ロングのウィッグでヘアアレンジを楽しんだ

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若くしてがんを宣告され、それまでの暮らしががらりと変わってしまうことも…。今回お話を聞いた、福田莉子さんが「悪性ラブドイド腫瘍」という希少がんに罹患したのは26歳だった2019年。腫瘍は右の腎臓にあったため、右腎臓を摘出した後、抗がん剤による化学療法を半年間受けました。治療の副作用で髪が抜けたり、味覚障害が起きたりしただけでなく、友人知人と今まで通り接していけないことに直面したと言います。莉子さんに治療が始まった当時から振り返ってもらいました。(記事監修:川崎市立井田病院 腫瘍内科部長・一般社団法人プラスケア代表理事・西智弘先生)

副作用が強いときの味方はスイカ、元気な間はグルメでごほうび

「治療が始まり、副作用の出方を確認するために1クール目は2週間入院し、それ以降は2泊3日の入院でした。吐き気は人並みだったと思いますが、味覚障害でみそ汁がすごく苦く感じるようになって飲めなくなったりしましたね。いちばんつらくなる3、4日目あたりは、スイカだけ食べていました。治療が始まったのが初夏で、もともと大好物だったので食べられたんでしょうね。母が見舞いに来るたびに持ってきてくれました」

【写真】山形旅行を楽しむ福田さん

副作用が落ち着いている間は、思いっきり好きなものを食べたという莉子さん。

「元々食べることが大好きなので、1クール終わるごとにごほうびとして友達と高級焼肉に行ったりして、モチベーションを保っていました。抗がん剤治療をしている人はガリガリに痩せ細ると思っている人が多いでしょうが、私はごほうびですごく太ってしまいました(笑)。先生から『あと○キロ太ったら、抗がん剤の量が増えるから気をつけてください』と言われてしまいました」。

どうせウィッグをつけるなら開き直ってイメチェン

2クール目になると髪や体毛が抜け始め、爪も紫色に変色しました。手足の痺れや背中の痛みがひどくなることも。それでも、楽しむことを意識して、メリハリをつけていたそうです。

「髪が抜け始めた頃がいちばんショックでした。でも、どうせウィッグを使うなら、いつもと違う髪型にしたくてロングにしようとか、休職しているから好きなネイルカラーで爪の変色を隠そうとか、楽しもうと開き直ったんですよね。歳の近い妹と一緒にヘアアレンジをしてみたり、治療の後半はけっこう楽しくやっていました」

元気なときはなるべく楽しく、やりたいことをやった

さらに、クールの合間で体調のいいときを見計らって、旅行にも行ったそう。

「がん経験者さんの本や記事を読んで、治療中でも旅行に行けるんだと知って、先生に相談しながら友人が住んでいる山形へ旅行もしました。副作用がつらい間は床に這いつくばっているような生活でしたが、元気な期間は母から『生き急ぐな』と言われるほど予定を詰め込んで。だって、1年後の未来を想像することも難しかったから。定期的に腫瘍の様子を検査するのですが、検査が〈審判の日〉になっていました。結果を聞くまでは生きていられると思うし、よくない結果が出たら下り坂の人生になる。だから元気なときはなるべく楽しく、やりたいことをしようと思ったんです」

がんになって初めて気づいた人間関係の難しさ

元気でいられる間は楽しく過ごすことで、治療のモチベーションを保っていた莉子さんに「思ったより元気そうだね」と声をかける知人・友人もいたそうです。実際には苦しくて寝込むしかない日々もあるけれど、いちいち全員には説明していられなくて「元気にやっている」と答えていた莉子さん。だんだんつき合う人を絞るようになりました。

「友人たちには、本当に助けられました。でも、がんになってから減りました。先は長くないと思ったのもあって、友達は少なくていい、その代わりに濃いつき合いをしようと思って。

きっかけは、1クール目に入院している間にお見舞いにきてくれた友人に『私だったら抗がん剤はやらないな』と言われたことです。治療を始めたばかりの私に、なんでわざわざ宣言するんだろうと、すごく傷つきました。以前からそういう考え方の持ち主だとは知っていたけれど、よくも面と向かって言えたなと思って。そのときから、だれとでも仲よくするのはどうだろうと思い始めたんです」

こちらは「未来が想像できない」状態なのに

莉子さんはがんになったことを友人や知人にも初めからオープンにすることで、明るく前向きにいられると考えたそうですが、「前向きでいてほしい」という圧力感じることもあったそうです。

「SNSで、治療を前向きにがんばっている末期がんの人に大勢のフォロワーがつくという現象があるんです。きっと『がんばって』という気持ちでフォローする人もおられるでしょうが、その人の死というエンディングがどのようなものになるのかを待つように毎日投稿を見ているみたいな、患者さんの人生をエンタメにされている気がして、私はすごく嫌だと感じます。『がんになって、人生観が変わった?』と聞かれたときは、自分もエンタメの対象にされたような気がして嫌でした。

たぶん、自分には降りかからないことだからと思っているから、気軽に聞いてくるんでしょうね。がんではない人との間に線を引かれ、もう交わることはないように扱われることにすごく腹が立ち、そういう人たちとのつき合いはやめました。未来をなんの心配もなく想像できるかどうかというところに、深い溝があるんだろうなあと思います」

莉子さんの母、聖子さんも似たような経験をしたそう。

「友人や知人、自分の店の常連さんなど声をかけて下さる方もいれば、しばらく顔を見せなくなった人もいました。親しい人にLINEで報告したり相談したときは、『大丈夫、今は治る病気だから』、『うちの親も何回もなったけど治ったし、今はピンピンしているよ』と返ってきたり。さらに莉子の話を報告した後に、相手から楽しそうにしている家族写真を見て欲しいと言われて…。デリカシーの問題なのでしょうか。

私の年代だと、大抵は自分や伴侶、親ががんになる心配をする年頃でしょう。20代のわが子がまさかがんに、しかも難しいがんになるというのは想像できないのかもしれません。私だって、うちの子たちはがんにはならないと無意識に思い込んでいました。でも、ご家族を励ましたり、話を聞くときはすごく気をつけなければいけないと実感しました」(聖子さん)

がんになった自分が「役に立ちたい」と始めた情報発信

莉子さんが罹患した「悪性ラブドイド腫瘍」は、乳児に多い希少がんの一種です。小児がんに分類されますが、成人が罹患するのは日本で年間3、4例といわれるほど非常に珍しいケース。治療法やその間の生活、予後など知りたい情報があまり見つからなかった経験から、莉子さんは治療中の生活をブログやSNSでの発信を始めました。

「情報交換をしたり、自分の経験がほかの悪性ラブドイド腫瘍患者さんの役に立てばと思ってブログを開設しました。患者さんは小児であることがほとんどなので、親御さんがやっておられるブログで情報交換をしたりしました。Twitter(現・X)は悪性ラブドイド腫瘍の診断が出る前に開設していたので、ほかのがん患者さんたちとも交流していました」

がん患者さんとの交流は、「ここでなら話せる」という安心感を持てることもあり、がんではない人たちとの深い溝を感じても、自分は孤独ではないのだと実感できるというがん経験者は少なくありません。その一方で、別れを経験することも多くなります。

「健康な人が私を励ますつもりで『2人に1人はがんになるし、今はがんで死なないよ』と言ったんですけど、同世代やそれより若いがん患者さんたちと交流するようになってかれこれ5年、やっぱり亡くなった仲間は何人もいます。

でも、私も自分がこの病気にならなければ、同じことをしてしまっていたかもしれないですよね。だから、自分が落ち込んだり悩んだりしている人に声をかけるとしたら、どう言ってほしいのかな、なにをしてほしいだろうか、なにをされたら嫌かなということをすごく考えるようになりました。一緒に悲しんでほしいのか、無理にでもポジティブにしてほしいのか。私は〈されてきた側〉だからこそ、すごく悩みます」

 

監修:西智弘先生(川崎市立井田病院 腫瘍内科部長・一般社団法人プラスケア代表理事)