“禁断の移籍”を拒否「それだけはやってはいけないと」 元日本代表が明かす衝撃の過去【インタビュー】
東京Vで活躍した北澤豪氏、自身が選ぶベストゴールは鹿島戦のミドル弾
元サッカー日本代表MF北澤豪氏は、東京ヴェルディの前身である読売サッカークラブの下部組織で育ち、現役時代は東京V(当時・読売クラブ/ヴェルディ川崎)で活躍し、今年2月から東京V応援番組「カモン!ヴェルディ!!」(BS松竹東急・全国無料放送・ch260)のMCを務めている。
サッカー人生の多くを東京Vとともに過ごしてきた北澤氏だが、ライバルクラブからオファーを受けていたと明かしている。(取材・文=河合拓/全2回の1回目)
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北澤氏は東京VでJリーグ通算265試合に出場し、41ゴールを挙げてきた。その中で自身のベストゴールについて聞くと、「全部のゴールが印象に残っていますよ。初年度の第2節、ジェフ戦で決めた初ゴールもあります。引退直前の清水戦で決めたボレーシュートもありますね。その一方でクロスボールが来て浮いたボールを蹴ったら屋根を越えていったようなシュートもありました(笑)。思い出しますね」と現役時代を振り返り、選んだのは「国立でのアントラーズ戦で決めたミドルシュート」だった。
このゴールが決まったのは、1999年3月27日に行われたJリーグ1stステージ第4節・鹿島アントラーズ戦の前半3分。中盤でボールを受けた北澤氏は右足を振り抜き、約35メートルの距離から強烈なシュートを叩き込んだ。このゴールはJリーグ30周年の際に行われた「J30ベストアウォーズ」のロングシュート/ミドルシュート部門にもノミネートされており、日本サッカー史に残るスーパーゴールの1つとなった。
多くのゴールを積み重ねた北澤氏は、「メンバーが違うなかで決めてきたから、1つ1つのゴールに歴史がありますよね。現役の選手たちにもそうした積み上げがあって、このクラブにいることを感じてほしいし、OBの自分がクラブと関わることで、そうした歴史はより感じてもらえると思います。新しいものも大事ですが、過去からの積み上げである歴史があって、そのうえで自分たちはどう新しいものを作るべきかを考えてほしい」と、後輩たちの飛躍に期待を寄せた。
浮上した禁断の移籍の可能性「実は途中でいくつかの移籍話もあって…」
キャリアを通じて東京Vで過ごした理由を聞くと、「1998年のフランス・ワールドカップ直前、本戦メンバーから外れて日本に帰ってきた時、自分の中でサッカーが取り上げられた感じがしたんです」と当時を振り返る。
「でも、パッと気づいた時に『俺には帰る場所(クラブ)がある』と思った。間は少し空いたけれど、ここで小学校の途中から高校の途中まで過ごしたし、その後もプレーしてきた。下部組織出身の森田晃樹選手も言っていたけれど、クラブは『家』のようなもの。それこそ本当の家にいた時間よりも、ここでの時間のほうが長いからね」
長らく日本代表として活躍を続けた北澤氏には、現役時代に他クラブからのオファーも届いていた。しかし、「年齢的にも役割が変わっていくなかで、経験を伝えていく人がこのクラブにいるべきだろうと思うようになった。それまでの歴史を知る選手がほとんどいなくなっていたので、『オレが残ってやるべきことなのかな』と思いましたね」と、移籍せずに東京Vでキャリアを終えた理由に言及している。
また「実は途中でいくつかの移籍話もあって、FC東京からオファーもありました。けれども最終的には行かなかった。『なんとしても』という感じはあったけれど、それだけはやってはいけないかなと思った」と、禁断の移籍話が浮上していた過去を明かした。
東京VのOBとして「選手にはとても感謝しています。今の戦いぶりもそうだし、やっぱりサッカーに面白みがあるじゃないですか。それで興味を持ってくれている人も増えていると思う。東京V応援番組『カモン!ヴェルディ!!』を通じて盛り上げたいし、シーズン後半戦に期待です」と、古巣にエールを送った。
[プロフィール]
北澤豪(きたざわ・つよし)/1968年8月10日生まれ、東京都出身。修徳高―本田技研―読売クラブ―V川崎(東京V)。J1通算265試合41得点。日本代表通算58試合3得点。豊富な運動量と闘志あふれるプレースタイルから「中盤のダイナモ」と称され、2002年の現役引退までヴェルディ一筋を貫いた。引退後はサッカーの解説者や指導者として幅広く活躍し、一般社団法人日本障がい者サッカー連盟会長としても強化・普及に取り組むなど、日本サッカー界を支えている。BS松竹東急の8月25日(日)「東京ヴェルディ×鹿島アントラーズ」生中継で、本田泰人氏とともにW解説を務める。(河合 拓 / Taku Kawai)