が7月ごろ、第2回は9月ごろ、第3回は11月ごろ、最後の第4回は2月ごろだった。厚労省などの関係者は、それぞれを略してイッシュウ、ニシュウ、サンシュウ、ヨンシュウという呼び方をする。僕が過去2回参加したのは、ニシュウとサンシュウだった。

僕がヨンシュウに参加したかった理由。それは派遣時期がちょうど、硫黄島で地上戦が繰り広げられた時期と重なるからだ。地上戦は一般に、米軍が上陸した1945年2月19日から、日本側守備隊による最後の総攻撃が行われた3月26日までの36日間を指す。ヨンシュウに参加すれば、この歴史的戦いの際の気候、風、海や空の眺めなどを五感で感じることができる。そのことは、当時の兵士の状況を理解する一助になると考えた。

実際、参加したことで、それまでの認識を改めたことが複数あった。その筆頭は、気温だ。南洋に位置する硫黄島の戦いは、暑い気温の中で繰り広げられたイメージがあった。しかし、確かに日中は本州方面の夏場に近い気温になる一方、朝夕は冷えた。2月19日に米軍が上陸した時間は朝だった。海水に濡れた米海兵隊の兵士たちは随分と寒い思いをしたのではないか、と思った。

僕が驚き、感動したのは月夜の明るさだった。満月の日、午後9時ごろに宿舎の外に出てみた。月の明かりで手の平のしわもくっきり見えた。本の字も読める、と思った。硫黄島の戦いは、夜間の攻防も多かった。これだけ明るければ動き回ることもできたはずだ、と納得した。

半世紀前の硫黄島を知る人物との邂逅

今回の収集団は総勢26人。派遣前に配られた団員名簿を見ると、そのうちの約半数は、過去の遺骨収集で一緒になったことのある人だった。苦楽を共にした人たちとまた会えると喜んだ。

今回、初めて会う人の中に、ある名前を見つけ、僕は「あっ!」と驚きの声を上げた。

「鈴木金美」。1970年代の遺骨収集について調べていたとき、目にした氏名だった。硫黄島戦の生還者が多く参加していた半世紀前の遺骨収集の状況や島内の様子について貴重な話を聞くことができる。そう喜び勇んだ。鈴木さんは父島在住のはず。北海道に転勤したら、会うのが非常に難しい人物だ。

ぜひ詳しく話を聞きたい。そんな僕の切望を、鈴木さんは受け入れてくれた。「もうあの時代の遺骨収集を語れるのは、私ぐらいしかいないでしょうから」。1977年に初めて硫黄島に渡った鈴木さんは、74歳になっていた。硫黄島滞在中、主に作業終了後の時間にたくさん話を聞かせてくれた。延べ時間にしたら10時間は超えたのではないかと思う。

鈴木さんは青森県出身の大工職人だ。妹が移住した父島に遊びに行ったのをきっかけに、自身も父島に移住した。妹が嫁いだ先は、硫黄島にルーツがある家だった。親族には、軍属として残されて戦死した人もいた。政府派遣の遺骨収集団に参加している親族の一人から「硫黄島に設置してある観音像を風雨から守る祠を作ってほしい」と頼まれた。元の依頼者は、硫黄島の元海軍司令で戦後、僧侶になって元部下の慰霊や遺骨収集に尽くしている人物だと教えられた。和智恒蔵氏のことだった。

鈴木さんは硫黄島渡島の話が舞い込んだとき「運命的なものを感じた」という。かつて青森で一緒に暮らした亡き父は、家で酔っ払うと「硫黄島では兵士たちが水を飲めなくてたくさん死んだ」という話をするのが常だった。父自身に従軍経験はなく、親族にも硫黄島に出征した人はいなかったのに。なぜ硫黄島の話をしていたのかは、未だに分からない。「硫黄島、硫黄島」と言っていた父を思いだし、どんな島なのか実際に見てみたいと思った。これが以後、現在に至るまで半世紀にわたり、参加し続けている遺骨収集の第一歩だった。

初渡島には後日談がある。硫黄島から戻った後、青森に帰省し、硫黄島で撮影した写真を父に見せた。すると、父はその日以来、一切、硫黄島の話をしなくなった。「なぜかは分からない。後に私は、硫黄島の兵隊さんたちが父を通じて、私を島に導いたのではないか、と思うようになった。私は呼ばれたのだと。ならば、できる限り、遺骨収集に協力し続けよう。そう考えて、今に至っています」。

つづく「「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」…硫黄島に初上陸して目撃した「首なし兵士」の衝撃」では、硫黄島上陸翌日に始まった遺骨収集を衝撃レポートする。

「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」…硫黄島に初上陸して目撃した「首なし兵士」の衝撃