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組織の変革は簡単にはいきません。ボタン一つで切り替わるような単純なものではなく、放っておいても自然には改善しません。では、どのようなアプローチが必要なのでしょうか?
株式会社roku you代表でSEL(Social Emotional Learning)の専門家、『「切りひらく力」を育む親子習慣 世界標準のSEL教育のすすめ』(小学館)を上梓した下向依梨さんと、システム思考教育家として活躍する福谷彰鴻さんが登場。彼らがどのようにして複雑な人間関係の問題を俯瞰し、解決に導くのか、その方法を詳しく解説します。彼らが「学校」をテーマに、組織の変容について深く対話します。
下向さんは、『21世紀の教育』(ダニエル・ゴールマン、ピーター・センゲ著、井上英之監訳)の解説パートを担当し、福谷さんも同書のシステム思考に関連する内容について、ピーター・センゲ博士に10年以上師事した経験をもとに、様々なアドバイスをしてくれています。
この対談では、学校組織のシステムについてシステム思考の視点から考察。ステークホルダーの多様性や長い時間軸での成果測定の必要性、そして学校システムを改善するための原理原則と実践のツール、インフラの重要性が語られます。さらに、変化を起こすためには、意図的に変えようとするのではなく、副産物として自然に起こる変化を受け入れる姿勢が大切だと強調します。組織変革のヒントを探している方は必見です!(構成/佐藤智、ダイヤモンド社書籍編集局)

学校組織が持つシステムの特徴

下向依梨(以下、下向) 私は株式会社roku youで、全国の学校に向けSEL(Social Emotional Learning)を軸に学校改革に伴走したり、「総合的な探究の時間」で協働したりしています。福谷さんは先生方と共にシステム思考の学びを深めていらっしゃいますが、その中で「学校」という組織が持っているシステムの特徴や、それによって教育関係者が陥りやすいことはありますか。

福谷彰鴻(以下、福谷) 僕は学校システムには2つの特徴あると考えています。1つ目は、ステークホルダー(利害関係者)がすごく多様であるということ。子どもたちをはじめ、教職員や管理職、保護者、地域の方、教育行政などが関係しています。学校はビジネスの組織と比べて、圧倒的に複雑性が高いです。

 2つ目に、学校は非常に長い時間軸で物事を考えることができる組織であるということです。MIT(マサチューセッツ工科大学)のゴードン・ブラウン博士が、「教師であるということは預言者であるということだ」といっています。

 私たちが今関わっている子どもたちは、私たちが予想もできないような職業に就いていきます。先生方は、見えない未来に関わる仕事をしているのです。短期で教育の成果測定は、学期ごとの成績や進学率かもしれませんが、未来に向けた仕事であると考えると、学校教育の成果は個人と社会のウェルビーングであるといえるでしょう。

下向 私たちも、常に「学校が何のために存在しているのか」「学校が担う役割は何か」ということを考えてきました。そして、私たちは学校の存在意義とは、個人と地域社会のウェルビーングを形作っていくことだと思い至ったんです。福谷さんと向かっていくビジョンが、同じで非常に嬉しくなりました。

福谷 日本ではほとんどの子どもが学校に通います。子どもたちにとって、家庭以外に初めて出会う社会が「学校」です。学校は社会で生きていくための多くの価値観を身に付けていきます。では、学校で私たちは何を学ぶのでしょう。

 たとえば、「いつ発言すべきで、いつ黙るべきか」「誰の話が重要で、誰の話が重要ではないか」かもしれません。「トイレに行くには許可がいる」「世の中には賢く優れた人とそうでない人がいる」「優れた人は称賛されるし、劣った者は罰を受ける」かもしれません。「社会のルールは権威を持つ人がつくる」かもしれませんし、逆に「社会のルールは自分たちでつくり、必要に応じて変えられる」かもしれません。

 そして、学校で多くの時間を過ごした私たちが、今の社会を創り出しています。学校は、個人と社会のウェルビーイングにどのように貢献しているのでしょうか。こうした非常に長い時間軸で成果が問われているのが学校の特徴だと思います。

下向 私自身も小さい頃から主体性やクリエイティビティなどの種まきをしてもらい、実際に花開いたのは高校生ぐらいだったと感じます。子どもに蒔いた種がどこで花開くかといわれると、明日のこともあれば10年後のこともあるし、もっと先のこともあり得ます。これが教育の難しさですよね。

 さらに、大人はどうしても成果の見えやすい短期的な数字を求めがちなので、それによってシステムを複雑にしている側面もあるように思います。

システムをよくするために必要な「練習」

下向 私たちは先生方と協働しながら、ウェルビーングな学校を作っていこうと日々奮闘しています。その中で、私たちはただ教材(プログラム)を提供するだけでは実現は難しいとも感じているんです。

 大切なことは、現状のシステムが今どうなっているかを先生方と膝を付き合わせながら紐解いていくことだと考えています。可視化した先に、「こういうシステムにしたい」とビジョンが見え、その目標に向けた打ち手の1つとして教材がある、という建て付けだと思うのです。

 福谷さんは「学校」というシステムをよりよくしていくために必要なピースはどんなことだと思いますか。

福谷 長い時間軸で学び変化し続けていくために、大きく3つの要素が思い浮かびました。1つは、原理原則です。これは、組織における基本的な考え方のことです。例えば、この原理原則が「みんなが個別最適で最善を尽くせば全体最適になる」なのか「相互依存的なシステムは個別要素を見てもわからないので対話が必要だ」なのかで、組織における振る舞いが異なってくることはイメージできますよね。

 とはいえ、いくら本質的な原理原則を唱え続けたとしても、現実の行動とはつながらないことも往々にしてあります。「対話する組織を作る」といった原理原則が掲げられていたとしても、忙しくて「話しかけるなオーラ」を出してしまったり、大切な仕事ほど抱え込んでしまったりすることは十分にあり得るのです。

 つまり、僕らには原理原則に基づいて行動する“練習”が必要なのです。その練習として必要なのが、2つ目の要素である「実践のツール」です。

 roku youが制作している「感情対話カード」は、「実践のツール」の一つだといえます。ただ、このツールがあれば十分というわけではなく、職員会議の時間を使って、体感してから教室で使うといった建て付けが必要ですよね。

 その活用する時間や機会などの「インフラ」があってこそ、「実践のツール」が生き、「原理原則」へとつながっていくのだと思います。

文化の変化を望むなら変えようとしてはいけない

下向 教育長や校長などのトップが、「この教育メソッドを実践しよう」といった方針も原理原則になり得るのでしょうか。日本の教育改革は、こうしたトップダウンで変革を進めることが少なくないように思います。

福谷 原理原則を考えるにあたり一つ言えることは、役職の高い人が無理に落とし込もうとしても、多くの場合はうまくいかないということです。既存の状態を変えようとする行為は、ほとんどの場合、変える対象にとっては自身に対する「攻撃」や「否定」に映るはずだからです。

 もし僕が「依梨さんの今のやり方はよくないからすぐに変えましょう」と急に一方的に告げたら、依梨さんが最初に抱く感情は「脅威」ではないでしょうか。「何かを変えよう」とする姿勢は、相手の防衛的な反応を強化します。だから、私たちは「組織(相手)を変えたい」と思ったら、何かを変えようとしないことが重要です。すごく逆説的な話ですね。

下向 どんな人でも、「変えられること」に対しては脅威を感じるものですよね。

福谷 そうなんです。人でなく機械なら問題ないのです。パソコンの設定を変えたいと思ったら、アプリケーションをインストールしたり、メモリを増設したりすればいいですよね。説明書を読んで、その通りに実行していけば、機械では願っていた変化が起きます。

 しかし、僕らが同じことを人間にしようとするとうまくいきません。しかも、厄介なことに、「変えようとしている変化の内容がどれだけ素晴らしいものであってもうまくいかない」ということもわかっています。

 例えば、僕が「依梨さん、幸せであれ」と唐突にいうと、一瞬身構えませんか?

下向 え? なに? と戸惑いますよね。

福谷 「ちょっと待ってくれ」「何、言っているんだ?」と反応しますよね。でも、本来幸せでありたくない人はあまりいないはずです。自分が「幸せでありたい」と思っていても、他人から「幸せであれ」といわれると最初に抵抗感や戸惑いの感情が湧いてくるものなのです。つまり、人は変化に抵抗するのではなく、「変化させられること」に抵抗するのです。

 僕がパートナーに対して、パソコンの設定を変えるように変化を起こそうとすると、願っていた変化ではなく、問題が起きます。機械やモノを扱うのと生きた存在を扱うのとでは、全く話が違うのです。学校や教育が変わるとは、そこにいる人たちの思考や行動が変化することです。でも、学校改革や教育改革について話をするとき、僕らはまるで機械を扱うかのような言葉遣いをしています。

変化への欲求と焦りへの向き合い方

下向 たしかにそうですね。私たちも人間関係で成り立っているシステムに対して、機械的な表現になっていてハッとすることがあります。教育の変容を願う人たちの中で、有機的な存在として生徒や先生、組織を捉えられていない側面があるのかもしれません。対象が無機質であるかのように、「自分が行動したら、こう変わっていくはずだ」という目線で考えてしまいがちです。

福谷 システム思考では、機械的な変化のアプローチが問題をはらんでいるのであれば、有機的なシステムの変化に着目してみようと考えます。そこで少し脱線するように感じるかもしれませんが、自然界に目を向けた話をしてみましょう。

「自然界の変化は副産物なのだ」と、チリの生物学者ウンベルト・マトゥラーナは言ったそうです。自然は自ら変化を生み出し、その営みの結果、あらゆるものが変わり続けていきます。だから、自然がどのように変化を生み出しているかに目を向けてみると、きっとヒントがあると思うのです。

 私たちの身体も日々変化しています。しかし、この身体は細胞Aを細胞Bに変化させたりはしません。細胞分裂を通じて常に新しい身体を創り出し、そして同時に寿命を終えた細胞が死に続けている。この2つの動きが同時に起こり続ける中で、僕らは老いという変化を遂げています。

 赤い花ばかりだった庭が、気付けば白い花ばかりなっている。自然に良くある変化です。しかし、自然は赤い花を白く変えたりしていません。赤い花が咲いていた土地に、白い花の種が落ちて、それが咲いて、また種が落ちて……。こうしたことを繰り返していくと白い花が増えていきます。

 自然は何か古いものが存在するところに、新しいものを育てているのです。その副産物として生まれているのが変化です。

 この大前提を踏まえると、私たちの教育の変化への考え方も本質に近づけるように思います。必要なことは、どうやって人や組織を変えるかでなく、今よりも多く存在してほしいものをどう育てていくかという発想ではないでしょうか。そして、その成長を可能にする環境をつくっていくことです。

下向 最近、私の経営するroku youのビジョンをアップデートしました。これまでは、「ひとりひとりの可能性を磨かれ続ける社会をつくる」としていたのですが、そこから「ひとりひとりの可能性が磨かれ合い、交じわり、新たな価値が創造される世界」そして、「有機的に響き合う社会を作ることを目指す」と変更したのです。

 人間や組織は変化し続ける存在であるという前提に立ち、その個々のあり方が影響し合ってより良い方向に向かっていけるように、私たちは学校に伴走するのだと考えるようになっていきました。

 一方で、組織に対して変化が起きない焦りやもどかしさの感情を抱いた時には、私たちはどこに意識を向けるとよいのでしょう。

福谷 現状を「なんとかしたい」という課題感があり、しかし「機械的なアプローチではうまくいかないのではないか」ということを理解している。まずその洞察ができていることが素晴らしいですね。

 その上で、変化が起きない焦りやもどかしさの感情と向き合うためのポイントは2つあると思っています。1つ目は、今自分の中にどのような感情が湧き起こっているのかをきちんと認識できること。ここには依梨さんたちrokuyouが制作した「感情対話カード」が役立つと思います。

「どうにかしなければ」という恐怖にかられる時に、人は近視眼的になりやすいという特徴があります。人は恐怖を感じると、「闘争」か「逃走」かという、即時の危機に対処しようとする脳の部位が反応してしまいます。また、センゲ氏は「恐怖やストレスは人の脳をダウンシフトする」といっています。

 つまり、恐怖の感情に駆られた状態で、長期的、創造的な取り組みをおこなうことは難しい。だから、僕らがすべきことは無意識に恐怖に駆られるまま目の前のことに反応するのではなく、まず自分の中に起きていることに気付くことだと思います。

下向 自分の気持ちや自分が大事にしたいことは何かを整理して、漠然とした恐怖に飲まれないようにするのですね。

福谷 そうです。もう1つのポイントについて、センゲ氏は「組織に中に2つのものを探しなさい」といっています。1つは、僕らが実現したいと願うようなやり方ですでに行動している人たちです。私たちの多くが思っているよりも、組織は同質ではありません。いろいろな人が、いろいろな活動をしています。

 その中にはすでに、僕らが見たい変化に近い実践を行っている人が存在することが多いので、センゲ氏は、それを探しなさいといっています。そして、もう1つは、「その方法がどのような成果につながっているのか」です。

「より望ましい実践を実現することは可能であり、それが成果につながること」を示していくことで、組織の中で取り組みを広げていくことができるのだと、僕は理解しています。

教員の役割とは何か?

下向 「変化」の捉え方が変わると、先生方のあり方も変わっていきそうな気がしています。

福谷 センゲ氏は、「誰でもそれぞれのタイミングで違う先生が必要だ」といっています。つまり、先生は生徒に対して「こう接するべき」という一律の答えがあるわけではないと僕は思っています。

 僕らに「人を育たせる」ことはできません。僕が自分の子どもを「育たせようとする」ことは、植物に早く育ってほしくて、植木鉢に向かって「育て」と命令しているような状態です。もっと悪い時には、早く伸びるよう引っ張ったり水をあげすぎたりして、植物を枯らしてしまうこともあるでしょう。

 農家の方は「野菜を育てるということは、土を育てることだ」と話します。つまり、野菜が自分の力で育つのであって、農家が野菜を「育たせる」わけではないんです。

 これを子どもに置き換えると、大人ができることは彼らが成長する環境を作ったり、デザインしたりすることではないでしょうか。だから、僕が子どもをどう育てるかではなく、子どもを取り巻く環境の一つとして親がどんな存在であるかが問われているのだと思います。

 先生たちも、生徒にどんな環境を整備したいのかを考えていくこと、そして、自分自身も環境の一要素としてどう生徒の前に立ち現れるのかをイメージすることが大事ではないかと思います。

下向 生徒本人がどういう成長を望んでいるのかを見立てたり聞いたりすることが、先生たちの「どんな環境を作りたいか」の考えを深めるヒントになるかもしれませんね。私も子どもへの観察や彼らとの対話の中で求めているものを探りながら、共に育つ環境をデザインしていきたいと思いました。

大切なことを後回しにする人生になっていないか

下向 教育現場だけでなく、社会全体の変容の必要性について、福谷さんはどのようなことを感じていますか。

福谷 とても残念なことに、僕も含めて、今の多くの大人たちは「忙しい、忙しい」と働いている姿を子どもに見せています。様々なツールを駆使して効率化を進めて、1つの案件ごとのタスクに必要とされる時間が短くなった。

 しかし、スケジュールに隙間ができると、そこに新たな仕事を入っていきます。そのため、1つ1つの仕事を行うのに必要な時間は短くなるが、やらなければいけないことは無限に増え続けていくというサイクルに陥っています。そして、その中で僕らのストレスのレベルは一層上がっていきます。

 次から次へと刺激がやってきて、大切なことを見落としているような恐怖を抱えながらも、僕らは忙しくし続けています。この状態をなんとかしなければ、大切なことに取り掛かる時間は永遠に訪れません。

 個人的に重要なことも、気候変動や社会格差などの問題もそう。大事なことを後回しにしていく大人の姿を子どもは見ています。僕らは目の前のことに追われていく中で、誰も望まない社会をみんなで実現してしまうようなサイクルを生み出し続けているのではないかと感じています。

 人間は、群れで生きる種族です。集合的だからこそ、繁栄してきました。立場や視点の違う他者と話し合い協力することで、個人ではできないことを成し遂げてきたのです。環境課題や社会課題をはじめ、複雑な現実に向き合う時代だからこそ、スピードを落とし、長期的・創造的なプロセスを可能にするような関係を相互に築いていく必要があると思っています。

下向 大人である私たちの生き方が、子どもに対してどのようなインパクトを与えているか。そして、社会に対してはどう影響を及ぼしているのか。私も考えさせられました。システムを変えていくには、自分から動かなければいけません。私自身も社会システムにどう関わっているかを問い続け、アクションにつなげていきたいと思っています。

(前編はこちら)