強い帝京高校が帰ってきた──。そう感じた野球ファンも多かったのではないだろうか。

 春夏ともに甲子園には届かなかったが、今春の東京大会では、7試合で9本塁打と長打力が爆発して優勝。今年から低反発バットが導入されたことを忘れさせるような剛打ぶりだった。


東東京大会決勝で関東一に敗れた帝京ナイン photo by Sankei Visual

【2011年夏を最後に甲子園出場なし】

 帝京はかつて「東の横綱」と恐れられた名門だ。前田三夫監督に率いられ、甲子園優勝3回(春1回、夏2回)。縦縞のユニホームは、王者の象徴だった。だが、2011年夏を最後に甲子園から遠ざかる低迷期に入ってしまう。

 いつしか入学してくる選手も小粒になり、都立校に力負けする年もあった。

 当然ながら、現在の3年生で13年前の甲子園をリアルタイムで見ていた者はいないだろう。正捕手の丹羽心吾に帝京の存在を知ったきっかけを聞くと、こんな答えが返ってきた。

「年末にテレビで『とんねるずのスポーツ王は俺だ!!』を見て、石橋貴明さんが『帝京魂!』って叫んでいたので初めて知りました」

 2021年夏に前田氏が監督を勇退し、当時36歳の金田優哉監督が後任を務めた。この頃から、はっきりと帝京の変化が見え始めた。

 以前までの帝京は似たようなフォームの打者が打線に並んでいたが、近年は構えからタイミングの取り方まで個性豊かなフォームの打者が目立つようになった。金田監督は「フォームのことは何も言いません」と語っている。

 主将の西崎桔平は千葉の強豪中学クラブチーム・佐倉シニア時代から投手・内野手として活躍していた。数々の誘いを受けるなか、帝京の練習風景を見て進学することを決めたという。

「選手が自分たちで野球をやっているな、と。練習中に選手がミスをした時、多くのチームは監督が怒って指摘すると思うんですけど、帝京は選手同士で会話しているのが魅力でした。自分は将来プロで野球をやっていきたいので、こういう環境でやりたいと思いました」

 昨秋はブロック予選で二松学舎大付と対戦し、0対8で7回コールド負け。本大会にすら進めず、選手たちは肉体改造に明け暮れた。西崎は、その重要性を強調する。

「野球は地面から力をもらうスポーツだと思います。スクワットやデッドリフトなど、とくに下半身を重点的に鍛えてきました」

【帝京伝統の3合飯は撤廃】

 帝京にはかつて、「3合飯」という伝統があった。3合分の白米をタッパーに詰め、昼食時に食べていたのだ。体を大きくしたいと考えた選手が自主的に始めた伝統だったが、糖質の過剰摂取を指摘する声もあった。

 今も「3合飯」はあるのかと尋ねると、西崎は苦笑を浮かべて「もうないです」と答えた。

「ただ、今の代から朝は400グラム以上、夜は800グラム以上の米を食べようと決めていました」

 帝京といえば、かつては自宅からの通い生がほとんどを占めたが、現在は学校の近所に私営の寮が建ったことで寮生も増えている。今年はレギュラー9人中7人が寮生で、パワーアップに成功した。

 チームとしてさまざまな変化が見えるが、西崎はフィジカルの強さこそ帝京のアイデンティティーだと考えている。

「映像を見ると、昔の帝京の選手は体が大きくて、飛ばすイメージがありました。今の自分たちも体の強さにかけては自信を持っています」

 今夏も帝京の打線は火を噴いた。東東京大会準決勝の東京戦ではプロ注目右腕の永見光太郎を18安打13得点と打ち込み、13対3の8回コールドで圧勝している。

 帝京のチーム内では「自分のスイングをするだけ」という言葉が飛び交っている。西崎はその心を解説する。

「回るスピードを速くすることと、強く振ること。練習からピッチャーに合わせるスイングをしないことを心がけています」

 決勝戦に進出しても、満足そうな顔をしている選手はいなかった。金田監督は言う。

「甲子園に出場するだけでなく、甲子園で優勝するチームをつくってきたつもりです。毎試合、『圧倒』というフレーズを使って戦ってきました。打つ、守る、投げる、走る、すべてにおいて圧倒できるようにしていきたいです」

 機は熟したように見えた。

【試合巧者の関東一に惜敗】

 だが、関東一の壁は高かった。東東京大会決勝、春夏連続出場を目指す試合巧者を前に、帝京は5対8で屈する。5回表に守備が乱れ、4失点を喫したことが大きく響いた。

 試合後、金田監督は口を開くと、「勝ちたかった......」と絞り出した。

 選手を責める言葉はなく、指導者として「チームで一番未熟で、鍛えないといけない立場」といった自責の言葉が続いた。

 とはいえ、新生・帝京としては年々進化した姿を見せられているのではないか。そう問うと、金田監督は強い口調でこう答えた。

「選手は1年、1年が勝負ですし、私も3年生と一緒に引退するくらいのつもりでやっています。先を見るつもりはありません。結局、彼らの夢をかなえられなかったので、それでは意味がない。帝京とは、そういうチームなので。監督として責任を感じます」

 正捕手の丹羽は「試合前は勝てる気しかしなかった」と振り返り、こう続けた。

「練習の質と強度が上がっていて、一昨年より去年、去年より今年とレベルアップしている自信がありました。これまでやってきたことを出せれば甲子園に行けると思っていました。負けてしまって、今まで味わったことのない悔しさを感じています」

「帝京魂」という言葉がある。今の選手たちは、この言葉をどう解釈しているのか聞いてみたかった。丹羽は慎重に言葉を選ぶように、こう答えた。

「『帝京魂』は過去の先輩方がつくってくださったキーワードで、結果を出していない自分たちが使うのはおこがましいというか......。自分たちはあまり意識せずに、帝京の新しい歴史をつくりたいと考えています」

 今年も甲子園に出られなかった。その結果だけをとらえると、「復活」の言葉を使うのはためらわれる。それでも、帝京は間違いなく前に進んでいる。それだけは強調しておきたい。

 2024年の夏、彼らは強烈なインパクトを残してグラウンドを去った。