パリ五輪グループリーグ第3戦。日本は第2戦までを終え、勝ち点6、得失点差+6という十分なアドバンテージを手に、この試合に臨んでいた。

 すでにグループリーグ突破は決まっており、イスラエルとの対戦で引き分け以上ならもちろん、大敗さえしなければ、負けてもグループ首位通過はほぼ間違いない状況にあった。

 とはいえ、負けて次に進むのと、勝って次に進むのとでは、チームのムードや勢いという点で大きな差が生じるであろうことは想像に難くない。

 その意味で言えば、引き分けでも御の字だった試合であろうと、しっかりと1−0で勝ちきり、しかも、3試合連続となる無失点でグループリーグ最後の試合を締めくくったことは、決勝トーナメントでの戦いにつながるものとなったはずだ。

 と同時にもうひとつ、準々決勝以降の戦いに弾みをつけたのは、貴重な決勝ゴールをチームのエースストライカーが決めたこと。すなわち、細谷真大に初ゴールが生まれたことである。


イスラエル戦で決勝ゴールを決めた細谷真大 photo by JMPA

 今大会の日本は、初戦のパラグアイ戦で5−0、第2戦のマリ戦で1−0と、合計6ゴールを奪って連勝はしていたが、センターフォワードを務める細谷にゴールはなかった。

 しかしながら、それは彼のパフォーマンスが低調だったことを意味するわけではない。

 マリ戦の決勝ゴールにつながった右サイドでのドリブル突破は言うに及ばず、ピッチ中央でも相手DFと競り合いながら力強いポストプレーでボールを収めるなど、攻撃の時間を生み出すという点で、チームへの貢献は際立っていた。

 細谷と言うと、持ち前のスピードとタイミングのいい動き出しを生かした"裏抜け"が最大の武器というイメージがあるが、実は"背負っても強い"。パリ五輪という大舞台で屈強なDFを相手にしても、優れたボディバランスとボールコントロールで巧みにボールを収め、日本の攻撃機会を作り出していた。

 一昨年にweb スポルティーバでインタビューした際、細谷は「精神力には自信がある」と言い、「ボールを持った時の『前へ前へ』というのは意識している」と話していたが、前述したマリ戦での決勝ゴールのシーンなどは、まさにその積極的な姿勢が表われたものだろう。

 ただし、そうは言っても、細谷はセンターフォワードである。
 
「小さい頃からFWをやりたかった」と言い、「点を取るっていう意識は、小学生の時でも強く持っていた」という生粋の点取り屋が、チャンスメイクだけで満足できるはずはなかった。

 今季の細谷はJリーグでもゴール欠乏症に苦しみ、これまでJ1で19試合に出場するも、わずか2ゴールしか挙げられていない。大事なオリンピックイヤーのシーズンとしては、かなり心配な状態にあったと言ってもいいだろう。

 だが、悩めるエースストライカーは、先のU23アジアカップ(兼パリ五輪アジア最終予選)では、準々決勝でチームを救う決勝ゴールを決めると、勝てばパリ行きが決まる準決勝でも2試合連続となるゴールを決めている。

 ストライカーがスランプから脱する最高にして唯一の良薬はゴールだと言われるが、まさにそのとおりなのだろう。

 だからこそ、決勝トーナメントを前に、細谷が1点取ったことの意味は大きい。

 細谷はピッチ上で喜怒哀楽を表に出すタイプではなく、常に淡々とプレーを続ける。取材をしていても、点を取った試合であろうと、取れなかった試合であろう、冷静な対応が印象的な選手だ。

 点が取れないときでも、「ひとりで考えるタイプ」だとは本人の弁だが、それもイメージどおりだと言ってもいいのかもしれない。

 一昨年のインタビューのなかでも、細谷は「たとえ決定機を逃したとしても、メンタルを落とさずにシュートの意識を強く持つことが必要だとは感じる」と語り、こう続けている。

「特別に(前向きな気持ちでいようと)意識しているつもりはないですけど、決定機を外すと、自分もそうですけど、誰しも一回は絶対に落ち込んでしまう。そこで試合中に、どうメンタルを(高く)保つかっていうのはFWとして難しいところでもあるので、そこは練習からしっかりと意識してやっているところはあります」

 はたして生まれた、イスラエル戦での決勝ゴール。右からのクロスをワンタッチでゴール右スミに流し込んだシュートは、かなり難易度が高いものだったはずだが、それをいとも容易く、落ちつき払って決めるあたりは、さすがエースストライカー。メンタルを落とさずにプレーを続けてきたからこそのゴールだっただろう。

 有り体に言えば、イスラエル戦で細谷のゴールが決まろうと、決まるまいと、日本がグループリーグを首位通過するという点において大きな違いはなかった。しかし、細谷の今大会初ゴールが生まれたことは、ただ単に勝ち点1を3に変えただけではないはずだ。

 パリ五輪のすべての戦いが終わったとき、あのゴールが日本の勢いをさらに加速させ、56年ぶりのメダル獲得を大きく手繰り寄せたと言われるような、価値あるものになっている可能性は十分にある。