にしおかすみこ、認知症の母、ダウン症の姉、酔っぱらいの父と迎えた大晦日の大事件
9月16日は敬老の日。
もちろん敬老の日でなくとも、高齢者を敬う気持ちは大切で、重要なことだ。
記念日というのはその「大切さ」を思い返す日ともいえる。
だが、常に高齢者のケアに従事している人からみると、「毎日が敬老の日」のような状況ではないだろうか。
にしおかすみこさんは2020年夏、コロナ禍で久々に実家に帰り、ゴミ屋敷のようになっていた家の荒れ方に直面して母の変化を知った。そして実家に帰る決意をし、認知症の母、ダウン症の姉、酔っぱらいの父と暮らす様子を綴る連載「ポンコツ一家」として2021年9月にスタートした。
連載13回までと5編の書きおろしを加えて2023年1月に刊行した『ポンコツ一家』には多くの声が寄せられた。
「介護は本当に大変、にしおかさん、頑張りすぎないで」
「他の人の力を頼って下さい!応援しています!」
「実はうちも同じ状況です。笑って泣きました。にしおかさんの視点がすごい」
多くの人が同じような状況に直面しているのだ。
さらに9月20日には『ポンコツ一家2年目』が刊行となる。「家族の状況もパワーアップ、私の状況もパワーアップ、記事のボリュームもパワーアップ、さらに言えば私の文章力もパワーアップしています」とにしおかさんが語る本書は、連載15編に書き下ろし4編、さらに番外編1編が収録されている。
そこで敬老の日記念として、連載から誕生した1冊目の書籍『ポンコツ一家』から現在オンラインでは読むことのできないエピソードを3週間の限定公開。大きな反響を得た「大晦日の大事件」とは。
2020年大晦日、朝10時
2020年大晦日。朝10時。
ひとつも掃除が終わらない。
ピンポーンと宅配便が届く。シュ、シュと足を全く上げる気のないスリッパ音。母が受け取ってくれたようだ。
箱を抱えながら「……なんだろうかこれ、えらいずっしりしてるよ、骨壺サイズ、不気味だねえ、突き返そうか?」と。
「お節だよ。もう作るの面倒だから通販で頼んでみたよ。三段重ってウチ初めてじゃない?」
「えーお金もないのに。甘いもん煮詰めた寄せ集めを三箱も? こんなもんだーれも
食べやしないさ」
嫌なことを言う。喜ぶと思ったのに。正月くらい正月らしいことをと思っているのに。台所のベットベトの換気扇を見上げる……くじけそうだ。
振り返ると「少しつまんでいいかなあ?」と母がお節を開けている。目が幼い。
ババアと子供の狭間だな。私の頰が少し緩む。
お風呂、何週間入ってない?
「明日、年明けてから食べようよ。あとお風呂入って。もう何週間入ってない? お
姉ちゃんも入れて。そんな臭い人達と正月からご飯食べられないよ」
「風呂風呂って。ここではっきりさせとくよ! ママは風呂に入れない人じゃない!
入りたくないんだ!」
なお悪い。
一点の曇りもない不潔宣言。
バラつきはあるが段々と、姉だけでなく、母も入らなくなっている。
掃除の深追いはやめた。
昼過ぎ。
掃除の深追いはやめた。もう間に合わない。
料理に取りかかる。
酢の物と、味の染みていないぼんやりな筑前煮が出来た。
姉が覗きに来た。「しいたけさん、ごぼうさん、れんこんさん、にんじんさん、すじーのとおった〜〜」と歌いながらこちらを見る。
なんだっけか……ああ、お弁当箱の歌だ。
保育園の遠足。ウチは毎回ほぼ煮物メインの弁当だったな。タコさんウインナーやウサギっぽいリンゴ、ラップで巻いたキャンディみたいなサンドイッチが羨ましかったっけな。その横で姉が歌っていた。野菜の種類や順番はその時々で違ったが「すじーのとおった―」でキラキラさせた目を向けて、必ず私を待つ……ああ。そうだった。
47歳の姉の顔を見る。口をチュウの形で待っている。なかなかのブサイクだ。
歳をとったな。
一緒に「フ――キ!!」と。
満足そうだ。「フキ入ってないよ」と言ったら、
「そういうとこだよねえ」と肩をすくめ、おどけたリアクションをとる。
しめたろかと思う。
煮物をタッパーに移し、
「お姉ちゃん臭いよ、お風呂入ってね!」と振り返る。いない。
居間で母と切り餅の袋を開けようとしている。「風呂!!」返事はない。
掃除をしていたら…
15時。
窓ガラスだけは拭いておくかと庭に回る。だいぶ掃除をサボっていたザラメのような窓をスポンジで落としていく。
……なにやら二階で母が怒鳴っている。くぐもってはいるが単語、単語は聞き取れる。
どうやら姉が自室でウ〇〇を……漏らしたらしい。
外窓から一階の居間を覗くと、吞気にピーナッツを食べ、お茶をすすっている父が見えた。
窓の内鍵を開けさせ、父の耳元で大きく丁寧に、
「絶対、お姉ちゃんお風呂に入れてね。それくらいやって」と野太い声でドスを利かせた。
すると、母が居間に降りてきた。始まる……。
ねえ、本当に認知症?
「毎日毎日! ご飯もたらふく食べているのに、その上ミカンやらリンゴやら食べさすからお腹壊したんだよ! あげるなって言ってるのに! パンツも床もビッチョビチョだよ」
「何? 好きなものを剝いてやって何が悪い? 全部僕が悪いのか!」
「愛情表現が乏しいんだよ。もの与えたら愛か? 犬猫じゃないんだよ! 定年して急に親面して自己満足か? ごっこじゃないんだよ!」
「何だと? 耳が遠いんだ! 聞こえるように言え! ごちゃごちゃ何言ってるかわ
からない!」
聞こえなくて良かったか。父にはきつい。
母が正しいと私は思う。ねえ、本当に認知症? 冗談でしたって言ってよ。
ふと見ると。母が怒り任せにブンブン振り回しているのは、ビッチョビチョのパンツだ。冗談ではない。
窓を全開にし声を張り上げる。「くさいからあああ!! どうでもいいから掃除してよ!! 朝から! 何で私一人だけが掃除して洗濯して料理して、おまえら何してんだよ!!」
母が言う。「なあんにもしてないさ! ウ〇〇は見なかったらいい!!」
父が言う。「換気したらいいんだろ?」
「換気でなかったことにできるかあ! クソがあああ!!」
◇「何で私だけ」にしおかさんが思わず口にした言葉に共感する人は少なくないのではないか。そういう感情は、介護のみならず多くの場面で出て来るものだろう。
ではにしおかさんは目の前にあるピンチからどのように脱出したのか。
詳しくは後編「にしおかすみこの大晦日、認知症の母、ダウン症の姉、酔っぱらいの父とのバトルと家出」にてお伝えする。